きのむくままに

或る日の出来事

さくら便り⑧ 芸北 はそよ村・城岩・殿塚 郎塚・亀山八幡神社・地久院しだれ桜

2015-04-27 | Weblog

 

はそよ村

民話の語り部 深井氏の開かれている「はそよ村」

『は~そーよ~』と感心する言葉からつけられたそうだ

             

 

道中で用意したお弁当を食べながら 深井さんの民話を聞く。

 

城岩

巨岩城岩は、城岩山(標高829.6m)の頂上からやや北よりの傾斜地にあります。

岩の高さは東側5m、北側11m、西側9m、南側3m。岩の上面はほぼ四角形で、少し北面に傾いています。

広さは、周囲32m、広さ約30㎡あります。

別名八畳岩いいますが、雄鹿原合戦の時、栗栖権頭が一時この巨岩を根拠地として陣を敷いたので

、城岩と呼ばれるようになりました。

眼下には雄鹿原集落のおよそ7割が展開し、阿佐、冠、雲月、大佐掛頭等の山々が展望できます。

               

はしごを上ると 町が一望 

昇り降りが怖かった~(+o+)

                           

                         天狗の足跡?                         窪みを突くと 鼓のような響きが   
 

                                         岩に空洞があるからとのこと

 

殿塚・郎塚

芸北の一角「雄鹿原地区」は、室町時代8年という長期に及ぶ戦の、最終決戦の場となりました。

当時雄鹿原地区を治めていた安芸太田町(旧戸河内町)を居城とした「栗栖氏」と、

島根県の金城町を治めていた「福屋氏」との戦いです。

雄鹿原の人々は、福屋氏を応援し、戦にも協力して見事勝利したのですが・・・・・・・・。

それから「飢饉」や「災害」にみまわれる事になり、『栗栖氏のたたりなのでは・・』と住民は恐れおののいたそうです。

そこで、この塚をたてたり、近くの「亀山神社」で祀ったりして怒りを静めてもらおうとしたのだとか・・。

               

                   自刃した栗栖氏の墓「殿塚」                                       「従者7人の墓「郎塚」

 

亀山八幡神社

古来、奥山庄18ヶ村の総社として尊崇されてきた神社。

厳島大明神を境内に勧請しており、雄鹿原合戦に縁の栗栖権頭を祭った殿宮神社もあります。
 1597年新庄日野山城主吉川広家が社殿を再建寄進以来、鳥居などを建立、改建整備して今日に至っています。


 境内の杉は、樹齢400~600年と言われ、連木という、一つの根から数本が生える珍しい物です。

(町指定天然記念物) 

 

 

地久院しだれ桜

地久院はもと江亀山泉涌寺(こうきざんせんにょうじ)といい1470年に創建されましたが、中絶し、

1652年再建して天長山地久寺と号し、曹洞宗を広めました。

芸北旧二十四ヶ寺本寺であり、亀山八幡宮の別当寺でもありました。

明治五年太政官布告により、無檀無住の旨により廃寺となりました。


地久院の庭を飾っていたのが今のしだれ桜で、昭和18年の台風で倒伏したが村人の力で復旧されました。

平成15年、樹医による幹の修復がされ、樹勢を保って史跡に彩りを添えています。


胸高周囲3.2m、樹高10m、推定樹齢420年、町指定天延記念物

 

 見事なしだれ桜に感動しました。

すばらしかった❤

 

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