カンボジアの食材 4 カボチャの花

カンボジアから   金森正臣(2005.12.24.)

カンボジアの食材 4 カボチャの花

写真:市場で売られているカボチャの花。あまり開いていないものが良い様だ。若いツルも葉と共に束ねられている。こちらはスープの具になる。

 カンボジアの市場では、カボチャの花や若い茎、若い葉が売られている。花は蕾よりもやや開き始めた状態である。花はサラダに入っていることもあり、スープに一つの具として入っていることもある。
 写真をよく見て頂くと、カボチャのツルらしきものも束ねてある。若い葉と共にツルもスープなどの具になる。ここでは見られなかったが、同じウリ科の日本のゴキヅルに近い野生種のツルや葉も若芽を摘んで食べている。
 いずれも特に癖の強いものではなく、素直な野菜と言った感じである。但し日本の野菜の様には、柔らかくはない。だいたい日本人は、柔らかいものが好きなのか、野菜に歯応えがない。野菜は、本来セルロースに意味があるのであるから、ある程度は硬くて当然であろう。どこの国に行っても、野菜はかなり硬いものである。オーストラリアのセロリなどは、なるほど筋を抜かなくては、なかなか噛み切れない。噛んで引っ張ると、繊維が切れずにズルズルと噛みついている方から抜けて行った。

 日本の環境で育つから、子ども達の歯や顎の発達が悪い。永久歯になったところで、歯列矯正を行っている人を沢山見かける。勿論歯列矯正の技術が発達して、治療が多くなった側面はあるが、顎の発達の悪いのは、硬い食べ物を良く噛まないからであろう。
 そもそも骨の成長は、運動の時に起こる筋肉の両側の電位差と関係がある。この弱電流とカルシュウムイオンが関係して、骨に沈着して行く。大阪市大の医学部時代に、整形外科の大学院生と一緒に、骨折箇所の両側に弱電流を流すことによって、回復が2割以上早くなることを実験によって確認した。勿論、成長過程における筋肉の使い方が、骨の発達に影響するのは当然であろう。
 他方遺跡から出てくる、イノシシの骨を調べたことがあって、弥生時代以降急速に歯列が短くなった骨が出る様になる。きっと人の残飯か何か、柔らかい食物を貰って育ったものであろう。顎の骨が短くなり、歯列は奧が上側に曲がることで対応していた。骨よりも歯の変化はゆっくりのために、骨の変化に歯が間に合わなかった結果、歯列の長さが短くならなかったのであろう。この様な現象が、ブタへの変化の過程である。

 とは言うものの、年を経し我が身になると、やはり柔らかい野菜は有り難い。カンボジアでは、スープなどに硬いショウガが入っていたり、レモングラスが入っていたりするのは普通である。またスープの野菜をあまり煮込む習慣がない。肉や内臓はあんなに煮込むのに、どうしてだろうと何時も不思議に思っている。多分気候と体調の関係で編み出されてきた、食の文化であろうとは思うのだが。

 今から30年ほども前に、メキシコからの留学生であったと思うが、カボチャの花をサラダにすると教えてくれた。彼女の作ってくれた物は、開いた花を輪切りにしてタマネギやレタスと混ぜたもので、味は良く覚えていないが綺麗だったことが印象深い。
 韓国に良く行っていた1980年代に、カボチャの葉をしばしば食べた。日本の葉より一回り小さい種類であったが、若い葉を湯通しして臭みを取り、焼き海苔の様にご飯を巻いて食べた。コチジャン(トウガラシ味噌)やゴマを付けて食べると、なかなか美味しかったことを思い出す。

 どこの国でも、利用できるものは利用するのが、本来の姿であろう。日本ではあまりにも思考が狭くなりすぎている様に思われる。
 僅か50年前には、日本には300品種以上のダイコンが栽培されていた。でも現在市場で見られるのは、僅かに2-3品種。食材に関してまでこんなに価値観が統一されると、先行きが暗い様な気がする。グルメブームと言いながら、味を理解できない人々が、哲人とかグルメと言われる人に振り回されて、あれこれ追いかけるのは滑稽でしかない。人気があるから良いわけではない。自分の好みに合った味が良い。個性が無くなると、自分の好みさえも分からなくなる。
 同じことが教育の中でも行われていないであろうか。本当の自己を持たない先生達が、専門家と言われる人の意見に振り回されて、周囲の批判を気にして、同じことをする。これでは、個性は育たない。また、人生が何であるは、分からない。このことが子ども達の成長を、阻害していないだろうか。教育はしっかりと自分の意見を持ってするもの。それは周囲の意見を聞かないことではない。自己の意見がないと、周囲の本当の意見も知ることが難しいために、不要な意見に振る舞わされる。
 今日はチョット辛口だったかな。
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