神の御心のままに

文字、会話、夢などを通した真理

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『私は私を』

2018年04月27日 | 日記

「私は私でありたい」

「今を生きる私でありたい」

ずっとずっと、そういった生き方を選んできたのだから。

死を迎えるときが来ても、私は私の選択をちゃんとするだろう。


たとえ誰かに理解されなくても、私は私を理解しているから・・・。


出来事の全てに感謝を捧げます。

ありがとう。



<神子屋ブログ掲載文中>

カケラの詩『罪は無い』(再掲)

2018年03月17日 | 日記

人間智では理解不能の 繰り返す鎖の輪。

隠されたカラクリ 人類の業。


愛深き罪人の 善行と悪行。

罪深き善人の 悪業と善業。

角度で変わる 曖昧な正悪正邪。


他人を縛り影響与える 独占欲と自己顕示欲。

他人を非難し中傷する 裁き心と批判する心。


放った愛無き行為に 返ってくるは冷たい仕打ち。

投げつけた心無い言葉に 戻ってくるは冷ややかな声。


現れて知る 自らの種まき行為と己の罪。

味わって知る 他人の傷の深さと慈しみの愛。


現れ出でるは 鏡に映った過去の行いと己の姿。


自分の幻に腹を立て 切り裂く陰は生身の自分。

見ていたものは過去の行い 見えてたものはかつての自分。


自らの行為に足立ちすくみ 自らの盲目に愕然とする。

心に波打つ 罪の意識と罪悪感。


自然と湧き起こる 罪を購う贖罪意識。

誘う道順 鎖の回帰。


繰り返す鎖の輪を断ち切る術は 始めから終りまで 『罪は無い』。



<カケラの詩>


『私はやめない』

2017年10月25日 | 日記

私のことを 幼いと

私のことを 幼稚だと


誰もがそう笑っても

誰もがそう馬鹿にしても


私はやめない

人の奥底の「愛」について 語ることを


私はやめない

人の本当の「愛」の姿を 見つめることを



<初期文章・神子屋ブログ掲載文>


あなたの道を祝福しよう

2017年09月18日 | 日記

あなたが大事と思うことを、私も大事としよう。

・・・気持ちの上では・・・

あなたが楽しいと思うことを、私も一緒に楽しもう。

・・・違う視点から・・・


たとえ、まやかしの私がそれを阻止し、邪魔しようとしても、真実の私は知っている。

人にはそれぞれの道があり、そして、祝福されていることを。


私は、あなたの道を祝福しよう。

たとえあなたが、どんな道を選ぼうとも。


◎ ◎ ◎ ◎ ◎


自分の〝今〟の価値観は、〝今〟の自分をどう生かすかだけのもの。

だから、どんな関係に於いても、自分以外の人の生き方に、その価値観を当てはめてはいけない。


自分の生き方の中での違和感は、自分が進むべき方向への道標(みちしるべ)としては役に立つ。

しかし、他の人の生き方そのものに、自分の違和感を当てはめてはいけない。

人はそれぞれ、自分の生かし方の道があるのだから。


仮に、誰かの生き方に違和感を感じるならば、

それはただ、自分の奥底に、その生き方を受け入れようとはしない〝自分の思惑〟があるだけである。


その思惑とは、自分の人生において、その人との交わりを拒否することかも知れない。

その思惑とは、自分の人生において、その人のような生き方をしないという決意かも知れない。

そうやって、自分自身を生かす道もまた、祝福されている。


私は、あなたの道を祝福しよう。

たとえあなたが、どんな道を選ぼうとも。



<初期文章・神子屋ブログ掲載・加筆編集文>

私の死生観/終わりない生命(いのち)

