幼かったころ、私は誰に教えられるわけでもなく「八百万の神」を知っていたと思う。
使っていた鏡が割れてしまっとき、私は無造作にくずかごに放り込むような事はしなかった。
鏡の神様がいるような気がして、丁寧に何かに包んでそっとくずかごの中に入れながら、「ありがとうございました」とお礼を言って捨てた記憶がある。
父母にそうしなさいと言われたわけではない。
全てのものに神様がいる、全てのものは神様だと、なんとなく幼い心の奥底は知っていた気がする。
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小学1年生の時、初孫の私を可愛がってくれた、大好きだった祖父が死んだ。
悲しくて泣いた。
だけどそれは、祖父が死んでしまい、いなくなってしまい、会えなくなった事が悲しかったから、泣いたのではなかった。
寝かされた祖父を囲んで、その死を悲しむ大人たちの涙や姿を見て、私は泣いたのだ。
普段泣くことのない大きな体のおじたちや、母はもちろんいつも笑っているおばたちが、声を出して泣いているのを見て、私は泣いたのだ。
大人たちの、その悲しみの心を感じて、悲しくなって泣いたのだ。
「どうしてそんなに悲しいの?」
「みんな泣いてる・・・」
「悲しいよ・・・」と。
子供は、「死」という意味が何も分からないのではなく、生命(いのち)には終わりがないことを、知っているのだと思う。
だけど、『死んだら終わり』的な大人たちの悲しみを見て、生命(いのち)とはそういうものなのだと認識してしまう。
この日の私には、それが強く印象付けられ、潜在意識の中に刷り込まれた。
『死んだら終わり』の物質論的思考が、知らぬ間に子供のころの私の中で構築されていた。
それでも、しばらくは、祖父と会えなくなってからも、私はずっと祖父を感じる事が出来ていた。
違う世界から、私を見守ってくれている感覚を、私はずっと感じていた。
しかし、成長と共に、私の中に蓄積された「死」に対する唯物論的な知識は、一時期私を支配し、祖父の存在を遠ざけてしまった。
私を支配した物質論的な思考は、目に見えないものや感覚的なものを重視せず、目に見えるものや理性的なものに、価値を置き始めた。
やがて・・・自分の感覚で自分を生きない私は、鬱になった。
周囲に合わせた「自分」を、「本当の自分」として創り上げようとしたことで、私は「本当の自分」が分からなくなってしまった。
そこは、〝笑う〟や〝楽しい〟が無い・・・真っ暗な深い深い闇の世界だった。
私自身が微笑むこともなく、家族との会話も困難になった。
しかし、さまざまな導きが、私に自分らしい「本当の自分」を思い出させてくれた。
そして、【人間の魂は生き通しであり】【生命(いのち)は永遠であり】【死とは悲しいことではない】ことを、私は思い出すことが出来た。
鬱になったことで、結果的にそう思える心を、私はやっと取り戻すことが出来た。
再び、私は【終わりない生命(いのち)】である祖父を感じることが出来るようになった。
それは、私自身を含め、全ての人が【終わりない生命(いのち)】なのだということを、思い出した瞬間でもあった。
みんな、みんな、【終わりない生命(いのち)】なんだ!
<神子屋&愉快な認知ブログ掲載文・加筆修正>