雑記茶屋

~インドア派主婦のベランダ日記~

桐野夏生「柔らかな頬」

2005-12-29 17:09:24 | 読書
「現代の神隠しか 深まる謎 有香ちゃん失踪事件」

こんな新聞記事から始まる書き出しに惹き付けられて手にとった。実は私はこの、新聞記事から始まるってのが大のお気に入りなのだ。この事件を解決していくんだな、という意欲が湧く。まあ実際は私が解決する訳ではないのだけど・・・

主人公カスミは、夫の友人である石山と不倫の関係にあった。両家族で出かけた石山の別荘でも、二人は家族の目を盗み、逢瀬を重ねる。しかしそこで、カスミの長女有香が忽然と消えた。まさに神隠しのように。
まだ5歳の有香が自ら失踪するとは考えにくい。事件なのか、事故なのか・・・大規模な捜査にも関わらず、全く手がかりはつかめぬまま、様々な憶測だけが飛び交い、それすらも時が風化させていく。

私は読み始めてすぐに犯人探しに夢中になったが、結末は意外なものだった。

ひとりの人間が居なくなるということは、当たり前だがその前と後とが全くガラリと変わってしまう。しかもそれが消えたとなればなおのことだ。そして何より、消えなかった人間には続きがある。たとえこの身が引き裂かれそうな出来事が起こったとしても、朝日は昇り一日が始まるのだ。そして残された者はそこから続きを生きなくてはならない。もちろん生きるつもりがあればの話だけど。

犯人を探し当てたり、事の真相を知ることも勿論必要なのだろう。出来ないより出来たほうがいいと思う。でも結局、その先をどうやって生きていくのか、というのが真の結末なのではなかろうか。人は自分の人生しか生きられない。たとえどんなに徳のある人だって、他人の痛みを代わってあげることはできないし、逆もない。いたわりや励ましもあるけど、絶対に自力で越えなくてはならない部分が存在する。そしてそれぞれのやり方で人は生き抜いて行く。時に自分でも驚くほど図太く、大胆に。

今回の主人公はカスミだったけれど、カスミを取り巻く人々それぞれにスポットライトを当てたら、また別の小説が生まれそうな感じがした。きっと語られない秘密をみんな持っているはずだから。


バチッ!バチッ!

2005-12-26 02:08:36 | 雑記
車を降りてドアを閉めようとしてバチッ!
スーパーの商品棚で不意にバチッ!
自販機でコーヒーを買おうとして小銭を投函したらバチッ!

ビビっておそるおそる触れるので余計にバチッ!

毎日、静電気の恐怖に慄いている。

体脂肪が増えると体に帯電しやすいとか、靴底がゴムだと地面に電気が流れないのでバチバチしやすいとか、体が酸性だとなりやすいとか・・・いろいろ耳に入ってくる。でも、私の周りの人達はさほど静電気におびえていない。
「やだよね~パチパチしてさ!」程度で。

私はもうバチッ!が嫌で嫌で、なんとかして回避することばかり必死に考えている。そしてそのために、おかしな動きをしていることも多々ある(はず)。

誰か通りすがりの方でも結構なので、策を伝授して下さい。ああ~コワイコワイ。

ドキリ発言

2005-12-20 21:23:12 | 雑記
ある日、私の母が私の息子に話しかけていた。

「ハルくん、おばあちゃんねえ、ハルくんが成人するまで生きられないと思うけど・・・」

急にドキリとした。母は真面目に言っていたようだった。

私がまだ子供のころ、初めて人の死という事を考えた時に母に言った言葉は「ねえお母さん、私が死ぬ時は一緒に死んでね」だった。死ぬってことを考えると怖くて、つい言ってしまった言葉だった。母は笑って何も返さなかったけど・・・。

