遥か彼方のひとり言

いろいろな出来事、出会いなど、少しずつ、気楽につづります。
空を見上げながら、彼方の日々に想いを…

本物の夫婦

2010-04-13 23:37:32 | 日記
昨年3月に祖父が、12月には祖母がなくなりました。
幼い頃から、いろんなことを教えてくれた二人でした。

祖父は97歳。祖母は94歳。
よく言う「大往生」です。

男3人、女2人の子どもを持ち、長女が私の母です。

祖父は原爆が投下された翌日、長崎市中心部に入り、ケガをした人の救助をしたと聞きました。あまり詳しい話はしなかったのですが…。
祖母は長女で、親を早くに亡くしたため、親に代わって弟2人と妹5人を育てたそうで、おばさんたちは、「姉ちゃん母ちゃん」と呼んでいました。

山を段々畑にしてみかんや野菜を作り、祖父は蚕の先生をしたりしながら、祖母は自然を活用し、あらゆる知恵をフルに使って、子どもたちを育て、家族みんなが力を合わせて生ききった。祖父母の昔話の中には、そういう家族での生活にあふれていた愛を感じました。

その愛情を私も受け育ちました。

母が私を産んだ後、1週間くらいで虫垂炎になり、手術をしたために、私は祖父母に10日ほど預けられたようです。
お乳も出ないのに、乳首を吸われて痛かったと祖母から何回言われたことか…(苦笑)

まるで男の子のような私と遊ぶ祖母の、モノクロの写真がたくさんあります。
いつか、その写真もアップできると良いのですが…



祖父が亡くなる2年ほど前、祖母が間質性肺炎になり、命の期限を2~3日と言われたことがありました。
病院が近くだったこともあり、毎日様子を見に行きましたが、主治医の先生の言葉とは裏腹に、普通に会話も出来、徐々に食事も取れるようになり、とうとう退院することが出来ました。
年齢からして、驚異的な回復と主治医の先生から言われました。初めてのことだとも…。

その数日のほとんどの会話に祖父のことが出てきました。
しきりに心配して、祖父の様子を聞く祖母。自分も入院しているのに…。

きっと、祖父を一人残したまま、自分が先に逝くわけにはいかないと思っていたのかもしれません。
きっと、そうだったんでしょうね。

昨年12月の祖母のお葬式のときに、親族で話したのが、
「じいちゃんとばあちゃんは、本当の夫婦やったとばいね。じいちゃんば、しっかり見送って、落ち着いた頃に自分も後ばおうたとかなぁ」…と。

たくさんの思い出があり、どれもこれも大切な思い出です。
いつかまた、思い出話でもすることにいたします。

さてさて、当の私はと言いますと…。
まだまだ本物の夫婦にはほど遠く、まだまだ修行の身分です。

これから先、どうなっていくのか想像もつきませんが、まぁなるようにしかなりませんからね。
あまり心配しすぎるのもどうかと思いますし、あまり考え過ぎるのもまた、どうかと思いますし…、

そうですねぇ~。お互いがいつか次の世界に旅立つとき「良かった」と思えたら、そう思ってもらえたらいいなぁ~って思います。

さてさて、今夜はどんな夢を見ましょうか。おやすみなさい