2017年08月20日 | 日記

幼かったころ、私は誰に教えられるわけでもなく「八百万の神」を知っていたと思う。

使っていた鏡が割れてしまっとき、私は無造作にくずかごに放り込むような事はしなかった。

鏡の神様がいるような気がして、丁寧に何かに包んでそっとくずかごの中に入れながら、「ありがとうございました」とお礼を言って捨てた記憶がある。

父母にそうしなさいと言われたわけではない。

全てのものに神様がいる、全てのものは神様だと、なんとなく幼い心の奥底は知っていた気がする。


・・・・・・・・・・・・・


小学1年生の時、初孫の私を可愛がってくれた、大好きだった祖父が死んだ。

悲しくて泣いた。

だけどそれは、祖父が死んでしまい、いなくなってしまい、会えなくなった事が悲しかったから、泣いたのではなかった。

寝かされた祖父を囲んで、その死を悲しむ大人たちの涙や姿を見て、私は泣いたのだ。

普段泣くことのない大きな体のおじたちや、母はもちろんいつも笑っているおばたちが、声を出して泣いているのを見て、私は泣いたのだ。

大人たちの、その悲しみの心を感じて、悲しくなって泣いたのだ。

「どうしてそんなに悲しいの?」

「みんな泣いてる・・・」

「悲しいよ・・・」と。


子供は、「死」という意味が何も分からないのではなく、生命(いのち)には終わりがないことを、知っているのだと思う。

だけど、『死んだら終わり』的な大人たちの悲しみを見て、生命(いのち)とはそういうものなのだと認識してしまう。

この日の私には、それが強く印象付けられ、潜在意識の中に刷り込まれた。

『死んだら終わり』の物質論的思考が、知らぬ間に子供のころの私の中で構築されていた。


それでも、しばらくは、祖父と会えなくなってからも、私はずっと祖父を感じる事が出来ていた。

違う世界から、私を見守ってくれている感覚を、私はずっと感じていた。

しかし、成長と共に、私の中に蓄積された「死」に対する唯物論的な知識は、一時期私を支配し、祖父の存在を遠ざけてしまった。

私を支配した物質論的な思考は、目に見えないものや感覚的なものを重視せず、目に見えるものや理性的なものに、価値を置き始めた。


やがて・・・自分の感覚で自分を生きない私は、鬱になった。

周囲に合わせた「自分」を、「本当の自分」として創り上げようとしたことで、私は「本当の自分」が分からなくなってしまった。

そこは、〝笑う〟や〝楽しい〟が無い・・・真っ暗な深い深い闇の世界だった。

私自身が微笑むこともなく、家族との会話も困難になった。


しかし、さまざまな導きが、私に自分らしい「本当の自分」を思い出させてくれた。

そして、【人間の魂は生き通しであり】【生命(いのち)は永遠であり】【死とは悲しいことではない】ことを、私は思い出すことが出来た。

鬱になったことで、結果的にそう思える心を、私はやっと取り戻すことが出来た。


再び、私は【終わりない生命(いのち)】である祖父を感じることが出来るようになった。

それは、私自身を含め、全ての人が【終わりない生命(いのち)】なのだということを、思い出した瞬間でもあった。

みんな、みんな、【終わりない生命(いのち)】なんだ!



<神子屋&愉快な認知ブログ掲載文・加筆修正>

私の死生観/死を迎える喜び

2017年08月19日 | 日記

■清らかな魂/死を迎える喜び


彼女の命日が、私の「死」を通して「生」を見つめる日となった。

私にとって、一瞬一瞬を自分らしく、私を生き切れているかを再確認する日になった。


かつては、もう二度と彼女に会えなくなってしまったことに、自分の不甲斐ない行動に、後悔ばかりを募らせていた私・・・。

『もっと生きていて欲しかった!』そう思うと、泣いてばかりの私だった。


でも、「彼女の死」を機に〝今ここに生きる〟ことの大切さを学び、私が辿り着いた死生観(彼女からの贈り物)と信念は、私の人生をさらにより良いものとしてくれた。

彼女からの贈り物(死生観)、それを肝に銘じ実践してきた道程の果て、〝今を生き切る〟ことを意識してきた私は、この世には「完璧」以外は何もないと思えるようになった。

言い換えれば、【この世の全ては完璧である】と思うようになった。


「完璧」とは「完璧になる」ために追求するものではなく、自己の内にすでにあるもの。

人生の目的は、すでにある「完璧」を現し出し体験することが目的であり、「完璧になる」ことが目的ではないこと。

「完璧」とは「全て」ということ。

「全て」とは、(俗に言う)善も悪もであり、(俗に言う)良いも悪いもであり、(俗に言う)完全も不完全もであり、(俗に言う)長所も短所もであり、(俗に言う)出来ることも出来ないこともである。

・・・とにかく無限に全部のこと・・・


このことに気付いた私の中から、『もっと生きていて欲しかった!』という彼女に対しての、私の後悔とも思える願いはいつしか消え去った。

寿命の長短が良い悪いの物差しではないこと、「生きていて欲しいと願う悲しみ」も、相反する「死を待ちわび迎える喜び」も、両方あっていいのだと、全ては「完璧」の表現に過ぎなかったのだと理解できたから。

