kametaro爺さんのよもやま話(ペイント画を含む)

日常の生活の中で、主に気付いたことやしたことをまとめておきたい。また、ブログにアップしたい

人・人・人、バス・バス・バスの中で。ああ、しんどい!!その3

2010-11-18 08:32:14 | 日記
元明天皇が、藤原京から710年に都を奈良に定める。784年まで続いた。今年で1300年になる。写真のように平城宮と朱雀門が跡地に建設された。中央の朱雀大路で右京と左京
に分かれ東西軸が1条から9条大路、南北では一坊から四坊に分かれていた。宅地は位階によって大きさが決められ、貴族が占める4町の物を筆頭に2町.・1町・・・1/16町・1/
32町・・・と決められ、土地は公有だった。現地では平城宮と朱雀門だけが建てられ、他は草地となっていた。

東大寺

奈良の大仏が鎮座する寺。天平5年(733)に良弁僧正が開いた金鐘寺が起源。同13年全国に国分寺をが建立された時、ここが大和国分寺になり金光明寺称した。
そして、天平勝宝4年(752)に大佛が開眼してから、伽藍が整えられた。平城京の東にある大寺ということで東大寺になった。
大伝殿 (金堂)重層寄棟造の今の建物は宝永6年(1706)再建の3代目。高さ49m、間口57m、奥行50mで、世界最大の木造古建築とされている。堂のン前に立つ金銅8角灯篭(国宝)は創設当時から伝わるものである。
大佛 本尊毘慮舎名那仏坐像のことで、56葉の蓮華座に座り、高さ15m、重さ452t、の巨像。造立されたのは天平19年(747)から5年かかり、その後の地震や兵火で何度も破損し、原型は大座蓮弁の一部などに残るのみである。

興福寺の阿修羅像・・・大人気・・・像の前を押すな押すなの大混雑。係の人に強制に歩かせられ、しずしぶ後に。撮影は禁止、入場券の写真を利用。仏像離れした現在て顔かたちの像で、移動し他の美術館での見学も大人気である。