kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

アート的にハガキを作る。その2

2009-11-20 05:53:17 | パソコン市民活動

 前回と同じ写真でごめんなさい        

1.    星の作成:挿入―図形―星24ー作図―色―黄色―枠なしー黄色のハンドルを内側にドラッグー黄色い星ができる。それをモミの木の先端に移動。同じ様に赤・青の星も作成し、図のように配置に配置する。

2.    夜を作成:挿入―図形―長方形―ハガキ一面に作成するー色を上の操作の要領で色をぬる。

  次に、絵画ツール・書式―図形塗りつぶしー夜空の色―配置―最背面に動。すると、上図のように、星等が浮かび上がる。

8 モミの木に光る豆電球をつける:挿入―図形―円/楕円-―小さい円を描くー黄色に塗るー枠を取る

 コピー貼り付けで、数個作り、モミの木の適切な場所に移動する。

 

参考(○をワードアートで作成する・・・大きさを自由に変えられるが特徴)

  講座では、お皿にイチゴをもった作品を作ったので、イチゴの描き方について説明します。。

    実の部分 挿入―ワードアートー「まる」入力―○―OK

    ○をクリックー「ワードアートツール・書式」-文字の折り返しー前面

    ○をクリックーワードアートツール・書式―形状の変更―下凸レンズーイチゴの形になる。

     コピーー貼り付けー配置する。イチゴを2つコピーで作る。色をぬるは省略。

     イチゴの中に種を入れる。挿入―図形―円//楕円―小さな楕円を描き、色塗り、コピー
で何個か作る。それをイチゴの中に移動する。

挑戦され有難うございました。これで、テーマを終わります。(97)


アート的にハガキを作る。その1

2009-11-19 12:18:20 | パソコン市民活動

年賀状作成の時期が、そこまで来ました。

今回は、ワードの機能を使って、アートハガキを作ってみたい。描く図によって、クリスマスカード、年賀状、暑中見舞等に使用できると思う。年賀状、暑中見舞等はこれらのハガキによい言葉を挿入するだけで個性ある作品になろう。

関心のある方は挑戦されてはいかがですか。

皆さん、ワードの使用には慣れていられると存じ、要点のみを記してみる。

1.    縦書きのハカキの大きさ、余白は全部5ミリにする。

2.    モミの木を作る:挿入―図形―二等辺三角形―図を描く(上の図参照)。次に「絵画ツール・書式」―図形の塗りつぶしーグラテーションーその他のグラテーションー2色―緑と薄い緑―OK。

3.    モミの木の枠線を赤の点線を描く:「絵画ツール・書式」―図形の枠線―赤。次に、図形の枠線―太さー3P-実線/点線―点線(丸).

4.    植木鉢を作る:挿入―図形―台形―絵画ツール・書式―図形の塗りつぶしーオレンジ・アクセント6-枠を削除。

5.    顔を描く:挿入―図形―基本図形―スマイルー顔を描くー「絵画ツール・書式」―図形の塗りつぶしーグラテーションーその他のグラテーションー1色―青―OK。コピー貼り付けー3個ーモミの葉の中に移動。同じ様にハートとフローチャードを図のように作成し、モミの葉の中に移動。

次回に続く

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石川 啄木(その3)・・・柏シルバー大学院Aクラス講義

2009-11-18 05:24:55 | 柏シルバー大学院

12 死ぬ前に若山牧水に会った。また、朝日文芸等で夏目漱石とも会う。

13 啄木は26歳で死んだ。啄木が東京に来た後、前述したように妹の旦那である宮崎郁雨が家族の世話をしてくれた。彼は、新潟県の生まれで、幼児に函館に移り、函館商業を卒業。明治40年に北海道に来た啄木と知り合った。啄木の妹と結婚した。啄木死亡後、啄木一族の墓所設定に奔走。大正12年に味噌製造の家業を継ぐ。また、社会事業に専念した。

14. 啄木死後、妻の節子も結核のため死亡。残された2人の女の子の世話は、節子の父親の堀合忠操が世話をして育てた、妻も死亡し、男手一人で世話した。

  啄木は社会人としてはどうしようもない失格者であるという人もある。生きざまをみても常識外れの点が見られる。また、この時代は、家族を宮崎さんに依頼し、一人東京で独身気持ちで遊びまわっていたという。

  啄木は多くの人の善意によって好きな作詩、小説、論表等を世に送り出した。その証拠に多くの方に合計2万8300円の借金をした。 好き勝手に生きていった啄木といえるのではなかろうか。

これで、石川啄木についてのアップは終わります。有難うございました。

11月15日にNTTのフレッツ・光を設定。OCNのプロバイタの変換したため、セキリティソフトのインストールがうまくできず悪戦苦闘中です。(91)

