きのむくままに

或る日の出来事

金子みすず展

2012-08-30 | Weblog

 

友人から 入場券をいただいたのででかけました。

最終日だったせいか、展示が読むのに時間がかかるせいか?

凄ーい行列でした。

 

金子みすず 
 

明治36年(1903年)4月11日、山口県長門市仙崎生まれ、郡立大津高女卒業、20歳のころ下関に移り住み童謡を書き始める。雑誌「童謡」などに投稿、西条八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と激賞され、一躍当時の童謡詩人たちの羨望の的となるが、昭和5年(1930年)3月10日、26歳の若さで自らの命を絶ち、幻の童謡詩人と言われた。児童文学者 矢崎節夫氏の熱意により、昭和57年(1982年)、半世紀もの間埋もれていた512編の遺稿が見出され、注目をあびる。自然や小さないきものたちの喜びや悲しみを深く温かな感性で見つめてつづった彼女の数々の詩は、多くの人に感動を与え続けている

 

「 みすず」の詩はどれも 心をうつものばかりで

ずーっと前から 詩集を読んだりしておりました。

 

         

               みすずが母 みちに送った葉書

 

 波乱の人生を送り 若くして自らの命を絶った

みすずの生涯は 切ない

 

 

                         

              遺品 みすずの着物

「南京玉」はみすずの遺書

       昭4年(1929)10月後半から
     翌5年(1930)2月9日まで、
     娘ふさえさんの片言を書き留めた手帳
     
      ブウチャン(ふさえさん)モ象ガ欲シイネ、
      オカアチャン(みすず)ト、ブウチャント、
      象ニノッテユクネ、アシタ

     行間に母の愛がにじみ出ている。

娘 ふさえ(現在84)さんは、母の自殺について長い間疑問に思っていたらしい。
     
     どうして一緒に連れていってくれなかったのか?と。
     
     だが、この遺書をみてショックを受け それからは、残りの人生に大きな光となったそうだ。


 「おさかな」            

 海の魚はかわいそう。

 お米は人につくられる、  
 牛は牧場で飼われてる、
 鯉もお池で麩を貰う。
 
 けれども海のおさかなは、
 なんにも世話にならないし、
 いたずらひとつしないのに、
 こうして私に食べられる。

 ほんとに魚はかわいそう。

みすずの詩はどれも純粋で 心にしみわたるが 

十数年前 始めて「みすずの詩集」に出会ったときに いちばん心に残った詩のひとつです。

切ない やるせない 感動の詩が いっぱい いっぱいありました。

 

 

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