それに・・・何よりも、彼女は彼女の人生を見事に生き切り死を迎えたのだ。

みんなみんな、その人にしかない魂の目的があり、自分自身の人生を生き切り、誰かへの贈り物をちゃんと届け、(魂的には)喜んで死を迎えるのだろう。

みんな、知っているはず・・・死を迎える喜びを。



<神子屋&愉快な認知ブログ掲載文>


私の死生観/彼女が教えてくれたもの

2017年08月17日 | 日記

■清らかな魂/彼女が教えてくれたもの


「彼女の死」を通し、彼女が私に教えてくれたこと。

それは・・・【会おうと思えば会える〝今〟】【声を聞こうと思えば聞くことの出来る〝今〟】を大切にするということ!


「いつでもいいやあ~、今度でいっか~、いつかねえ~」

彼女に会いたいと思う気持ちを抱きながら、私はそんな風に過ごしてしまった。

彼女に会いたいというその時の自分の願いを、私は自分で叶えずに過ごした。


その後、私はなるべく先延ばしせず、人と会うようになった。

その時の自分の思いや気持ちを大切にして、ちゃんと相手に伝えようと思うようになった。

誰もが、いつどうなるかなんて分からないのだから!

明日はもう、会えなくなっているかも知れないのだから!

次の瞬間の保障など、何もないのだから!


〝今〟それが出来るということはとても貴重なこと。

〝今〟感じるその時の気持ちはかけがえのないもの。

誰かと共にいるという当たり前のこと、この世に共に存在するという当たり前のことが、本当はとても貴重でかけがえのない、『有り難い(ありえない)』奇跡なのかも知れないのだから!


「彼女の死」に対し、当時の私は悲しみと後悔と寂しさばかりだった。

でも、「彼女の死」は、〝今ここに生きる〟ことの大切さを私に教えてくれていた。


【この世に生きている〝今〟を大事にするということ】【生きていられる〝今〟に感謝するということ】、【死】というものがあればこそ、そんなことに改めて気付かされるのだ。

もしも、肉体的に【死】というものが無かったならば、【会おうと思えば会える〝今〟】【 声を聞こうと思えば聞くことの出来る〝今〟】、〝今ここに生きる〟ということを『有り難い(ありえない)』奇跡だと、心の底から本当に思うことは難しいのかも知れない。


ともすれば忌み嫌われる【死】というもの・・・、その【死】自体の素晴らしい意味合いを、私は彼女によって学んだ。

「彼女の死」を真正面から受け入れ、贈り物(死生観)を受け取った今の私には、「彼女は今も私と共にある」と、そう思える。

私はあなたであなたは私・・・私たちはひとつだから。




<神子屋&愉快な認知ブログ掲載文>


私の死生観/魂の目的

2017年08月16日 | 日記

■清らかな魂/魂の目的


彼女は私の大好きな友人だった。

姉のように私を愛してくれた。

私もまた彼女を姉のように慕っていた。

本当に本当に・・・大好きだった。


でも、私は彼女の心の苦しみを知らなかった。

彼女は自分の母親を愛せなかった。

顔も見たくないと思うほど、母親を愛せずにいた。

詳しい理由は今も分からない。

彼女の口から私に語られることは無かったから・・・。


思い出してみると、彼女はいつも母親を遠ざけていた。

母親のいる実家に帰ることはほとんど無かった。

母親に対する自分の気持ちが苦しかったのかも知れない。

母親を愛せない心とそんな自分を責める心。

彼女の優しい笑顔のその奥に、そんな葛藤があったことなど私は何も知らなかった。


彼女の胸にはしこりがあった。

肉体は心の影。

彼女の心の葛藤が、体のしこりとなって現れていた。

その事は、私も知っていた。


本来、親子は愛さずにはいられないように出来ている。

表面的にはどうであれ、そんな風にプログラムされている。

だから、絶対に、親を愛さない子供はいないし、子供を愛していない親もない。

親を愛せない子供や、子供に愛を現せない親、そういったプログラム通りにいかない親子の間には歪みが生まれる。

だけど、その歪みもまた、お互いの愛を知るためのものであったりする。

私はそう思う。


彼女の場合、心の葛藤からしこりを作り病気になった。

そして、逝ってしまうことにより母親の愛を引き出した。

彼女の最期には、病気の娘の看病をするうちに、母親としての深い愛を現すことの出来るようになった、彼女の母親がいた。

彼女の死後、彼女の母親はこう言った。

「あの子は、私が愛深い人間になるために、命懸けで導いてくれた神様でした」と。


自分の母親を導くために、彼女の魂はあった!