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石川 啄木(その2)・・・柏シルバー大学院Aクラス講義

2009-11-17 04:57:26 | 柏シルバー大学院

1.    啄木は、僧侶 石川 一禎の長男として生まれる。父親の僧侶剥奪され事件があり、渋谷村を出た。

2.    親戚を頼り、親戚の援助で師岡中学に進んだ。しかし、前回述べた条件(2度のカンリングと長欠)で中学5年で退学した。

3.    盛岡時代、友達の妹の堀合節子と恋愛した。節子は親に大折檻された。

4.    上京し、金田一京助に世話になり、鉄幹を頼って、「詩で立つ」と志した。

5.    郷里に戻って、堀合節子と結婚し、学校の代用教員になった。同じ学校の上野さめ子訓導が指導や世話をしてくれた。

6.    学校をやめ、北海道函館に妻節子の妹主人の宮崎郁雨に世話になる。

ここで、「東海の小島の磯の白砂に・・・・」を作った。

7.    橘智恵子訓導にあこがれの気持ちを持った。遠くで思う・・・それを詩にした。
死ぬまでに一度は会はむと 言ひやらば 君もかすかにうなづくらむか

8.    札幌、小樽と移り住んだ。小樽では新聞社に勤め、そこに野口雨情がいた。事務長と喧嘩して退社した。

9.    釧路へ。綺麗な芸者さんがいて作詞した。1年間に4カ所移動した。

10.  明治41年再度上京し、金田一京助宅に転げこんだ。家族(妻・子供・両親)を北海道の宮崎家に預けぱなしてあった。

11.  朝日新聞社に勤め花壇の選者となった。この頃、独身気分で浅草で遊んだ。

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石川 啄木(その1)・・・柏シルバー大学院Aクラス講義

2009-11-16 04:52:31 | 柏シルバー大学院

過日、学習院大学名誉教授の○○先生より石川 啄木について2時間の講義を受けた。皆さん、よくご存じと思いますが、参考にアップします。

石川 啄木

 石川 啄木は、明治19年2月20日生まれ、明治45年4月13日(1886-1912年)に結核にて没す。享年26歳だった。明治の詩人、歌人、評論家。岩手県日戸村に生まれ、本名は一(はじめ)。盛岡中学を五年の途中で退学。2回のカンリング発見と長欠であった。明治35年上京し、「明星」に詩を発表。すぐに処女詩集「あこがれ」を刊行した。その後職を探して北海道各地を転々と流浪、41年再び上京して小説を志し多くの作品を書いたが失敗に終わる。東京朝日新聞の校正係りに就職、大逆事件の情報に触れるなど、社会主義思想に眼を開かされる契機を得た。実生活に根差した一首三行書きの歌集「一握の砂」および「悲しき玩具」は、没後土岐善麿により、「啄木遺稿として刊行された。

有名な詩に

ふるさとの 訛なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聞きにゆく

ふるさとの 山に向かいて 言うことなし ふるさとの山はありがたきかな

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる

 経過については、次回にアップします。

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大堀川の6時半の日の出・・・・朝のラジオ体操で

2009-11-15 05:41:40 | 日記

預かっている犬の朝の散歩と、自分の健康維持を目指して、雨が降らない限り、6時前に自宅を出て徒歩30分の距離にある大掘川のラジオ体操会場に歩いていく。

現在、日の出は6時20分ごろである。その時刻に日の出の見られる橋の上を通る。

10月終わりころに急に気温が低くなった時は、朝靄が川面一杯に広がり、日の出と相まって素晴らしい光景を見せてくれた。それが上の写真である。

大堀川は柏市郊外の小川であるが、自然の流れの中の50センチ前後のコイの群やサケが昇ってきて泳いでいる光景に時々遭遇する。多くの方が、橋からもサケを探して光景をみる。

気温が低くなるとラジオ体操の参加者も急減し、広い会場もまばらな参加者となる。殆どの方が60歳以上の高齢者である。健康を考慮しての不参加であろう。

いつもの賑わいは、来年の気温が高まる晩春以降となろう。年寄りのひがみというか、昔からラジオ体操をすると身体が丈夫になったように思う心を持ち続けている。

せわしい日常生活の中で、ひと時でも、自然に包まれ、ラジオ体操に興ずる機会が与えられていることに感謝したい。

みなさん、自分の住んでいる街に自然がおありと存じます。それを少しの時間でも生活の中に取り入れられたらいかがですか。

今日は預かっている犬とお別れ、現在6時、これから朝のラジオ体操のために出かけます。また、10年以上親しんだプロバイダーともお別れです。新しいブロバイダーに出会う日である。不安と喜びの気持ちです。

 


沈まぬ太陽を鑑賞して

2009-11-14 05:43:24 | 日記

沈まぬ太陽を鑑賞した。午前1050分から上映し、途中10分間の休憩をはさんで終了が1430分でした。実に3時間20分の大作であり、時間の過ぎるのを忘れていた。それだけ映画に引き込まれていた。観客も高齢者が主で、人気があるらしく、数十人で席の6割近くを占めていたようである。

