kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

菅原道真(天満宮)は、どんな人(話は専門的?)・・・その3

2013-08-09 09:50:30 | 日記
前回の続き・・・その2

1-5 服装改革・・・820年、天皇・皇后・皇太子の礼服・朝服などを制定した。
  神事に関しては、従来通り「白」を踏襲。元日朝賀には、中国皇帝に倣って「竜」の模様の服をと冠着用。
1-6 年頭に天皇が父母のもとに年賀に赴く行事・・・儒教的孝道の実践
  日本的に神格化した非人間的天皇から、中国の皇帝と同様の人間性有した天皇へと転身した

2. 嵯峨天皇と漢詩文芸
2-1 嵯峨天皇の文章経国思想・・・伝統的な中国文化にあっては、政治に携わる者は、優れた詩を詠めるような高雅な文人でなければならず、詩を含めた文芸は、国家の支柱で、国家隆盛の鍵であるとする

国を経め家を治めるには、文より善きはなく、身を立て名を揚ぐるには、学より尚きはなし(日本後記)

2-2 漢詩文芸(文章道)の隆盛
  821年、文書博士の官位相当を従七位から従五位にあげ、天皇に近侍させて、政治的顧問の役割を任命する。
  文章生出身で弁官や地方官の経験者の能吏が天皇の近臣を形成し、文京政策に積極的に推進した。
* 菅原清公(770~842)は、菅原道真の祖父であり、804年に遣唐使として入唐。嵯峨天皇の唐風化政策の立案責任者をした
菅原家が嵯峨天皇の側近になった