亀の川登

難聴に苦しむ男の日記帳。

通いなれた施設が避難所に

2024-01-26 | 散歩道

能登半島地震が発生して25日たった。

いつも謡曲教室で使っている老人福祉施設が避難所となった。

今朝、久し振りにラジオ体操に行った。いつもは暗い福祉施設に明々と明かりが点いている。

能登半島地震の避難所となったのだ。そのため当分教室はお休み。

被害が大きいので能登の施設では賄いきれずとうとうここまで能登の被災者がやってきた。

いつも ラジオ体操をやっている体育館も被災者に開放されている。

まだ朝が早いため誰も出てこない。出てくればちょっとお話してみようと思ったのだが。

能登の人たちにとって金沢は金沢から東京に行くくらい遠いだろう。

まるで都会に出てきたぐらいに思っているのでは。

こんなことでもなければ県都金沢に出てくることはない。

いい思い出?になるのかなと思った。

もう少ししたら能登で仮設住宅が出来帰れるようになります。

それまでの辛抱です。頑張ってください。

今度、機会があったらそう言って励ましてやりたい。

きょうの新聞にやっと年賀状が届けられるようになったと載っている。

今は亡き被災者から年賀状が届いたらどんな気持ちになるだろうか。

もうその差出人に会うことが出来ないのだ。

今度被災者と会うことがあったら、続きを書いてみたい。

 

 

 

コメント (1)
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