お絵かきと漢字と

鉛筆画、漢字、読書など

「Friends lyric video」ジャスティン・ビーバー

2018-06-30 22:27:21 | 音楽
昨日、眺めていたMVです。

いい歌ですね~!

いい声ですね~!

イラストについて、本当は沢山のはてなマークが周りを囲っているんですけど、大変だから描きませんでした。

そして完成したあとに気付きましたが、多分、はてなマークって重要なんですよね。

はてなマークの数だけ本人は不安なんだろうな、と気付いたときにはすでに遅しでした。

「身体の文学史」養老孟司

2018-06-17 23:46:02 | 読書
先週、読んだ本です。

こちらの本は、「バカの壁」以前の本ということもあるのかもしれないのですが、私には難しすぎました。

今まで読んだ養老先生の本の中で、一番、難解に感じた作品でした。

眉根にシワを寄せて難しい顔して読んでみたけど、そんなことで理解できるわけはもちろんなかった。

何が分からないのかも分からないという・・・もう、お手上げです。ばんざーい。

芥川龍之介のところまでは、何とか読みましたよ。

取り上げられていた芥川さんの作品はほとんど読んだものでしたが、ただ、私が好きな作品は「舞踏会」や

「秋」なんですねー。


それも切なくて良い!という理由で。

この二作品は、何回でも読めます。

読む度に切なさを味わって、ひゃーとなりますね。

まあ、こんな程度ですから、理解できないのも当たり前か。

夏目漱石で読んだことがあるのは、「坊っちゃん」「こころ」「倫敦塔」くらいで、「吾輩は猫である」と

「草枕」は、読んでいる途中で眠くなり、未だ読了せずの状態です。


あの頃はたっぷり時間があったから、本を読んでいて眠くなったら本当に寝てしまったんだろうな~と思うと

幸せだったな~。


「三四郎」も読んだことないけど、三四郎池には行ったことがあります。

当然、何の感慨も沸きませんでした。

森鴎外にいたっては、「高瀬舟」と「山椒大夫」しか読んだことがありません。

あ、「舞姫」は、宝塚花組のお芝居を録画したものがあるので、それを観て面白かったら、原作を読むことに

しようかな。


他に取り上げられていた作家は、代表作が「姥捨山」、、じゃなくて「楢山節考」の深沢七郎でしたが、一

冊も読んだことがありません。


原作やカンヌに輝いた映画を観るよりも先に触れてしまったのが、ドリフのコントの方でした。

雪山に置いてきたはずの志村婆さんが、息子の加藤茶よりも先に家に帰っているという。

俊足且つ、元気なお婆ちゃんでした。

好きな作品が多い三島由紀夫のところも少し読んでみたものの、「太陽と鐡」という作品は知りませんでした

し、内容もあまり興味が持てず・・・いや、それ以前に理解ができず・・・でしたので、すぐに読むのやめてしまいました。


そんなわけでほとんど読んでいないのですが、まあ、そんな中でも面白いと思ったところはありまして、それ

が作家論を展開する前の「身体の文学史」の章でした。


文学史や歴史というものは、可能なのかというところですね。

死んだ人間は文句を言わないから歴史を可能にする要件かと思ったことがあると述べられていて、ほぉ~そん

な見方もあるんだな~と思いました。


また、社会は脳の産物であり、人の脳でもっとも強力な機能は言語だから、文学は有力な社会装置になってい

ることを示す、という部分には、またまたほぉ~と納得させられました。


「シーラカンスから人に至るまでにも、すでに五億年が経過している。なぜそれが、一時間で読める『物語』

になるのか」


「進化を含め、歴史を客観的事実の連続として記載すれば、作業は無限になってしまう。全地球上にわたる、

五億年の歴史を記述するには、五億年以上が必要であろう。したがって歴史家は、完全に客観的な歴史ないし進化史などあり

えないと、はじめから知っているはずである」


ここを読んだ時には、歴史の教科書を携えてタイムマシーンに乗り込み、一つ一つの出来事を検証して、教科

書に赤ぺんで訂正を入れていきたいな~、という想像が膨らみましたよ。


世界史だと範囲が広すぎるから、日本史、それも縄文時代くらいからお願いしたいです。

ただ私には物事を客観的に捉えて、ましてやそれをまとめるなんて能力なさそうだから、やっぱり無理かな。

じゃあ、偉人の肖像画と本人の顔が実際どれくらい似ているものか、という方を検証することにしようか。

私が習ったときは、足利尊氏だった肖像画も今では騎馬武者像になってたりしますからね。

室町時代に飛んで、足利尊氏はどんな顔だったのか見てみましょうか。

いや、足利尊氏よりも源義経のお顔を拝みたいな。

小学生の頃、私が日本の歴史の漫画でいつも読んでいたのが、源義経と天草四郎という悲劇の美少年、美青年

のところでしたから。


飽きずにそこばかり。

果たして、源義経の顔面は良かったのか。

そして、ファンをがっかりさせるあの肖像画は、一体どういうわけなのか知りたいです。

あー、江戸時代に行って、葛飾北斎の横でひたすら絵を描くのを眺めるというのも楽しそうですね。

絵を描く人にとっては、すごく邪魔です。

分かってはいるんですけど、絵を描いている人を見るのが好きだから、仕方がありませんね。

こんなふうに、本の内容からは大分外れてしまいましたが、いろいろと想像できて楽しかったので、「身体の

文学史」は、手に取って良かった本となりました。



映画「ゴールデンボーイ」ブラッド・レンフロ

2018-06-08 23:04:37 | 映画

映画は見ておりませんが、原作を読んだのでお絵かきしました。

トッド・ボウデン役のブラッド・レンフロです。

久々に描いたイラストが、ブラッド・レンフロさんでした。

ちょっと幼くなってしまったかも。。


賜暇(しか)

2018-06-07 10:25:32 | 漢字
昨日、感想を書いた、スティーヴン・キング「ゴールデンボーイ」に出てきた漢字です。

「一九三九年にベルリンで賜暇(しか)をたのしんでいた士官当時のように、底なしで飲みつづけることなどで

きない」


このように、登場しました。

休暇という言葉の方が一般的のように思ったのですが、漢検漢和辞典によると、賜暇(しか)とは「昔、官吏に

休暇を与えること。また、その休暇。」とあり、うやうやしく頂戴する休みということなのかな、と思いました。


あと、昨日書き忘れていましたが、ほー、と思った文があって、これをどうしても書いておきたい!

「わたしにはふしぎでならないのだよ。人間は年をとるにつれて、生と死の問題で失うものがすくなくな

る・・・にもかかわらず、ますます保守的になっていく」


「朝という時間は、自分がいちばんむきだしにされ、自分の実像と虚像をへだてる壁がいちばん薄くなっている

ように思える」


発言をした方はあれですけど、ほぉ~と感心したセリフでした。

「ゴールデンボーイ」スティーヴン・キング

2018-06-06 23:07:09 | 読書
「刑務所のリタ・ヘイワース」の次に読んだ作品です。

それもそのはず、、なんですけど。

お話の内容は、金髪、ブルーの瞳、まぶしい微笑をうかべととのった白い歯をのぞかせる全米代表といった感

じの爽やかな十三歳の少年、トッド・ボウデンが、自らの意思で、現在はアーサー・デンカーと名乗る老人、それは世間を欺

くための仮の姿であって、実は元ナチスの将校クルト・ドゥサンダ―と関わることによって狂い出す運命の歯車・・・転落

の夏、といった感じでした。


ちょっと最後は、蚊取り線香みたいになりましたね。

少年と元ナチの将校、この二人の支配する者とされる者の立場が時には逆転したり、お互い激しい応酬を繰り

広げたりするところなどは、まるで二人芝居を観ているようでした。


二人の関係性は最後まで緊張が続き、とても目が離せるものではありませんでしたし、気になって気になっ

て、やっぱり最後のページを先に読んでしまうという愚かな行為を仕出かすことになりました。


そして、ドゥサンダーが自分の過去に直面するシーンなどは、「あー、ここで来るんだーー!!」と、ちょっ

とした衝撃を受けました。


さて、次は、主人公テッド少年の典型的なアメリカらしさを探ってみることにしましょう。

「ふたりが食べているのは、ビッグマックだった。トッドはプラスチックのストローでコークを飲んでい

た。ドゥサンダ―は一杯のバーボンをかたわらにおいていた」


ビッグマックにコーク・・・アメリカ!

「トッドは、スーパーで買ったリング・ディンのケーキを食べているところだった」

きっと滅茶苦茶甘いケーキなんでしょう・・・アメリカ!

「トッドは自分の家のキッチンで、ピーナツバターとゼリーのサンドイッチを作っていた」

ピーナツバターとゼリーのサンドイッチ、、想像ができない味・・・アメリカ!

ゼリーのサンドイッチって、どんなものでしょうね。

ピーナツバターだけでもいいのに、と思うんですけど。

ピーナツバターとゼリーがぐちゃぐちゃに入り乱れて、これもまたアゴが外れそうな程、甘そうですね。

あ、アゴが外れそうな程甘い、なんて言い回しなかったかな。。

さて、次は、トッドが本当に十三歳の少年なのか疑ったシーンを取り上げたいと思います。

トッドと母親の会話です。

トッド母「学校はどうだったの?」

トッド「学校はバッチリさ」

トッド母「また優等生名簿にのるわけね?」

トッド「あたりき」

この「あたりき」という言葉を聞いたとき、本当に少年!?と思いました。

何だか「あたりき」っていう言葉、「あたぼうよ」という言葉と同じ印象を受けます。

「あたりまえさ」でいいと思うんです。

でも、まあ、この頃のトッドは、ドゥサンダ―を見つけ出したばかりの頃だし、ちょっと調子に乗ってつい

うっかり出ちゃった言葉なのかもしれませんね。


続きましては、トッドと父親のこれもまた親子らしからぬ!と思ったシーンを取り上げたいと思います。

「その翌日の月曜、トッドが朝の六時に起きて、自分で作ったいりタマゴをわびしげにつついているところ

へ、父親がモノグラム入りのバスローブにスリッパというなりで下りてきた。『むふん』父はトッドに声をかけ、横を通りぬ

けて、冷蔵庫へオレンジジュースをとりにいった。」


息子に「むふん」と言う父親・・・違和感を感じました。

それでは、どの言葉が自分にとってしっくりくるのか、考えてみることにしました。

「うふん」←もっと違和感を感じる。

「わふん」←犬みたい。

「ごふっ」←心配になる。

「コホン」←これかな!

息子にそれとなく自分の存在を気づかせる父親の態度は、「コホン」と咳払いをするイメージが一番しっくり

きましたが、まあ、原文ではどんな英語が使われているんでしょうね。


英語が全然ダメな私にとっては、訳して頂いて、こうして読めるだけありがたいことですよ。

さあ、こんな揚げ足を取ることばかりではなく、スティーヴン・キング小説の醍醐味でもある、おっかなかっ

たシーンも書いておかなければなりませんね。


そう、私が一番怖いと思ったところは、トッドとドゥサンダ―が現実に起こす残虐な行為の数々ではなく、

ドゥサンダ―の過去の深みにはまっていくトッドが見るようになった悪夢の中の出来事です。


夢の中でトッドは、髑髏と記章が輝いた制服を着て、サント・ドナート通りに立っている。

そこへ、古い自動車に乗ったドゥサンダ―が現れる。

この夢の中のドゥサンダ―の姿、発する言葉、絶対映像では見たくないシーンです。

本を読んでいるはずなのに、思わず耳をふさぎたくなりました。

そんなわけで、ブラッド・レンフロが主演しているといっても、この先も映画を観ることはないと思います。

では、長くなりましたので、感想はこのへんで終わりにしたいと思います。

次は、何を読もうかな。