イエスの生涯 14 一羽の雀
神はわたしたちが困難なとき,
助けてくださいます。
困難に会うと,
狭い所に入れられたようになります。
神は,そこから助けてくださいます。
○
一羽の雀
(ルカ12:6)
「五羽の雀が二アサリオンで
売られているではないか。
だが,その一羽さえ,
神がお忘れになるようなことはない。」
雀は貧しい者の食べ物として,
2羽が1アサリオン売られていたので,
(マタイ10:29),
5羽目の雀は,
4羽で2アサリオンに
おまけされたものです。
神はおまけの雀さえも
守ってくださっています。
もちろん,神はわたしたちをも
守ってくださっています。
○
わたしはあなたを愛している
(イザヤ書43:4)
「わたしの目には,
あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」
神の造られた民も
この民は不従順でした。
この民の罪と苦難をとおして,
神が働き,ご自身が神であることを,
全世界に示します。
この神は,
イエス・キリストの愛として
あらわれました。
イエス・キリストの
十字架の業によって,
私たちの罪を赦してくださいます。
十字架は,
神の私たちの愛の現れです。
○
主の慈しみ
(哀歌3:22-24)
「主の慈しみは決して絶えない。
主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。
『あなたの真実はそれほど深い。
主こそわたしの受ける分』
とわたしの魂は言い,
わたしは主を待ち望む。」
わたしは,初めの就職に,
十分な仕事が与えられませんでした。
苦しい仕事の日々に,
この言葉を繰り返し
読むことで希望がわきました。
そして,この言葉は,
わたしの大切な御言葉となりました。
私は聖書の通読によって,
哀歌に出会えました。
わたしは,この言葉によって,
希望を持つことができたのです。
エレミヤは,次のような苦しみの後,
「主の慈しみ」に会ったのです。
(哀歌3:1)
「わたしは,
主の怒りの杖に打たれて
苦しみを知った者。」
(哀歌3:17-19)
「わたしの魂は平和を失い,
幸福を忘れた。
わたしは言う,
『わたしの生きる力は絶えた,
ただ主を待ち望もう』と。
苦汁と欠乏の中で,
貧しくさすらったときのことを」
「父の神の真実」(ワーシップ)
1.
父の神の真実は
とこしえまで 変わらず
いつくしみとあわれみは
尽きることがありません
すばらしい主
その真実は
朝ごとに新しく
深い恵み知らされて
賛美します
主の御名
2.
罪を赦し
平安を
主は与えて
励まし
力に満ち
祝福に
あふれさせてくださる
すばらしい主
その真実は
朝ごとに新しく
深い恵み知らされて
賛美します
主の御名
(讃美歌第二編,191番)
「主のまことはくしきかな」)
○
神の慰め
(2コリント1:4)
「神は,
あらゆる苦難に際して
わたしたちを慰めてくださるので,
わたしたちも
神からいただくこの慰めによって,
あらゆる苦難の中にある人々を
慰めることができます。」
パウロは,
アジア州(今日のトルコ)で,
大きな苦難にあいました。
(2コリント1:8)
「兄弟たち,
アジア州でわたしたちが
被った苦難について,
ぜひ知っていてほしい。
わたしたちは耐えられないほど
ひどく圧迫されて,
生きる望みさえ失ってしまいました。」
イエス・キリストを信じていても,
困難や,悩み,苦しみを
経験することがあります。
わたしたちが苦難に会うのは,
イエス・キリストの慰めを
受けるためであり,
また,苦難にある人々を
慰めるためだといいます。
(2コリント1:3-5)
「わたしたちの主
イエス・キリストの父である神,
慈愛に満ちた父,
慰めを豊かにくださる神が
ほめたたえられますように。
神は,
あらゆる苦難に際して
わたしたちを慰めてくださるので,
わたしたちも
神からいただくこの慰めによって,
あらゆる苦難の中にある人々を
慰めることができます。
キリストの苦しみが満ちあふれて
わたしたちにも
及んでいるのと同じように,
わたしたちの受ける慰めも
キリストによって
満ちあふれているからです。」
○
死者を復活させる神を頼る
(2コリント1:9)新共同訳
「『わたしたちとしては
死の宣告を受けた思いでした。
それで、自分を頼りにすることなく,
死者を復活させてくださる
神を頼りにするようになりました。』
パウロは自分の苦難は,
死者を復活する
信仰を強められるためでした。」
パウロがあった苦難は,
死者を復活させる神以外,
救いがないと考えました。
○
ヨナ - キリストの復活
(ヨナ1:27)
「主は大きな魚を備えて,
ヨナをのみこませた。
ヨナは三日三晩,
魚の腹の中にいた。」
(ヨナ2:10)
「主は,魚に命じ,
ヨナを陸地に吐き出させた。」
ヨナが三日三晩,魚の腹にいて,
そこから行きかえらされたことは,
キリストの型です。
イエス・キリストは,
十字架につけられ,
墓の中に葬られ,
3日ののちによみがえりました。
わたしたちが苦しみから
助けてくださるのは,
わたしたちを苦しみの穴から,
引き出してくださる
イエス・キリストです。
☆
神の救いの体験は,
穴から引き出されるようです。
ヨナの体験はメシヤの復活の型でした。
イエス・キリストは,十字架につけられ,
墓の中に葬られ,
3日ののちによみがえりました。
イエス・キリスト自身,
律法学者に次のように言っています。
(マタイ12:38-40)
「そのとき,律法学者,
パリサイ人たちのうちのある者が
イエスに答えて言った。
『先生。
私たちは,
あなたからしるしを
見せていただきたいのです。』
しかし,イエスは答えて言われた。
『悪い,
姦淫の時代はしるしを求めています。
だが預言者ヨナのしるしのほかには,
しるしは与えられません。
ヨナは三日三晩
大魚の腹の中にいましたが,
同様に,人の子も三日三晩,
地の中にいるからです。』
穴からの救出は,
イエスの復活の型であり,
わたしたちに救いを
教えてくれています。
聖書の中では,
穴から救出されることは,
多くの人が体験しました。
○
創世記のヨセフの体験
(創世記37:22)
「ルベンは続けて言った。
『血を流してはならない。
荒れ野のこの穴に投げ入れよう。
手を下してはならない。』
ルベンは,
ヨセフを彼らの手から助け出して,
父のもとへ帰したかったのである。」
ヨセフは兄弟から,
荒れ野の穴に投げ入れようとします。
ヨセフはその後エジプトで,
監獄に入れられる経験もします。
○
ダニエルの救い
(ダニエル3:15)
「今,角笛,横笛,六絃琴,
竪琴,十三絃琴,風琴など
あらゆる楽器の音楽が
聞こえると同時にひれ伏し,
わたしの建てた金の像を
拝むつもりでいるなら,
それでよい。
もしも拝まないなら,
直ちに燃え盛る炉に投げ込ませる。
お前たちをわたしの手から
救い出す神があろうか。」
ダニエルは,助け出されます。
多くの旧約聖書の人々が,
閉じ込められた穴から
救い出されました。
使徒行伝では,
ペテロ,ヨハネ,パウロも
獄に入れられ助け出される
経験をします。
○
パウロもペテロも監獄に入れられ
救われます。
これらの体験は,
イエス・キリストの十字架,
埋葬,復活の型になっています。
わたしたちもまた,
このイエスの生涯に倣うものです。
○
苦難から希望へ
(ローマ5:1-6)
「このように,
わたしたちは信仰によって
義とされたのだから,
わたしたちの
主イエス・キリストによって
神との間に平和を得ており,
このキリストのお陰で,
今の恵みに信仰によって導き入れられ,
神の栄光にあずかる希望を
誇りにしています。
そればかりでなく,
苦難をも誇りとします。
わたしたちは知っているのです,
苦難は忍耐を,
忍耐は練達を,
練達は希望を生むということを。
希望はわたしたちを
欺くことがありません。
わたしたちに
与えられた聖霊によって,
神の愛が
わたしたちの心に
注がれているからです。」
忍耐することは,
私たちには必要なことです。
私にとって忍耐は長く感じましたが,
神にはちょうど良い時でした。
(伝道3:1)
「天の下では,
何事にも定まった時期があり,
すべての営みには時がある。」
(伝道3:11)
「神のなさることは,
すべて時にかなって美しい。
神はまた,
人の心に永遠を与えられた。
しかし人は,
神が行われるみわざを,
初めから終わりまで
見きわめることができない。」
人の時間と神の時間は
違うようです。
私たちには長いと思う時も,
神にはちょうど良い時なのです。
○
パウロの体験
(2コリント1:8-10)
「兄弟たちよ。
私たちがアジヤで会った
苦しみについて,
ぜひ知っておいてください。
私たちは,非常に激しい,
耐えられないほどの圧迫を受け,
ついにいのちさえも危くなり,
ほとうに,
自分の心の中で死を覚悟しました。
これは,もはや自分自身を頼まず,
死者をよみがえらせてくださる神に
より頼む者となるためでした。
ところが神は,
これほどの大きな死の危険から,
私たちを救い出してくださいました。
また将来も救い出してくださいます。
なおも
救い出してくださるという望みを,
私たちはこの神に置いているのです。」
パウロの生涯は,イエスの十字架と
復活の後をたどる生涯です。
イエスが弟子たちに
話したとおりであり。
(マタイ16:24,25)
「それから,
イエスは弟子たちに言われた。
「だれでもわたしについて
来たいと思うなら,
自分を捨て,自分の十字架を負い,
そしてわたしについて来なさい。
だれでも
わたしについて来たいと思うなら,