表面的な彼女の思いとは裏腹に、奥底の彼女の魂は自分の母親を愛して止まなかったのだ!

私にはそう思えた。


彼女に会いたいという長年の私の思いは、残念ながら叶わなくなってしまった。

おしゃれな彼女の髪がどんどん抜け落ちていくさまを、私は想像して泣いた。

でも、きっと、若くしてこの世を去った彼女の魂は、向こうの世界で微笑んでいるのだろう。

自分の母親を、深い愛に導くという目的を果たせた清らかな魂は、間違いなく安らかに違いない。


<神子屋&愉快な認知ブログ掲載文>


『ホントに本当を生きようよ!』

2017年05月31日 | 日記

困難に直面した人たちが私に言う。

「あなたは強いから・・」

「私はあなたみたいに強くないから・・」と。


それは違う。

私に強さがあるとするならば、それは困難の前からあるものではなく、困難の後に得られたものだ。


「強いから、強くなったら、困難を乗り切ることができる」

そう考える人たちがたくさんいる。

そうかも知れない、そういう人たちもいるだろう。

だけど、少なくとも私はそうではなかったし・・・今だって。


「強いから、強くなったら」・・・そんなの言い訳。

困難に立ち向かわない、自分への言い訳。

前へは進めない、グルグル回る堂々巡り。

真剣に立ち向かわない課題は必ず巡りやって来る。


逃げないで、お願い逃げないで!

大丈夫、大丈夫だから!

あなたの側には愛がある!

だって・・・本当はそれしかないのだから!

お願いだよ!

みんなホントに本当を生きようよ!


◎ ◎ ◎


私は純粋です、自分に正直です。

そこを外すと私は生きられません。

自分の心を、偽ること、飾ること、欺くこと、これらは私を傷付けます。

私は私を責め、自分を嫌いになってしまいます。

だから、私は困難から逃げることが出来ませんでした。

真っ正面からぶつかることしか出来ませんでした。

適当なことで自分を誤魔化すようなことが、私には出来なかったのです。

困難の中、自分の力ではどうにもならないことを悟った私には、祈ることしか残っていませんでした。

その頃に出会った言葉。

私を励まし、歩みを前へと進めてくれた二つの言葉。


・・・・・

神様

私に変えられないものを受け入れる平和な心と

変えられるものを変える勇気と

そのふたつの違いがわかる知恵を与えて下さい


・・・・・


私は太陽を信じる たとえ曇っていても 

私は愛を信じる たとえ目には見えずとも

私は神を信じる たとえ語りかけて下さらなくとも



<初期文章・神子屋ブログ掲載+加筆修正文>


常しえの恋文

2017年04月17日 | 日記

何が起きても、何も起こらなくても、

何かが変わっても、何かが変わらなくても、

私は変わらずあなたを愛してます。


どこにいても、どんな時も、

いつもあなたを想ってる。

ずっとずっと祈ってる。


約束したもの、ずっと昔に 今も。

あなたは私で私はあなた。


愛してる。

そのまま、ありのままのあなたを愛してる。



<初期文章・ラブレター>


信念

2017年04月17日 | 日記

この世は
一番善くなる素晴らしい世界です。

この世は
思った通りになる素晴らしい世界です。


◎ ◎ ◎ ◎ ◎


今まで生きてきた中で、

わだかまりを持った全ての人と

分かり合えることが出来たなら、

こんなに素敵なことはない!


私は信じてる。

きっと、そんな素晴らしい日が必ずやって来る!


