
(東京駅。これを見るたびいつもシシャモを連想する。)
この週末、電車で富山に行ってきた。
調べてみれば富山は18年ぶり。一人で泊まりがけの鉄道旅行自体、相当久しぶりである。全ての県に行ったことがある、と認識しつつも、JR乗りつぶしは大学2年生までのこと。47県もあれば、関東近県と帰省で通る東名道中央道沿道以外は、すっかりご無沙汰のところがいっぱいだ。富山に行って今一番は、福井、香川、熊本あたりだろうか。
で、久しぶりの富山、記憶が全くない。それもそのはず、前回は大学入学で上京直前の春。奈良から行ける範囲で近辺のローカル線を一気に片付けたようで、高岡に泊まった翌朝8:49に富山着、5分で富山港線に乗り換え、往復して9:43に戻ったかと思えば、45分後の高山本線で岐阜に向かっていた。それよりもこの記録を見ていて情けないのは、その前日の氷見線。3月だというのに17:54から往復している。車窓は全く見られなかったろう。こんなつまらぬ旅行をしていれば、そりゃイヤになるわな(「汽車の窓辺」参照)。
今回は、指定券が取れなかったこともあるが、朝は出勤するのとほぼ同時刻(久々の鉄道旅行に緊張して、東京駅には30分以上早く着いてしまった)の出発。一時間半で越後湯沢。ここで大勢がぞろぞろと誘導されながら、はくたか号に乗り継ぎ。六日町で上越線から分岐、ほくほく線に初乗車である。よく使われるフレーズ、新幹線のような高架線路を快走して、一昨年の上越サイクリングで立ち寄った途中の某駅がどこだったかも思い出せぬまま、信越本線に合流。線路の継ぎ目の音がまた聞こえ始めて、快晴の日本海を愛でているうち富山に着いた。東京から3時間半。意外とあっけなかった。
7分で乗り継ぎの高山本線は一両きりの気動車。これがもう既に満員。かなりの人が通路に立ってるのに、座席では蕎麦をすする一団もいたりして妙な風情。そして容赦ない出汁の香り。とは言え立ってる客は背広姿ばかりで、案の定、越中八尾でがら空きになった。高性能ディーゼルカーはがんがん飛ばして、八尾から20分ほどで猪谷着。ここからがこの旅行の主目的、神岡鉄道である。
この週末、電車で富山に行ってきた。
調べてみれば富山は18年ぶり。一人で泊まりがけの鉄道旅行自体、相当久しぶりである。全ての県に行ったことがある、と認識しつつも、JR乗りつぶしは大学2年生までのこと。47県もあれば、関東近県と帰省で通る東名道中央道沿道以外は、すっかりご無沙汰のところがいっぱいだ。富山に行って今一番は、福井、香川、熊本あたりだろうか。
で、久しぶりの富山、記憶が全くない。それもそのはず、前回は大学入学で上京直前の春。奈良から行ける範囲で近辺のローカル線を一気に片付けたようで、高岡に泊まった翌朝8:49に富山着、5分で富山港線に乗り換え、往復して9:43に戻ったかと思えば、45分後の高山本線で岐阜に向かっていた。それよりもこの記録を見ていて情けないのは、その前日の氷見線。3月だというのに17:54から往復している。車窓は全く見られなかったろう。こんなつまらぬ旅行をしていれば、そりゃイヤになるわな(「汽車の窓辺」参照)。
今回は、指定券が取れなかったこともあるが、朝は出勤するのとほぼ同時刻(久々の鉄道旅行に緊張して、東京駅には30分以上早く着いてしまった)の出発。一時間半で越後湯沢。ここで大勢がぞろぞろと誘導されながら、はくたか号に乗り継ぎ。六日町で上越線から分岐、ほくほく線に初乗車である。よく使われるフレーズ、新幹線のような高架線路を快走して、一昨年の上越サイクリングで立ち寄った途中の某駅がどこだったかも思い出せぬまま、信越本線に合流。線路の継ぎ目の音がまた聞こえ始めて、快晴の日本海を愛でているうち富山に着いた。東京から3時間半。意外とあっけなかった。
7分で乗り継ぎの高山本線は一両きりの気動車。これがもう既に満員。かなりの人が通路に立ってるのに、座席では蕎麦をすする一団もいたりして妙な風情。そして容赦ない出汁の香り。とは言え立ってる客は背広姿ばかりで、案の定、越中八尾でがら空きになった。高性能ディーゼルカーはがんがん飛ばして、八尾から20分ほどで猪谷着。ここからがこの旅行の主目的、神岡鉄道である。
富山と言えば、治山系の研究室に所属していた大学3年目の夏に3週間、現場実習ということで、立山砂防工事事務所にかんづめになっていました(多少バイト代が出る、という現場実習でした。職場体験みたい)。
で、富山地鉄上滝線の大川寺駅近くの宿舎から、毎日立山8時31分着の電車で通勤していました(電車の時間の関係で、駅前の事務所は8時35分始業、17時5分終業)。
上滝線はまだ元名鉄のつりかけ電車が健在で、乗り換えた本線は固定クロスの初期高性能車だったのをおぼえています。
大川寺からはうちの大学から2名、他大学から2名(すべて男)が通勤していましたが、うちの大学からは他に女の子が1名きていて、宿舎の関係から不二越から通わされていたのを覚えています。
で、実習先を立山にしたのは、もちろんかの有名な立山砂防軌道がめあて。
だったのですが、災害で実習期間中はほとんど途中折り返しになっていたため、立山カルデラまでは延々と工事道路を車で迂回することに(毎日事務所前で入れ換えしている光景は見られました)。
期間の最後の方でようやく復旧し、山下り片道のみ乗車できました(壮絶、の一言。面白かったですけれどね。早期復旧のために河原に軌道がしいてあったり)。
まああの夏はその前後は佐渡の奥の方で学科の実習があったし、富山滞在中にソ連が崩壊したりと、なかなか思い出深い夏でした。
遅くなりましたが、金賞受賞おめでとうございます。
みんなすごいなあ(私は賞とは本当に無縁)。
そうですか。黒部峡谷鉄道、またの機会になってしまいましたが楽しみですね。
立山砂防軌道は知りませんでした。「かの有名な」と言われましても(笑)。。。河原に敷かれた仮軌道は見てみたかったです。