自分を捨て,自分の十字架を負い,
そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い,
わたしのためにいのちを失う者は,
それを見いだすのです。」
また霊的な体験ともなります
(ガラテヤ2:20)
「私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が肉にあって生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった神の御子を
信じる信仰によっているのです。」
○
神の時
(コヘレト3:1-11)
「何事にも時があり,
天の下の出来事には
すべて定められた時がある。
生まれる時,死ぬ時,
植える時,植えたものを抜く時
殺す時,癒す時,破壊する時,建てる時
泣く時,笑う時,嘆く時,踊る時
石を放つ時,石を集める時,
抱擁の時,抱擁を遠ざける時
求める時,失う時,保つ時,放つ時
裂く時,縫う時,黙する時,語る時
愛する時,憎む時,戦いの時,平和の時。
人が労苦してみたところで何になろう。
わたしは,神が人の子らに
お与えになった務めを見極めた。
神はすべてを時宜にかなうように造り,
また,永遠を思う心を人に与えられる。
それでもなお,
神のなさる業を始めから終りまで
見極めることは許されていない。」
わたしたちは,
苦しい時は長いと感じます。
しかし,それは必要な時であり,
神にはちょうど良い時なのです。
○
逃れる道
(1コリント10:13)
「あなたがたを襲った試練で,
人間として耐えられないようなものは
なかったはずです。
神は真実な方です。
あなたがたを耐えられないような
試練に遭わせることはなさらず,
試練と共に,それに耐えられるよう,
逃れる道をも
備えていてくださいます。」
わたしたちが試練にあったとき,
忍耐が必要です。
その忍耐は,神が与えてくださいます。
絶望しないで,神を待つと,
逃れる道,助けの道が与えられます。
○
主に信頼する者
(詩編32:40)
「神に逆らう者は悩みが多く,
主に信頼する者は慈しみに囲まれる。」
主に信頼するなら,
主は答えてくださいます。
○
共にいるイエス
(マタイ28:20b)
「わたしは世の終わりまで,
いつもあなたがたと共にいる。」
私たちが苦しいときにも,
イエスはわたしたちと共にいます。
イエス・キリストは生まれる前から,
世の終わりまで,
永遠に私たちとともにいます。
☆彡
(マタイ28:16-20)
「十一人の弟子たちはガリラヤに行き,
イエスが指示しておかれた山に登った。
そして,イエスに会い,ひれ伏した。
しかし,疑う者もいた。
イエスは,近寄って来て言われた。
『わたしは天と地の一切の権能を
授かっている。
だから,あなたがたは行って,
すべての民をわたしの弟子にしなさい。
彼らに父と子と聖霊の名によって
洗礼を授け,
あなたがたに命じておいたことを
すべて守るように教えなさい。
わたしは世の終わりまで,
いつもあなたがたと共にいる。』」
イエスがこの世に来られたのは,
神がわたしたちと共にいることを
示すためでした。
(マタイ1:23)
「見よ,
おとめが身ごもって男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
この名は,
「神は我々と共におられる」
という意味である。
○
神は助けてくださる
(詩編22:25)
「主は貧しい人の苦しみを,
決して侮らず,
さげすまれません。
御顔を隠すことなく,
助けを求める叫びを
聞いてくださいます。」
神が,
わたしたちを助けてくださることは,
聖書の中のいたるところにあります。
(詩編34:18)
「主は助けを求める人の叫びを聞き,
苦難から常に彼らを助け出される。」
(詩編46:2)
「神はわたしたちの避けどころ,
わたしたちの砦。
苦難のとき,
必ずそこにいまして助けてくださる。」
(詩編91:15)
「彼がわたしを呼び求めるとき,
彼に答え,苦難の襲うとき,
彼と共にいて助け,
彼に名誉を与えよう。」
(詩編107:6)
「苦難の中から
主に助けを求めて叫ぶと,
主は彼らを
苦しみから救ってくださった。」
(箴言11:8)
「神に従う人は
苦難に陥っても助け出され,
神に逆らう者が代わって
そこに落とされる。」
(ヨナ2:3)
「苦難の中で,
わたしが叫ぶと,
主は答えてくださった。
陰府の底から,
助けを求めると,
わたしの声を聞いてくださった。」
(使徒10:38)
「ナザレのイエスのことです。
神は,聖霊と力によってこの方を
油注がれた者となさいました。
イエスは,
方々を巡り歩いて人々を助け,
悪魔に苦しめられている人たちを
すべていやされたのですが,
それは,
神が御一緒だったからです。」
