教育の危機 「子どもの心 データで可視化」

教育の危機 「子どもの心 データで可視化」

 

昨日の朝日新聞の一面に、「子どもの心 データで可視化」と言う記事が載っていた。学校では、自殺予防やいじめ予防のためと言う。東京の渋谷区が「教育ダッシュボード」呼ばれる仕組みを導入したと言う。さいたま市でも来年度に導入予定の様だ。

いろいろな情報が共有できて効率的であると考えられているようだ。

 

ここまでくると日本の教育は、完全に機能を失っていると言える。教育は本来、人格のぶつかり合いであって、パソコンのデータなどによって効率化できるものではない。困っている児童・生徒に出会った時に、如何に接するかから始まっている。その始まりが無ければ、教育は成立しない。相手の状況を感知するのが人格で、そこからどのように情報を引き出せるかが勝負だ。パソコンのデータなどで、相手の求めていることを知ることは不可能である。

 

私は大阪に出かけた50年ほど前に、町ではすでに子ども同士が遊べる場所が少なく、社会的訓練が出来ないであろうと危惧した。今その世代の人たちが教育を担っていることになる。喧嘩やその後の仲直りの経験が浅く、人の心の葛藤を経験する機会が少なくなっていたであろう。

 

大阪に居たときには、市大の医学部に居た。大阪大学を出てきた上司が、医学部で医学概論をできる人材がいなくなったと嘆いていた。医学概論とは、医学学習の最終段階で、医学とはどのような学問であるかを講義する医学哲学である。医学は、患者と病気の関係を見て判断することの重要性を教える分野である。

 

現在では、多くの医者が患者をほとんど見ていない。病気だけを検査の数値から見て薬を出している。これでは病気と疾患の関係はほとんど見られない。

一部の地方の在宅医療を行っているお医者さんは、きちんと患者と病気の関係を見ているであろう。日本の医療は、この様な基本を忘れては良い方向には進まない。

 

同じようなことが教育の現場で起こっていると思われる。これでは教育の崩壊である。

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