前回の槍ヶ岳の映画は20人程度だったと覚えている。

御巣鷹山で亡くなった520人の声なき声を遺した書であると同時に戒めの書であると思う。
この小説で白日の下にさらけ出された、組合分裂工作、不当配転、昇格差別、いじめなどは事実と思う。国民航空の経営側にいた人たちは、数々の不当労働行為や名誉欲・権力拡充、金銭欲のどろどろした姿がありありと表現されていた。多かれ少なかれ日本のどの会社・官庁等に共通している点があり、それに重ね合わせながら見ていた。
現在日航は厳しい経営環境に直面していますが、この小説に描かれているような過去を清算し、反省して、将来を展望する糧とすべきではないでしょうかの感想で帰宅した。

小説家 山崎 豊子さんは、会社経営の底辺まで目を鋭くむけ、醜いどろどろした経営陣の姿を暴きだしたことに驚きました。会社経営を見る視点として1つの方向を示せてくれているように思う。
素晴らしい感動の映画を見ました。<o:p></o:p>


苦渋の選択もあっさりと・・・ テレビアンテナ

2009-11-13 05:37:56 | 日記

親しんできたテレビを使い続けたいのが爺の考えである。新しいものになれるには相当の努力がいる。努力だけでわかればよいが、努力しても解りにくいのが今の爺である。

しかし、社会の進歩・変化には応じていかなければ、置いてきぼりにされる。

テレビは、11年の半ばにはアナログは廃止されるという。そこで、アンテナをどうするか。

隣の家では、アンテナにしたが、映像がよく映らずに、テレビ回線を引いたという。そのために数万円が余計にかかったと聞いた。現在、ケーブルテレビ回線でパソコンだけをつないでいる。しかし、インターネットの上り回線は、光ファイバーに比べ大変に遅い。光ファイバーにすると上り下り回線の速度が同じで大変速いという。多少心が動いた。

デジタルテレビの接続は、アンテナ、ケーブルテレビ、光ファイバーの3種類という。設定の担当の方から、説明を受けたが、よいこと、安いことしか説明してくれない。各回線の特徴も欠点も、使用値段も解らない状態である。苦渋の状態である。

迷いの中で、デジタルに明るく、自宅でデジタルテレビを光ハイバーに繋いでいる倅(長男)が、我が家に泊り、手助け・助言をしてくれたので、光ファイバーに決めた。爺の苦渋の決定は、あっさり倅が肩代わりしてくれた。

設定工事が明後日の15日である。ブログが直ぐにつながるか不安である。多少迷惑をかけるかもしれません。その時は、ご了承を・・・。

テレビは、NTTの光ファイアーに入ったため、3万円安くなった。また、テレビのポイントを利用して同時小型のテレビも買った。2台でも相当に割り引いてくれた。それのエコーポイントで相当のデパート金券(国の予算)がもらえるとのことである。 ・・・うれしい・・・<o:p></o:p>


不思議な 不思議な 写真・・・わけがわからない

2009-11-12 05:05:14 | 写真

いつもの通り、朝の犬の散歩と大堀川でのラジオ体操に参加するため、午前6時ごろ家を出た。

自宅の近くが新しい団地改築のため、解体整地をしている。そこに、まんまるい月が西空高く、日の出の陽が東から微光で、新築完成された団地を照らしていた。あまりにも綺麗であったのでデジカメを向けた。すると上の写真が撮影された。

全く不思議な写真で原因が分からない。下の写真は同じ光景を同じ場所で別の日に撮影した。

条件は、朝陽が出始めで、まんまるのお月さまが西に高く明るい。綺麗なお月さまで、朝陽.と同じぐらい照度で照らしていたかも?。月と朝陽は建物を中心に前と後ろの関係。気温はこの秋一番の寒い朝。塀の囲いの中のガラス板(セルロイド)を通して撮影した。

不思議現象 

1.    真正面の棟の右側の大きな棟が表出されている。

2.    左の高い棟の後ろに何か知らないものが表出されている。

オーロラ現象が現れたか?。初めての経験である。

皆さん、こんな経験ございますか。爺も初めての経験です。

爺の所属するクラブ員60数名に、こんな現象を見たことがあるか、原因は何だろう、と尋ねたが返事はなかった。恐らく、初めてのことだろう。

この写真を記念のため、A4光沢紙に印刷し保存した。

 


11月10日に咲いた子供のアサガオ

2009-11-11 05:46:34 | 日記

このアサガオは、11月10日に、我がパソコン室で咲いたアサガオである

夏に咲いたアサガオの種が、同じ植木鉢に落ち、そこから芽を出し成長していった。

この頃、気温が低くなったので、日当たりのよい書斎(パソコン室)にいれ、時々口で霧吹きをしている。10月後半から1週間おきぐらいに花を咲かせている。

見るからに、如何にも弱弱しそう、花も葉も茎も小さく貧弱である。花にとっては無理に生かされてそう。アサガオが育ち花を咲かせるには適切な気温・時期があることを立証しているようだ。

でも、こんな悪環境の中に生きようとする生命力に感動する。

また、人間がアサガオに適する季節に少しでも近づけてやろうとの営みは、盛り時期のアサガオに劣らない愛着が芽生えるものですね。

いや、アサガオにとっては、今咲かせられているのは残虐かな?。アサガオの立場から考えると・・・。ご免、ご免

いるまで、咲き続けられるか、楽しみです。(107)