(ヘブル2:18)
「事実,御自身,試練を
受けて苦しまれたからこそ,
試練を受けている人たちを
助けることがおできになるのです。」
○
神の栄光にあずかる
(ローマ5:2)
「このキリストのお陰で,
今の恵みに信仰によって導き入れられ,
神の栄光にあずかる希望を
誇りにしています。」
信仰者にも苦難がありますが,
そこには神にある希望があります。
(2コリント1:7)
「あなたがたについて
わたしたちが抱いている希望は
揺るぎません。
なぜなら,
あなたがたが苦しみを
共にしてくれているように,
慰めをも共にしていると,
わたしたちは知っているからです。」
○
あなたの民をお救いください。
(エレミヤ31:17)
「主はこう言われる。
ヤコブのために喜び歌い,喜び祝え。
諸国民の頭のために叫びをあげよ。
声を響かせ,賛美せよ。そして言え。
『主よ,あなたの民をお救いください。
イスラエルの残りの者を。』」
○
御言葉を与えられる
(アモス3:7)
「まことに,神である主は,
そのはかりごとを,
ご自分のしもべ,
預言者たちに示さないでは,
何事もなさらない。」
主は必ず預言者に,
これからなされることを示されます。
旧約聖書の時代,
神は預言をしないで,
大きなことを行なうことは
ありませんでした。
○
神の言葉の成就
(ルカ24:44)
「わたしについて
モーセの律法と預言者と詩篇とに
書いてあることは,
必ず全部成就するということでした。」
イエス・キリストは復活し,
弟子に語ったものです。
イエスは,
「モーセの律法と預言者と詩篇」
すなわち,旧約聖書の預言は
イエス・キリストが
成就したといいます。
その中心は,十字架と復活でした。
(ルカ24:46,47)
「次のように書いてあります。
キリストは苦しみを受け,
三日目に死人の中からよみがえり,
その名によって,
罪の赦しを得させる悔い改めが,
エルサレムから始まって
あらゆる国の人々に宣べ伝えられる。」
今も,神はわたしたちに,
大切なことをなされるとき,
聖書の言葉を
あたえてくださることがあります。
○
永遠の命を得る
(ヨハネ3:16)
「神は,
その独り子をお与えになったほどに,
世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
神は,ご自身さえも与えてくださいます。
神は,わたしたちに必要なもの
すべてを与えてくださいます。
それだけでなく,
イエスはご自身をわたしたちに
与えてくださいます。
神は,その一人子をわたしたちに
与えてくださいました。
☆
(コロサイ3:1)
「あなたがたは,
キリストと共に
復活させられたのですから,
上にあるものを求めなさい。
そこでは,
キリストが神の右の座に
着いておられます。」
○
主の御言葉への渇き
(アモス8:11)
「見よ,その日が来ればと,
主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく,
水に渇くことでもなく,
主の言葉を聞くことのできぬ
飢えと渇きだ。」
「み言葉をください」(新聖歌41)
1.
み言葉をください
降りそそぐ雨のように 恵みの主よ
飢えと渇きに あえぎくるしみ
やみじさすらう いのちのために
2
み言葉をください
吹く風のように強く 救いの主よ
からみつく罪 根こそぎされて
いのちあらたに 芽生えるために
3
み言葉をください
草におく露のように いのちの主よ
人と人との こころかよわず
乱れあらそう 世界のために
○
聖書の慰め
(ローマ15:4)
「かつて書かれた事柄は,
すべてわたしたちを
教え導くためのものです。
それでわたしたちは,
聖書から忍耐と慰めを学んで
希望を持ち続けることが
できるのです。」
わたしたちは,
聖書の言葉によって,慰められます。
パウロは,神から慰められ,
喜んでいました。
そして,
人々を慰めることが出来ました。
(2コリント7:4)
「わたしはあなたがたに
厚い信頼を寄せており,
あなたがたについて
大いに誇っています。
わたしは慰めに満たされており,
どんな苦難のうちにあっても
喜びに満ちあふれています。」
(2コリント1:4)
「神は,あらゆる苦難に際して
わたしたちを慰めてくださるので,
わたしたちも神からいただく
この慰めによって,
あらゆる苦難の中にある人々を
慰めることができます。」
○
「喜びなさい。」
(ピリピ4:4)
「主において常に喜びなさい。
重ねて言います。喜びなさい。」
笑い,喜びは,
イエスを信じることから
与えられます。
喜びは,御霊の実だからです。
(ガラテヤ5:22,23a 新改訳)
「御霊の実は,愛,喜び,平安,
寛容,親切,善意,
誠実,柔和,自制です。」
新共同訳
2017年10月29日
H.K