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朝の光(聖書の言葉)

イエス・キリスト 1  H.N


イエス・キリスト1

(H)
 



聖書のことば

(2テモテ3:16)
「聖書はすべて,
神の霊感によるもので,
教えと戒めと矯正と
義の訓練とのために有益です。」


ここでの「聖書」とは,

旧約聖書のことですが,

新約聖書にも当てはまります。


神は私たちに,

聖書の言葉と聖霊を与えて,

導いてくださいます。




イエスの降誕

(ルカ2:11-14)

「『きょうダビデの町で,
あなたがたのために,
救い主がお生まれになりました。
この方こそ主キリストです。
あなたがたは,
布にくるまって飼葉おけに寝ておられる
みどりごを見つけます。
これが,あなたがたのためのしるしです。』
すると,たちまち,
その御使いといっしょに,
多くの天の軍勢が現れて,
神を賛美して言った。
『いと高き所に,栄光が,
神にあるように。
地の上に,平和が,
御心にかなう人々にあるように。』」


神の子は,

無防備なみどりごとして,

生まれました。


そこに神の栄光を現すためでした。


弱い者,働くことのできない者を

神が用いることを示すためでした。




人間となられたキリスト

(ピリピ2:6,7)

「キリストは神の御姿である方なのに,
神のあり方を捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。」


神はわたしたちと

変わらない人となりました。


無力さによって,

力に打ち勝てることを示しています。


ここに神の愛が示されています。


☆彡


(ピリピ2:6-11)
「キリストは神の御姿である方なのに,
神のあり方を捨てられないとは考えず,
ご自分を無にして,
仕える者の姿をとり,
人間と同じようになられました。
人としての性質をもって現れ,
自分を卑しくし,死にまで従い,
実に十字架の死にまでも従われました。
それゆえ神は,
この方を高く上げて,
すべての名にまさる名を
お与えになりました。
それは,イエスの御名によって,
天にあるもの,地にあるもの,
地の下にあるもののすべてが,
ひざをかがめ,
すべての口が,
『イエス・キリストは主である』
と告白して,
父なる神がほめたたえられるためです。」




8つの幸い 

(マタイ5:3-12)
「心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。
その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。
その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。
その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。
その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだから。
わたしのために人々が
あなたがたをののしり,
迫害し,
ありもしないことで悪口を浴びせるとき,
あなたがたは幸いです。
喜びなさい。喜びおどりなさい。
天ではあなたがたの報いは大きいから。
あなたがたより前にいた預言者たちを,
人々はそのように迫害したのです。」


イエスの教えであると共に

イエスご自身の姿でもあります。

無力な神の姿を現しています。


このイエスの教えによって,

わたしたちは,

弱い人びとと共に生きることを

知ることが出来ます。


山上の説教の初めの箇所ですが,

この箇所は「8つの福音」です。





花の一つ

(マタイ6:28-30)
「なぜ着物のことで心配するのですか。
野のゆりがどうして育つのか,
よくわきまえなさい。
働きもせず,紡ぎもしません。
しかし,わたしはあなたがたに言います。
栄華を窮めたソロモンでさえ,
このような花の一つほどにも
着飾ってはいませんでした。
きょうあっても,
あすは炉に投げ込まれる野の草さえ,
神はこれほどに装ってくださるのだから,
ましてあなたがたに,
よくしてくださらないわけが
ありましょうか。
信仰の薄い人たち。」


わたしたちが花の美しさに気づくなら,

そこに神が働き,

癒しの業もあらわれるのでしょう。




キリストに出会う 

(ヨハネ4:29)
「来て,見てください。
私のしたこと全部を
私に言った人がいるのです。
この方がキリストなのでしょうか。」


サマリヤの女は,

イエス・キリストについて

人々に話しました。




御霊

(ヨハネ3:6-8)
「肉によって生まれた者は肉です。
御霊によって生まれた者は霊です。
あなたがたは
新しく生まれなければならない,
とわたしが言ったことを
不思議に思ってはなりません。
風はその思いのままに吹き,
あなたはその音を聞くが,
それがどこから来て
どこへ行くかを知らない。
御霊によって生まれる者もみな,
そのとおりです。」


心の深みにおいて,

霊から霊へ,真理を伝えます。


心の深みにおいて,

霊から霊へ理解が出来ます。


イエスはすべてを知っておられました。


聖霊もまたすべてを知っておられます。




(ローマ8:26-27)
「御霊も同じようにして,
弱い私たちを助けてくださいます。
私たちは,
どのように祈ったらよいか
わからないのですが,
御霊ご自身が,
言いようもない深いうめきによって,
私たちのためにとりなしてくださいます。
人間の心を探り窮める方は,
御霊の思いが何かをよく知っておられます。
なぜなら,御霊は,神のみこころに従って,
聖徒のために
とりなしをしてくださるからです。」




祈り 

(マタイ26:40,41)

「それから,
イエスは弟子たちのところに戻って来て,
彼らの眠っているのを見つけ,
ペテロに言われた。
『あなたがたは,
そんなに,一時間でも,
わたしといっしょに
目をさましていることができなかったのか。
誘惑に陥らないように,
目をさまして,祈っていなさい。
心は燃えていても,肉体は弱いのです。』」


この言葉は,

イエス・キリストがゲッセマネで,

ペテロとヨハネに話しました。


祈りは,イエスと共にいることです。

イエスと共に人生を過ごすことです。




神の愛

(エペソ1:4,5)
「すなわち,
神は私たちを世界の基の置かれる前から
彼にあって選び,
御前で聖く,
傷のない者にしようとされました。
神は,みむねとみこころのままに,
私たちをイエス・キリストによって
ご自分の子にしようと,
愛をもって
あらかじめ定めておられました。」


神の聖霊の愛は,初めからのもので,

すべての人間の愛に先立っています。


わたしたちが神に愛されるのは,

わたしたちの身分,正確,努力,功績に

よりません。


天地を造られる前からの

神の一方的な愛によります。




いやし

(マルコ3:1-5)
「イエスはまた会堂に入られた。
そこに片手のなえた人がいた。
彼らは,
イエスが安息日にその人を直すかどうか,
じっと見ていた。
イエスを訴えるためであった。
イエスは手のなえたその人に
『立って真ん中に出なさい』と言われた。
それから彼らに,
『安息日にしてよいのは,
善を行うことなのか,
それとも悪を行うことなのか。
いのちを救うことなのか,
それとも殺すことなのか』と言われた。
彼らは黙っていた。
イエスは怒って彼らを見回し,
その心のかたくななのを嘆きながら,
その人に,
『手を伸ばしなさい』と言われた。
彼は手を伸ばした。
するとその手が元どおりになった。」


最も重いハンデを持った者が,

集まりの中心になっています。


イエス・キリストは最も弱い人を,

皆の中心に置きました。


弱い者を神は用いてくださるのです。


ここに,

神の愛,神の計画が隠されています。




世の弱い者を選ばれた

(1コリント1;27-29)
「しかし神は,
知恵ある者をはずかしめるために,
この世の愚かな者を選び,
強い者をはずかしめるために,
この世の弱い者を選ばれたのです。
また,この世の取るに足りない者や
見下されている者を,
神は選ばれました。
すなわち,
有るものをない者のようにするため,
無に等しいものを選ばれたのです。
これは,
神の御前でだれをも誇らせないためです。」


神は弱い者を選ばれました。

この弱い人が人々を結びつけているのです。





 H.N







2015.12.2


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