見出し画像

朝の光(聖書の言葉)

19.希望 (菜の花を飾りて)

19.希望 (菜の花を飾りて)

ルカ12:22-34

(思い悩むな)


「思い悩むな」

(ルカ12:22)



 ヨハネの黙示録1章8節には,

次のように書いてあります。


「神である主,今おられ,

かつておられ,

やがて来られる方,

全能者がこう言われる。

『わたしはアルファであり,

オメガである。』」

(ヨハネの黙示録1章8節)


アルファはギリシャ語の

アルハァベートの一番初めの言葉であり,

オメガは最後の言葉です。


ですから,

「アルファであり,オメガである」

ということは

「初めであり,終わりである」

と言い換えることができます。


「初めであり,終わりである」

ということは,

神様が時間を超え,

時間を支配されているということを

示しています。


時間を支配されている

「今おられ,かつておられ,やがて来られる」

方に心を向け,

今年最初の礼拝を始めましょう。


この最初の集会の聖書の箇所として,

ルカによる福音書第12章22節から

34節の箇所を用いることにしました。



 
(ルカ1:1-4 献呈の言葉)


ルカによる福音書は冒頭の

献呈(けんてい)の言葉にありますように,

テオフィロという人に献呈された書物です。


その献呈の言葉として,

ルカはテオフィロという人に向かって,

「敬愛するテオフィロさま,

わたしもすべての事を

初めから詳しく調べていますので,

順序正しく書いて

あなたに献呈するのがよいと思います。」

(ルカ1:3)

と書いています。


すべてのことを詳しく調べ,

順序正しく書くという事は,

年代的にも順序正しく書くことであります。


だから,イエスさまの誕生の時も,

またヨハネが荒れ野で悔い改めを

宣教し始めた時も,

その時代の支配者たちの

事を記しているのです。


このことによって,

イエスさまがお生まれになった時は,

皇帝アウグストゥスの時代であり,

ヨハネが宣教を開始したのは,

皇帝ティベリウスの時代である事が

分かります。


年代的に書くということは,

限られた命を持つ人間の連続性を

求める営みであります。


皇帝アウグストゥスが

その生涯を終えても,

ローマ帝国の歴史は続くのです。

ルカはその福音書を書くに当たって,

この歴史性という事に

注目しているのです。      


福音書を書いたルカは使徒言行録も書き,

イエスさまの福音が使徒たちによって,

継続される歴史を書いているのです。


この継続性を持たせるものは

教育ではないでしょうか。


わたしたちはルカによる福音書と

使徒言行録を通して,

教会の歴史を受け継いでいくようにと

呼びかけられているのです。 




(ルカ12:13-34)

(「愚かな金持ち」のたとえ,

思い悩むな)


今日の「思い悩むな。」

(ルカ12:22)という聖書の箇所も,

弟子たちに対する教育として

受け取ることができます。         




(ルカ12:13―21)

(「愚かな金持ち」のたとえ)


この箇所は,

イエスさまのもとに

集まって来た群衆の一人が,

遺産相続の争いを解決してもらうために,

イエスさまに

「先生,

わたしにも遺産を分けてくれるように

兄弟に言ってください。」

(ルカ12:13)

と,お願いしたことで始まっています。


その願いに対して,イエスさまは

「だれがわたしを,

あなたがたの裁判官や調停人に

任命したのか。」

(ルカ12:14)

と,その願いを断ります。


周りにいる人たちに,

つぎのように言っています。


「どんな貪欲にも注意を払い,

用心しなさい。

有り余るほどの物を持っていても,

人の命は財産によって,

どうすることもできないからである。」

(ルカ12:15)


それから,

「愚かな金持ちの譬え」

をしてくださったのです。


その譬えの中で,

倉に納めきれないほどの

畑の収穫があった金持ちは,

「倉を壊して,

もっと大きいものを建て,

そこに穀物や財産をしまおう」

(ルカ12:19)

と,算段するのです。 


この金持ちの有頂天になっている思いを

「さあ,

これから先何年も生きていくだけの

蓄えができたぞ。

ひと休みして,

食べたり飲んだりして楽しめ」

(ルカ12:19)

という言葉で示します。


その後で,神さまの言葉として,

イエスさまは,

「愚かな者よ,

今夜,お前の命は取り上げられる。

お前が用意した物は,

いったいだれのものになるのか」

(ルカ12:20)

とお語りになった後で,

「自分のために富を積んでも,

神の前に豊かにならない者は

このとおりだ。」

(ルカ12:21)

と,おっしゃったのです。


この

「自分のために富を積んでも,

神の前に豊かにならない者は

このとおりだ。」

(ルカ12:21)

という言葉を受けて,


イエスさまは「思い悩むな」という教えを

弟子たちになされるのです。


ここにもルカが順序正しく書き,

イエスさまの教えを

理解するのに役に立つのです。




(ルカ12:22-34 思い悩むな)


神様の前に豊かな生活とは

「思い悩みのない生活」です。

そのことをイエスさまは烏のことを考えさせ,

また野原の花がどのようにして育つかを

考えさせる事によって示し,

「神の国を求めなさい。」(ルカ12:31)

とはっきりした目標を示し,

そうすれば

「必要なものは加えて与えられる。」

(ルカ12:31)

と保証してくださっているのです。


この「神の国を求めなさい。」

という目標を与えられた弟子たちによって,

イエスさまの教えは宣べ伝えられ,

教会の歴史が続いていくのです。


使徒言行録はイエスさまの教えが

どのように伝えられていったかを示す

記録です。


わたしたちもまた「神の国」を求め続け,

教会の歴史を受け継いでいきましょう。


「神の国」を求め続け,

この神の国をわたしたちの宝とするときに,

「必要なものは加えて与えられる」からです。            


                    
「ただ,神の国を求めなさい。

そうすれば,

これらのものは加えて与えられる。」

(ルカ12:31)



(2007年1月16日) 

(松隈 貞雄 牧師)


☆彡


ルカ12:22-34 (思い悩むな)

それから,
イエスは弟子たちに言われた。
「だから,言っておく。
命のことで何を食べようか,
体のことで何を着ようかと思い悩むな。
命は食べ物よりも大切であり,
体は衣服よりも大切だ。
烏のことを考えてみなさい。
種も蒔かず,刈り入れもせず,
納屋も倉も持たない。
だが,神は烏を養ってくださる。
あなたがたは,
鳥よりもどれほど価値があることか。
あなたがたのうちのだれが,
思い悩んだからといって,
寿命をわずかでも延ばすことができようか。
こんなごく小さな事さえできないのに,
なぜ,ほかの事まで思い悩むのか。
野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。
働きもせず紡ぎもしない。
しかし,言っておく。
栄華を極めたソロモンでさえ,
この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。
今日は野にあって,
明日は炉に投げ込まれる草でさえ,
神はこのように装ってくださる。
まして,あなたがたにはなおさらのことである。
信仰の薄い者たちよ。
あなたがたも,何を食べようか,
何を飲もうかと考えてはならない。
また,思い悩むな。
それはみな,
世の異邦人が切に求めているものだ。
あなたがたの父は,
これらのものがあなたがたに必要なことをご存じである。
ただ,神の国を求めなさい。
そうすれば,
これらのものは加えて与えられる。
小さな群れよ,恐れるな。
あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。
自分の持ち物を売り払って施しなさい。
擦り切れることのない財布を作り,
尽きることのない富を天に積みなさい。
そこは,盗人も近寄らず,虫も食い荒らさない。
あなたがたの富のあるところに,
あなたがたの心もあるのだ。」


2019-06-18


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「説教」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事