鎌倉徒然草

鎌倉に住んで25年。四季折々の自然を楽しみながら、オリジナルの和雑貨の企画、製造、販売を展開しています。

安井かずみ

2013年08月09日 | 日記

日本で始めて「ブティック」といわれたお店、ごぞんじですか?

8月1日のブログで六本木のことを書きましたが、六本木、飯倉の「ベビードール」です

1960年春にオープンしたイタリアンレストラン「キャンテー」の1階の1角に

ヨーロッパ直輸入の、見たことも無い美しい雑貨や洋服が並んでいた。

当時、20歳そこそこのわたしなど、お店に足を踏み入れることなど恐れ多くて・・・

小さなディスプレーウィンドーから、ため息をつきながら蝉の羽のようなブラウスなど

をながめるのが精一杯でした。

どこを探しても、着たい洋服、既製服など売ってなくて、そこは聖地、別世界だった。

まばゆい街に、まばゆい人達が居た。

何年か経って「キャンテー」に食事に行った、やっと。

さほど広くない薄暗い店内は、おしゃれな装いのカップルがワイングラスを傾けてい

た。

1970年ごろ、だと思う。「BIGI」を代表とする、働く女性に発信した、今まで見た

ことも無い、驚くほど斬新な装いだった。

私は、自分の無力さに打ちのめされた気がした。第一、連れは、全く記憶にも無い。

世の中は、美しい野心に燃えた、おしゃれな若者が間違いなく牽引していた。

私は悲しいほど何も持ち合わせが無く、目標、野心を探しあぐねていた。

  「安井かずみがいた時代」  島崎今日子著 集英社  がおもしろい。

「キャンテー」は安井かずみの華やかなエピソードに必ず登場する。

安井かずみの名前を聞くと、せつなく、あまやかな私の20代が伊藤ゆかりのB面の

幾つかの曲とともによみがえる。たとえば、『歌をおしえて』とか・・・

4000曲の詞を書き、華やかでおしゃれで、「作詞家」という職業で見事に自立し

あの、熱い時代を駆け抜けた安井かずみ。 私の女神。




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