C. 三善清行について
6. 三善清行について
清行は官吏登用試験に一度落ちたが、そのときの試験官は道真だった。
以後清行は、道真と、ことあるごとに対立し、道真を退けた延喜政権の下で栄達を上げた。
900年の10月11日に清行は道真に辞職を勧め、翌年に大宰府へ流罪された。
6-1 三善清行の略歴
① 847年誕生 (菅原道真 845年誕生)2歳違い
② 873年 文章生 (菅原道真 862年) 11歳違い
③ 874年 文章得業生 (菅原道真 867年) 7歳違い
④ 881年 方略試(秀才)に不合格。(問者 菅原道真)
⑤ 883年 方略試に合格(菅原道真 870年) 13歳違い
⑥ 887年 従五位。 893年 備中介に就任。
⑦ 900年 右大臣菅原道真に辞職勧告する。
⑧ 917年 参議に就任。 918年 死去
6-2 詰眼文を作成 :善清行《詰眼文》は心と眼とが擬人化され,問答する対話体の興味深い戯文。巻末に《鉄槌伝》を載せる。これは性を大胆,滑稽に描写した異色の王朝ポルノグラフィー。
6-3 60歳過ぎて失明に近い状態になり、眼を初めとする肉体の衰弱、律令の衰微を重ねあわせ、経学(儒教的学識)から仏教による救済への翻身を主張。9世紀の「良吏」思想との訣別した。
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