JR福知山線の脱線事故から今日で一年。
追悼行事や、遺族、被害者の方へのアンケートなどが行われていますね。
ちょうど私はあの日仕事に行っていて、事故が起きたのを知ったのは、夕方になってからでした。
遺族や被害者の方へのアンケートで、さまざまな心の葛藤を聞くにつれ、ゆうちゃんを突然失った私たち家族にも重なる部分が多々あり、共感してしまいました。
大切な人を失ったことに対する拒否や怒り、悲しみや、納得のいかない思い。
生きている自分は生活をしていかなければいけないのに、何も手につかない。
元気が出ない。
亡くなった人を思い出しただけで涙が出てくる。
私たちと違うのは、その原因を求める相手(=JR西日本)がいるという点。
真相を知りたい気持ちは同じですが、私たちには、なぜゆうちゃんが死ななければいけなかったのか、原因を探り出す相手もいなければ、術もない。
責任を問おうとすれば、親である私たちに帰ってきてしまうのです。だからこそ、余計に辛く悲しいのです。
ただ、事故の被害者、遺族の方が、真相究明や、事故の保障をJRに求めるにしても、気力、体力を要し、実際に行動を起こせるかどうかは別問題ですよね。
辛くて事故に関することを何もする気になれないのも、よく分かります。
残された人は、今こうやって生きているだけで精一杯なんですよね・・・。
追悼行事や、遺族、被害者の方へのアンケートなどが行われていますね。
ちょうど私はあの日仕事に行っていて、事故が起きたのを知ったのは、夕方になってからでした。
遺族や被害者の方へのアンケートで、さまざまな心の葛藤を聞くにつれ、ゆうちゃんを突然失った私たち家族にも重なる部分が多々あり、共感してしまいました。
大切な人を失ったことに対する拒否や怒り、悲しみや、納得のいかない思い。
生きている自分は生活をしていかなければいけないのに、何も手につかない。
元気が出ない。
亡くなった人を思い出しただけで涙が出てくる。
私たちと違うのは、その原因を求める相手(=JR西日本)がいるという点。
真相を知りたい気持ちは同じですが、私たちには、なぜゆうちゃんが死ななければいけなかったのか、原因を探り出す相手もいなければ、術もない。
責任を問おうとすれば、親である私たちに帰ってきてしまうのです。だからこそ、余計に辛く悲しいのです。
ただ、事故の被害者、遺族の方が、真相究明や、事故の保障をJRに求めるにしても、気力、体力を要し、実際に行動を起こせるかどうかは別問題ですよね。
辛くて事故に関することを何もする気になれないのも、よく分かります。
残された人は、今こうやって生きているだけで精一杯なんですよね・・・。