今、一緒にいるっていうだけで、いつか必ず全ての人との別れが来る。いつもそんなことを考えて暮らしているわけではないけど、その事実を心にとどめた。

そしてまた、そのことをしばし忘れて暮らしていく。

ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

2005-12-13 12:43:54 | 読書
親はいろいろな思いや願いを子供の名前に込める。子供はある日、自分の名に込められた意味を知る。そっか~と思ったり、な~んだ・・・と思ったりして。

主人公ゴーゴリの両親はインドからの移民で、ゴーゴリ本人はマサチューセッツ州ケンブリッジに生まれた。彼の父は、決して思いつきではないある深い思いから、作家ニコライ・ゴーゴリの名をとって息子に与えた。しかし息子はやがてこの名を嫌っていく。
インド人の両親から生まれ、ロシア人作家の名を持って、アメリカに定着して生きていく。彼が自分のアイデンティティを問う時、思いめぐらすものがどれ程大きかったことかと思う。

ゴーゴリは、両親が催すインド系友人たちによる集まりや、そういうコミュニティ的な匂いを少しづつ敬遠し、ゴーゴリという名を手放し、ニキルと改名し、故郷を後にする。

はたしてニキルはゴーゴリという名前、そしてそれに総称されるものを脱ぎ捨て、生まれ変わったか?

ニキルはゴーゴリでありニキルである「自分」という生き方に辿り着いたというのが私の感想だ。たくさんの紆余曲折を経て。そしてそれは彼の両親の生き方によるところも大きいと思う。彼の両親もまた、新しい大陸で全力で生きていた。

私のことを少し。振り返ってみて、記憶に残っている一番遠い日々は4歳くらいか。まあそう呑気なだけでもない子供時代を通りすぎ、思春期になり進むべき道を探り始め、突っ走ってみたり妥協したり、挫折したりしながら歳だけは重ねてきた。そうしていくうちに、子供の時にはかなり絶対的で大きな存在だった親が、親でありながらひとりの人間であり、その人生をまた全力で生きていることを知っていった。

努力や意欲で人生の道を進むことも大事。でも期が熟するということの有りがたさが、胸にしみわたるような気持ちになった。

ちなみに今、柿ピーを食べながら書いている。

そういう人に

2005-12-09 12:11:13 | 雑記
誰に自慢するでもなく、自分がやるべきことを、静かに強い意志をもって続けている人って素敵だと思う。それは例えば、これだと思える信じた道であったり、毎日繰り返される日常のことであったり・・・人それぞれだと思うけど。

そういう人はきっと、突然脚光を浴びたり、偶然誰かに気付かれたりしても、天狗にならず、逆に誰に気付かれなくとも、変わらずそれを続けていくのみだろう。反応はあくまで周りで起こっていることで、その人自身はいつもどおりに暮らしているだけだから。

そして自分に納得して生きていくのだろう。

そういう人になりたいなぁ。

腱鞘炎

2005-12-05 18:05:43 | 雑記
毎日毎日、手首と腕が痛い。もう半年も前に腱鞘炎と診断されてから、特に回復の兆しはない。まあ、注射や手術に踏み切る程ではなかったのだが・・・

最近はさみが上手く使えない。歯磨き粉を出すのがつらい。野菜の皮をむきながら落としてしまうことも増えた。抱っこも、オムツ替えも、痛い痛い痛い・・・。あ~もうイヤだ。

そして何よりこの程度の痛みに負けて疲れていく自分が、一番イヤだ。物がつかめないとか、指が動かないとかでもないのに。

息子が笑いかけてきても、主人が疲れて帰ってきても、私は痛いんだからね!って感じでイヤイヤオーラを出しまくっている自分が、なんだか本当に嫌な人間のように思えて心まで痛い。そして実際、手も痛い。あたたた・・・

インターネットや本などで、いろいろ調べてみた。

生活習慣を見直す/冷え性やコリを治す/温存/湿布/鍼灸/注射/手術、などなどいろいろ対策はある。ぶ~たれてないで、いろいろ努力してみよう。嫌な人にならないように・・・。