◎ ◎ ◎



今此処
すでに願いは成就している。



<初期文章・神子屋ブログ掲載+加筆文>


伝えるべきもの

2017年04月08日 | 日記

姿・形を変え

輪廻転生を繰り返し

伝えたいもの、伝えたかったもの・・・。


それは

“愛してる”のたった一言。

“ありがとう”のたった一言。


ただそれだけ

他には何も要らない。


それがすべての唯一の想い。


それが人間の小さな真実。 

そして大きな眞(まこと)の姿。


◎ ◎ ◎


目の前にいるその人に

「あなたを愛しています!ありがとう!」と、

ただそれだけを言うために、私は此処にいた。

遥か何億光年の昔から、私はただそれだけを伝えようとしてきたのだった。


時には意地っ張りな性格からそれは言えず、

時には恥ずかしさと、勇気の無さからそれを伝えることが出来なかった。

またある時には、憎しみ合い敵対する関係に於いて、私はあなたを赦すことすら出来なかった。


でも・・今の私なら言える!伝えられる!

全ては愛しかないのだから、全ては善しかないのだから!

これらを知り光となった今の私は、全ての人すべてもの、そして大きな宇宙へ向かって伝えよう!


“私はあなたを愛してる!ありがとう!”



<初期文章・神子屋ブログ掲載文>


『感謝出来ないものなんて、この世にひとつも無いね 』

2017年04月06日 | 日記

この世界の成り立ちが、

全ては愛であるということを知った者は、

やがて善悪の垣根を超える。


何故この世が、善と悪・プラスマイナス・陰陽など二極性の世界であるのか?

何故そのうちの、悪やマイナスや陰な部分を体験せねばならないのか?

その真理を追求した者はやがて、全ては善で愛で光であることに気付く。


二極性があるからこそ、

悪やマイナスや陰な部分を体験出来るからこそ、

得ることが出来た大切な善やプラスや陽が必ずある。


全ては、愛を知るため、愛を現すためにあるということ。

愛より生まれ出ないものは、何ひとつ無いこと。


善悪の垣根を超えた者は、

感謝出来ないものなど、この世には無いことを知っている。



<初期文章・神子屋ブログ掲載文>


大きな愛

2017年04月04日 | 日記

この宇宙にいろんな星があり、体験出来ることがその星々で違うというのなら、

今この星『地球』で出来ること・・・。

三次元の世界/肉体的・物質的な世界。

二極性の世界/善と悪・プラスマイナスの世界。

制限の世界/常識・価値観・ルールなど。

これらの体験が、ここ『地球』でしか出来ないというのなら、

この星でしか出来ない体験を、思う存分楽しみたい!

どんな体験も、母なるあなたからの素晴らしい贈り物。

この母なる地球に、私は愛より生まれ愛によって体験する。


◎ ◎ ◎


ここ『地球』は二極性の世界。

全てが、愛で、光で、善であることを知ろうとするなら、

それとは全く逆の世界を体験する必要が出てくる。

「愛」を知るには、「愛で無いもの」と思えるもの。

「光」を知るには、「陰」と見えるもの。

「善」を知るには、「悪」と感ずるもの。

それぞれの世界が善い悪いでは決してなく、

『自分』を知るには『他人』の存在が必要なように、

対照となる役割が必ず必要なのだと思う。


それに・・・。

「愛で無いもの」と思えるのは、元々「愛」を知るからで。

「陰」と見えるのは、元々「光」を知っているわけで。

「悪」と感ずるのは、元々「善」を知っているからで。

元々を知らなきゃ体験出来ない対照となる世界。

素晴らしき二極性の賜物。

全ては、自分自身を表現するために与えられている機会の場、

地球の愛深い体験の場。

私たちは、地球の大きな愛に生かされている。



<初期文章・神子屋ブログ掲載文>


カケラの詩『霊的トビラ』

2017年04月02日 | 日記

繋がるポイント 濾過の地点

子宮は子の宮 宇宙からの入口。


高次の魂 産道というパイプを伝い 瞬間を移動して 肉体を持つ。

『世界』と『世界』が繋がる時 来るべき意識を持つ魂 今此処に。


眼の奥で観た マーブル状に交わる白と赤。

それは象徴 男女の液体 日本の国旗 白い魔法使いと赤い蛇。


全ての人に 同じようにある 魂的トビラ。

通ずる道が それぞれ違う 魂的トビラ。


太陽の光りのもとの 型破りな飛翔。

舞い飛ぶ蛍の輝きは 風流な交わり。

神の社の明かりの中の 神聖なる淫靡。


手の届かぬ奥深く 魂的トビラは開かずの扉。

マーブル状の交わりは 光り輝く鍵となり 私のその扉をそっと開いた。



<カケラの詩>