サークルのみんな25名で行ってきました
カンカン照りの暑い暑い道路をゾロゾロ歩いて会場へ
「暑い 暑い 暑い 暑い」と口々に連発しながら25分ほど歩いて
一年分?の汗かきかきようやく到着
木下サーカスの歴史
明治35年(1902年)、初代木下唯助は大陸に進出。
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戦時中も公演は続いたが、昭和18年(1943年)9月、鳥取で震災に遭い、行治・団長代理をはじめ、女性団員6名が死亡する悲運に見舞われた。
しかし、テントを罹災者の避難場所に提供して救援活動にあたりった。
※鳥取地震について
- 発生日時:1943年(昭和18年)9月10日17時36分
- 地震規模:M7.2
- 震源域:鳥取平野直下
- 最大震度:6(烈震) ※鳥取市にて記録
- 津波:陸震のためなし
- 死者:1083人
- 倒壊家屋:全壊7485
- 余震回数:100回
- 最大余震:1943年(昭和18年)9月11日 M6.2
- 被害総額:現在に換算して約200億円
鳥取地震は当時の鳥取県気高郡豊実町野坂川中流を震源に発生した。
鳥取市では震度6、遠く離れている岡山市では震度5を記録した。
ちなみにこの地震の被害の8割は最大震度を記録した鳥取市に集中している。
その理由は鳥取市が軟弱な地盤が主の鳥取平野に形成されていたからとされる。
そのため激しい揺れが発生し中心部にあった木造家屋が全て倒壊した。
(ちなみに鉄筋コンクリート建築は被害が少なかったとされている) さらに時間帯が夕食前であったことが災いし、
市内数か所にて火災が発生したものの、市民による必死のバケツリレーにより大火にならずに済んだ
戦時中で 市民は訓練などをしていた為 混乱はあまりなかったそうだ。
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また、昭和28年(1953年)5月、出雲大社が火災になったとき、団員が消火作業で大活躍。
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赤い丸テントの創始
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私が子供の頃学校から 何度も観に行った記憶がある 今年で111年の歴史をもつそうだ
「矢野サーカス」も行った記憶があるが 初代 木下唯助の弟の経営だったそうだ(今は廃業)
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外は猛暑日 炎天下から テント内に入ると
なんと!涼し~い
平日なのに沢山の観客が入っていて ちょっと驚き
※ 会場内は撮影禁止の為 以下の写真はホームページ、などからの引用です
キリン・像・シマウマなど 動物たちも活躍
動物たちはこの暑さの中 狭いゲージに入れられ ふうふういってるんでは?
可哀そうな気がした・・・
珍しい ホワイトライオンなどの「ライオン」の演技
なんだか「しぶしぶ」やってるみたいだったが
怖い猛獣が 調教師の指示に従う様に 思わず観客から拍手!
間髪いれず 次々繰り広げられる 演目に 息をのむ
迫力のある演技
久々に観たサーカス 楽しかった~
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終わった後またまたカンカン照りの中を帰路に
「駅から15分なんて! 25分もかかった タクシーで来りゃあよかった!」
「タクシーが常駐しとったらいいのにねぇ」
「来る時も看板が殆どなくて人に聞き聞きjだったし・・・」
「バスでも出りゃあいいのにねぇ」
暑い中 おばさん連中が 好き勝手云いながら・・・
あーぁ 「暑かったーぁ」 ぐったり(>_<)
これだけ汗かいたのに 体重200g増加
余計に疲れが増す!<`ヘ´>!