kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

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正岡子規と千葉県 その1・・・Aクラス講義

2011-12-03 07:56:14 | 柏シルバー大学院
このことについて、2時間の講義を受講した。

正岡子規は、日本を代表する俳人とも言われる人であり、また、NHKドラマ「坂の上の雲」での秋山兄弟との関係でも、皆に知られている。

1. 正岡子規と「坂の上の雲」での秋山兄弟との関係
正岡子規は、明治改元一年前の慶應3年(1867年)9月17日、 伊予松山藩士正岡隼太の長男として生まれました。 苦しい家計のなか母親の女手一つで育てられました。
秋山真之は、 明治元年(1868年)3月20日生まれ、下級武士の五男として、子規と同じく貧しい家庭に育ちました。
二人の生まれた頃は、松山藩が明治維新で徳川方について破れ、賊軍の汚名をきせられて没落した厳しい時代でした。

そこで、松山の人々は、子供たちの教育に未来を託します 子規と真之が学んだ明教館
二人は同じ小学校・中学校に通う内に親友になったと伝えられています。

2. 正岡子規の簡単な略歴
 1)1872年 松山藩士の子・長男として生まれる。
 2)1872年 父死亡。翌年より叔父の藩の儒学者の私塾に通う。
 3)1880年 松山中学に入学
 4)1884年 東京大学予備門に入学。同級に夏目漱石、山田美砂、尾崎紅葉がいた。
 5) 1889年 喀血、「子規」と号す。
 6)1890年 帝国大学の分科哲学科入学、翌年、国文科に移る。うつ病になる。
 7)退学。『日本』新聞社入社。
 8)1895年 日清戦争従軍記者。病状悪化。
  根岸の子規庵で句会・歌会を行う。
 9)1898年「 ほととげす」を創刊(高浜虚子が受け継ぐ)
 10)1902年 34歳で死去。