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「身体巡礼<ドイツ・オーストリア・チェコ編>」養老孟司

2018-10-09 00:42:59 | 読書
昨日、読み終えた本です。

養老先生がヨーロッパの身体性をめぐる旅として、中欧にお墓参りをして、考察を重ねた記録です(紹介が

雑)。


中欧の中心ならウィーンということで、ハプスブルク家のお墓参りもされていました。

「エリザベート」というミュージカルが大好きな私にとって、たまたま手に取ったこの本で、ハプスブルク

家の埋葬方法や、シシィの遺体を納めた棺などの写真を見ることができたのは(この本は写真が多くて、旅をした気分になれ

ます。ただし骸骨の写真も多いので、お気をつけあそばせ!)偶然だな、と思いました。


ウィーン、アウグスティーン教会の地下にあるハプスブルク家のロレット礼拝堂には、ハプスブルク家54人の

心臓が銀の器に納められているそうです。


ウィーン、アウグスティーン教会・・・おや、どなたかの声が聞こえてきます。

「ウィーン、アウグスティーン教会、1854年4月24日午後6時半。どういうわけか、黄昏どきの結婚式。なぜっ

て?フンッ。トート閣下が影の司祭だから!」


声の主は、ミュージカル「エリザベート」のルイジ・ルキーニでした。

そうか、シシィとフランツは結婚式を挙げた教会の地下で、死後、眠ることになったのか。

それも心臓だけ。

なぜかハプスブルク家では、亡くなると心臓を特別に取り出して銀の心臓容れに納め、ウィーンのアウグス

ティーン教会のロレット礼拝堂へ。


肺、肝臓、胃腸など心臓以外の臓器は銅の容器に容れ、シュテファン大聖堂の地下へ。

残りの遺体は青銅や錫の棺に容れ、カプチン教会の地下にある皇帝廟に置くのだそうです。

いずれも歩けば十分以内の距離だけど、遺体はこうして三箇所に埋葬されるのだそうです。

不思議な伝統ですね。なぜ分ける必要があるのでしょう?と私は単純に思いましたが、養老先生がまず先に疑

問に感じたことは、誰が遺体を解剖するのか、ということだったそうです。


私の平凡な疑問についての養老先生の見解は、王家では構成員は構成員のままであり、遺体はどういう形であ

れ、その人がそこにいるものとして保存されなければならず、ハプスブルク家の一員だけが儀礼に厳密に従って埋葬されるの

は、それが共同体の一員であって、いまでも一員として「生きている」ことの象徴である、と述べられていました。


死して尚、共同体の一員・・・シシィはこれをどう思うのでしょう。

気まぐれに、望むまま、自由に生きたいと願っていたシシィなんですけど。

でも、肉体はハプスブルク家に縛られたままでも、魂は自由で、トート閣下に導かれて安らげる場所に辿り着

いているはずですからね!


それでは、もう少し詳しく各場所を訪れてみることにします。

まず、ハプスブルク家についていうなら心臓以外の内臓を納めた容器が置かれているという、シュテファン大

聖堂の地下墓地へ。


その容器の中でもマリア・テレージアのものがとくに大きいそうで、なぜかというと、容器が古くなると、ど

うしても中身が漏れるようになるので、古い容器全体を新しい容器の中に納めるからなのだそうです。


この話を聞いて、「ベルサイユのばら」でしか知らなかったマリア・テレージアが、一気に現実味を帯びた姿

で現れた感覚がありました。


次は、地上のアウグスティーン教会の壮麗な広間とは比較にならないほど小さいというロレット礼拝堂へ。

ハプスブルク家は黒のマリアに信仰が厚かったらしく、礼拝堂には黒いマリア像が置かれているそうです。

何とも興味深いことですね。

最後は、17世紀以降、ハプスブルク家の墓所となったカプチン皇帝廟へ。

写真で見ただけですが、マリア・テレージアのバロック様式の豪華絢爛な棺には、圧倒されました。

そして、ここは、もしかすると、ミュージカル「エリザベート」で、ルキーニが、エリザベートと一緒に生き

た人々に「さあ、皆、眠りから覚めるんだ!起きて語ってくれ、そう、あの人のことを、エリザベート!!」とけしかけた場所に

なるんでしょうか。


でも、ここには入り口から時代を追って棺が並び、146人の遺体が埋葬されているそうですから、ルキーニの

扇動する声を聞いて、マリア・テレージアはじめエリザベートを知らない方々が次々に起き出して、何だ何だ、どこのエリザ

ベートのことだ、と大混乱になりそうですね。


だから、本当ならルキーニは、カプチン皇帝廟の中のシシィの棺が置かれたフランツ・ヨーゼフ廟の辺りで、

昔の人を起こさないようにこっそりと煽るものなのかな、と思いました。


もう一つ、カプチン皇帝廟は、トート閣下とフランツの「最後の証言」が歌われた場所にもなるんでしょうか

ね。


やっぱり、ここでトート閣下とフランツが大声で「彼女に愛を拒絶されるのを!」「ちがーーーーーーう!!」

とか言い合ってたら、またマリア・テレージア達が起き出して(さっきからマリア・テレージアの名ばかり出すのは、私がマ

リア・テレージアしか知らないからです)「うるさい」だの「寝れない」だの、あーだこーだ言って大騒動になりそうです

ね。


ですからやはりルキーニと同じように、本来、トート閣下とフランツは、フランツ・ヨーゼフ廟周辺で、小声

でコソコソ言い合うものなのかな、と思いました。


この著書では、もっと取り上げたい箇所もありましたが、長くなってしまいそうなので、ウィーンのお墓参り

についてだけ触れました。


そして、つくづく養老先生は、様々な幅広い知識をお持ちなのだと、だから読んでいて面白いし、私自身も闇

が広がる、じゃなくて、視野が広がっていく気が致しました。