日本丸を見る機会があって、姉妹船の海王丸体験記を思い出した。
海王丸の美しい姿である。姉妹船に日本丸がある。
大型練習帆船「海王丸」は、「日本の海の王者たれ」と、昭和5年2月14日進水しました。 世界の人々からは「海の貴婦人」と賞賛され、愛され親しまれてきました。平成2年4月に富山に回航以来「海王丸パーク」のシンボルとして総帆展帆等を通じて、海、船、港への関心を高めています。
太平洋を中心に訓練航海に従事していたが、太平洋戦争が激化した1943年(昭和18年)に帆装が取り外され、また、船体を灰色に塗り替えられ、石炭の輸送任務に従事した。戦後は海外在留邦人の復員船として27,000人の引揚者を輸送した。1955年(昭和30年)には、帆装の再取り付けがなされ、また船体も白く塗りなおされ、「海の貴婦人」と呼ばれた元の姿を取り戻した。<
1974年(昭和49年)以降は老朽化が進んだため、遠洋航海の規模縮小を余儀なくされ、1989年(平成元年)9月16日に退役した。海洋練習船としての役割は海王丸II世に引き継がれた。<o:p></o:p>
海王丸は富山新港に恒久的に係留されることとなった。
爺も縁があって、昭和23年(1948)の頃、海王丸に乗って台湾の日本人引き揚げに参加した。寄港地の佐世保港から台湾に向かった。4日間かかったことを覚えている。400人前後の引き上げ者を乗せて日本の佐世保に向かったことを覚えている。人はデッキの上まであふれ、食べ物も思うようになかったことを記憶している。そんな中でも、日本に帰れる嬉しさが船を覆っていた。 あれから60年過ぎて懐かしい思い出である。今も頭から離れない。(101)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます