「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

八ヶ岳西麓原村(8) 大晦日に富士見町のコインランドリーと瑞雲寺

2025-01-13 00:00:06 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
朝の5時30分くらい。

クルマに洗濯物とゴミを積み込む。


途中でゴミステーションに寄ってゴミを捨てる。

気温はマイナス4度だ(↓)。


凍り付くような道を下る。


鉢巻道路に出れば、雪は無い。



ズームラインを下り西へ向かいましょう。


そこから左折して南下したらすぐに富士見町に入る。


あの光が富士見パノラマスキー場の灯りだ。


そこからすぐだが、コインランドリーに着いた。

大晦日の朝からコインランドリー(笑)。


6時の開店と同時に入店。


80分ほどの洗濯乾燥で利用。



すぐ近くの西友富士見店へ行ったがまだ買い物するには早すぎる。


だからすぐに移動。

綿半の富士見店(旧Jマート富士見店)前交差点。


そこから諏訪湖方面へ北上。

やがて富士見町内で左折。


ここが瑞雲寺だ。


とてもきれいに管理されている。

暗いうちから山門の掃除をなさる住職に遭遇。

ご挨拶した。

「暗いうちから申し訳ございません。怪しい者ではありませんが、かなり怪しいですよね」などと、私はモゴモゴとご挨拶する。


ここは曹洞宗のお寺で、禅寺だね。

瑞雲禅寺と書いてある。


こちらの住職はまだお若くて、インターネットで盛んにこのお寺の情報を発信し、檀信徒の拡充に努めておられる。

年末に近隣の檀家さんでお亡くなりになった方があって、大晦日にその火葬があるため住職はそこに立ち合い、1月4日にはお葬式を担当なさるのだそうだ。

そのため大晦日の早朝から住職は多忙で、境内のお掃除をなさっていたわけである。「よろしければ本堂もご見学下さい」と住職は私におっしゃったが、ご事情をお聞きしてそれは遠慮した。



最後にこれ(↑)を頂いた。

「読んでください」とおっしゃる。

深々と礼をして、去る。


良いお寺さんはあちこちにあるもんだ。

再び国道20号に入る。


そして富士見町の中心へ戻る。


朝はカラスの集会があるようだ。

すごい数のカラス。


西友富士見店に戻った。


朝早くから営業しているので本当に助かる。

しかもとっても大きな店舗だしね。


いろいろと買い込む。


そのあとコインランドリーに寄って、洗濯物を回収する。

最後の乾燥に予想外な時間がかかっていた。

気温はプラス4度になった。ここは山荘より標高が低いし、日の出後の時間もあって、かなり暖かい。


深山交差点を通過する。


ズームラインを駆け上がる。


山荘に帰って8時頃に朝ごはん。


カントリーキッチン・ベーカリーのクルミレーズンパン。


おいしいわ~。

瑞雲寺の住職から頂いた瑞雲寺だより。



住職は根田さんというお名前らしい。


お寺の紋が諏訪大社上社のそれと同じであるところもいいね。

ご近所の檀家さんは法要をこの住職に依頼しているのだろう。



人柄が偲ばれる、住職との会話だった。

仏の道の住職のうち、変に気取って上から目線の方と、逆に一段下に降りて人々に優しく接する方がおられるが、ここの住職は後者の方だ。


富士見町の瑞雲寺。

いいなあ。。。。。


改めて参拝してみよっと。

瑞雲寺にはホームページ、Facebook、Instagramがあるが、Instagramがわかりやすいかな。


【つづく】
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ヶ岳西麓原村(7) お買い物して帰宅

2025-01-12 00:00:36 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
諏訪大社上社本宮を離れる。

このあたりは上社本宮と前宮の間の神宮寺があったところ。

交差点の名前も神宮寺だ(黄色の線で囲ったところ)。


そこから諏訪市街に向かう。


年末は角上(鮮魚や肉や野菜を売る店)へ向かうクルマと角上から帰るクルマだらけ。

この日はまだ30日だからね。

我々も角上に向かっている。


角上渋滞の中、角上の周囲のどこにも駐車場に空きがなく、我々はそのまま角上を通り過ぎてしまった。



上社本宮への参道のひとつを通る。


そして角上諦めて、そのまま綿半へ。


ドガティ君はここをよく知っている。

そしてどんどん先へと進む。ドガティ君は建物に入るのが大好きで、一度入った建物はよく覚えていて、前を通るとまた入ろうとする。


ここはドガティ君のお気に入りの場所だ。

大好きなカートに乗れたぞ。


ここからカートを押してもらう。


なんて楽しいんだ。

いろいろな食料品を見て、大コーフンのドガティ君。



しかしドガティ君の最大の楽しみはこの先にある。

どんどん首が伸びる。


ここだ。


犬用おもちゃコーナー。

「何度見ても素晴らしい売り場だ!」とドガティ君は感激している(笑)。


「おとーさん、何か買ってくださいな」


「あのピンクの豚さんがいいかも」


「あれですよ、あのピンクのやつ」


でもそれではすぐドガティ君に破壊されそうだから、こちらの頑丈なKONGのボールにしましょう。


「え、それ買ってくれるのですか?????」


「おとーさん、ありがとうございます😍


続いてオギノ茅野店へ。


ここは何でもあるぞ。


千葉県の名物、銚電焼そばまで売られている。


それは買わないけど、いろいろとお買い物を済ませる。

角上に入れなかったので、ここでお寿司を買う。


阿弥陀岳を見ながら、山荘に戻ろう。


諏訪大社上社本宮で頂いたものを持って。


標高1,400mを超えると、雪が出て来る。


はい、こちらが諏訪大社から授かったもの。


肉を食べても許される鹿食免(左端)。
交通安全お守り(中央上)。
無病息災お守り(中央下)。
熊手(右端)。

鹿食免は数が出ないらしく、巫女さんにリクエストすると、若い巫女さんはたいてい先輩にありかを尋ねる。

熊手はこれで一気に強運を引き寄せるもの。2025年はおちゃ家に強運がやって来るよ(笑)。

オギノのお寿司。角上では買い損ねたが、これも十分おいしいよ。


この日は12月30日。

東京証券取引所の2024年最後の取引日だ。

最後に何か1銘柄買いましょう。引け近くになって私は神戸製鋼所(5406)を購入。


高配当銘柄だ。

配当を毎年いっぱい下さいね。

最後の銘柄購入を祝って、本金太一を飲もう。


上がれ、上がれ、神戸製鋼所。

私がかつて住んでいた神戸の山の上の自宅からは、神戸港が見えて、神戸製鋼所の高炉も見えていた。


この日も終わるね。

毎日が早い。


薪ストーブで犬も人間も温まろう。


オギノで買って来たものを並べて簡単にごはん。


山荘に来たら夕食はいつもこのパターンだ。

薪ストーブでカラカラに乾く室内に湿気を送るため、水を入れたやかんを置いておく。


ドガティ君は疲れてねんね。


【つづく】
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ヶ岳西麓原村(6) 諏訪大社上社本宮へお参り

2025-01-10 12:00:05 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
ベートーベン交響曲第三番♪



聴いてください♪

Beethoven - Symphony No. 3 "Eroica" / Remastered (rr.: Herbert von Karajan, Berliner Philharmoniker)

朝起きたらこの日はマイナス6度。



朝ごはんを食べる。


昨夜は暖かくして寝たが、やがて薪ストーブの火が消えて、夜の間に気温が下がり、朝にはたいてい室内の気温が17~18度になっている。


ドガティ君とお出かけだ。


別荘地内の坂をノロノロと下がる。


エコーラインを北上する。


歯科医の看板が茅野市街地に入ると見えて来る。


インプラントをこの歯科医師さんに埋め込んでもらうのは、ちょっと怖い気がするなぁ。なんとなくイメージで言ってしまって申し訳ない(笑)。

そんなに大きくないが、高部東の交差点名よりも目立っている生コン前の諏訪大社の標識。


我々が今回行くのは諏訪大社の上社の本宮だ。


こちらから入る(↓)。


しかしドガティ君がいるから、我々はいっしょにはお参りできない。

あ、鹿の国(映画)が始まる。


諏訪地域の文化、歴史が一気にまるわかり。

私はロードショウには行けないので、やがてダウンロードしてみることが出来るようになるのを待ちましょう。

ドガティ君はあとでハイキングに行く。この法華寺の横を抜けてね、


このあたりはすごいよ。神宮寺があったのだ。

神仏混淆思想だからね。昔は諏訪大社上社に関連してお寺が建てられたが、それがまた現在の諏訪大社に負けず劣らず大きく、建物がこのあたりにかつては散在した。


で、その前に、ドガティ君はクルマで留守番してもらって、人間だけで諏訪大社上社本宮にお参りする。


犬猫さんは禁止(笑)。

神社にもよりますけどね。

それぞれのお考えがあるのだ。

布橋(長い廊下)に入りましょう。


あ、布橋の中にブレイス(方杖とも)が登場。四本根の梶の紋は諏訪大社上社のもの。


以前はこんな建具は無かったよ。

我が山荘にもあちこちにブレイスがある。柱と梁を繋いでいる。



この山荘を建ててくださった丸山さんの屋号であるブレイスは、そこから来ている名前だ。

ブレイスのホームページはこちら: https://brace.jp/

布橋の床は、多くの人が歩くから、すり減ってるなあ。


・・・なんて撮影をしていると、また妻に置いて行かれる。


上社本宮はあちこちを修復工事中だ。


高島神社は本宮の境内にある小さな神社。



諏訪家のお殿様が御祭神だ。


ここで古いお守りやおふだのお焚き上げをお願いする。


お焚き上げ料をわずかだけど、お供えして。

これが御柱。本宮一之柱はみながあこがれるやつ。


でも上社だけでも本宮と前宮があり、それぞれ4本の御柱があり、合計8本あるわけだから、上社の地域の中で自分の地区が本宮一之柱になる確率はわずか12.5%だ。

堂々たるものよ。


次回の御柱祭は2028年ね。

茅野市の高原地帯に移り住んだ父が一度だけ見た御柱祭は2004年のもの。その三年後には父は死んだ。人生の最後にその暮らしを楽しんでくれたようだった。

それではこれまでのお礼とこれからのお願いに。

二礼、二拍手、一礼。


いつものお願いで「カネと健康、カネと健康、カネと健康・・・」

次に巫女さんとの美しいふれあい(←違うだろ)。


いろいろと巫女さんから頂いて来たよ。

ドラゴンがいつもかっこいい。


また布橋を抜けて駐車場に戻る。


ドガティ君が待っているからね。

そしてドガティ君をクルマから降ろして、散歩へ。



法華寺へと向かう。


これ(↓)は先ほどもお見せした神宮寺の絵地図。


かつては多くの建物が存在したのだ。

学校まであった。


現存する法華寺。立派な赤い山門。


臨済宗よ。


北鎌倉に数多い巨大な名刹と同じ。

その南には神社がある。神社とお寺だらけ。その脇を抜けましょう。


ドガティ君が楽しそう。おかーさんもうれしそう(笑)。


五重塔まであったという。神様が先にあり、あとから仏教が入って来た。


こんな場所(↓)に五重塔があったらしい。


下の画像で右の赤いところが諏訪大社上社本宮。

左の黄色いところが諏訪大社上社前宮。

中央の青く囲ったところが今いる五重塔で、その周囲が神宮寺のエリアだ。


往時はさぞかし見事だったことでしょう。


しかし明治以降に神仏が分離された時に、神宮寺エリアの建物の多くがなくなったようだ。


ここからは八ヶ岳が見事に見える。


我々は本宮から歩いて来て、前宮方向に向かっている。


前宮までは行かないけどね。


すごい山道。


ドガティ君がよろこぶ落ち葉の道だ。

縦に割れまくる石。これ、鉄平石?


この石仏は誰が彫ったのか? さっぱりわからない。このあたりの石だよね。


調べてみたが、記述が見当たらなかった。

さらに進みましょう。


もう少しで展望が開けるところに着くよ。


ほら、着いた。


ここからは八ヶ岳がかなり見やすい。

下の画像でいうと、赤い丸(やや左寄りに「現在地」の表示あり)の場所に今我々はいる。


原村のシンボル、阿弥陀岳。


ここではエクシブ蓼科(エクシブはあちこちの観光地に展開する会員制ホテル)の看板も、畑と道の境界柵に利用される。


ここは集落跡らしい。


縄文時代以降長く人が住んだ場所。

そして今もそこに畑がある。


あ、展望台があるよ。


諏訪市と茅野市と下諏訪町(諏訪郡)と岡谷市を見下ろす。


この平地の多くが、かつては諏訪湖だった。

諏訪湖の面積は昔はもっと大きかったのだ。

拡大すると現在の諏訪湖がここからも見える。


妻が「ドガちゃん、見て、あそこが諏訪湖だよ♪」とうれしそうに話しかけているが、ドガティ君はそんなことに興味はない。


ドガティ君は、食べ物とボールとストーブだけが好きなのだ。

それでは畑の脇を抜けて帰りましょう。


どんどん下る。



誰も来ない道だね。

この道、面白いんだけどなあ。。。。


はい、法華寺に戻って来た。


この解説をご覧ください。


中国僧の蘭渓道隆様は日本に臨済宗の布教活動に来て、北条時頼に見いだされ北鎌倉の臨済宗建長寺の開山(初代管長)となるが、その後もあちこちで活動している。

こちらは本堂。


この脇に吉良義周の墓があるよ。


はい、散歩が終わりました。


最初の方でお見せした映画「鹿の国」が見たい。



諏訪の文化の理解がかなり進みそうな作品だね。

映画『鹿の国』特報 2025年正月ロードショー

この動画開始からわずか数秒のこの画面は原村で撮影されている。


Googleのストリートビューで言うと、ここだ(↓)。


上社の御柱になる樅ノ木も多くが原村の奥で切り出されて来た。

【つづく】
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ヶ岳西麓原村(5) 上野千鶴子先生の「八ヶ岳南麓から」と「おひとりさまの老後」

2025-01-08 21:10:40 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
カプースチンの作品。

彼はピアノの名手でもあった。


8つの演奏会用エチュード。


ピアノ演奏家が弾きたがる作品のひとつ。

それをどうぞ♪

Kapustin plays Kapustin: Concert etudes = Никола́й Ги́ршевич Капу́стин: для фортепиано: opus 40

薪ストーブはありがたい。


長ぁ~い煙突で温まる。


1.煙突は可能な限り屋内で距離を長くとる
2.煙突は可能な限り垂直に近い状態にする
3.屋根の上に煙突を出したら、そこから先は短く納める

それが出来れば家の中をなるべく効率よく温めることでできて、煙突内にヤニが付着することを最小限にできる。

極寒な外気の中でも温まる屋内。


Aコープで購入した分厚い靴下。



この鹿の角は、昔スズキヤさん(長野県飯田市の肉店)で購入したものだ。


今の室温は23度。



理想的だね。

丸ぅ~く空気が温まる薪ストーブ。

電気やガスとはどこか空気が違う。

どこがどう違うかと問われれば説明に困るが。



「おひとりさまの老後」が大ヒットした上野千鶴子先生の著書のひとつ。


上野先生は八ヶ岳南麓の住人でもある。

南麓とは広大な八ヶ岳山麓のうち、山梨県側を指す。



上の画像の終わりから下の画像の最初にかけて、上野先生は以下のように書いている。

西麓には別荘地で有名な原村があり、古いだけあって管理がしっかりしていた。長野県は別荘地分譲の規制がきびしく300坪以下の分譲を禁止していたが、山梨県はほったらかし。50坪からの分譲もあったし、建ぺい率も高さ規制もなし。「どうぞこの土地にお好きなように建物を建ててください」と言われて、口あんぐり。なぜだか「週末は長野にいます」のほうが、「週末は山梨にいます」より、知的に聞こえるような気さえする(笑)。だが東麓には夕陽がなく、西麓には朝日がない。北に山を背負った南斜面がいちばん住みやすいのか、八ヶ岳南麓には古代遺跡がいくつもある。


上の文章の前半部分にある長野県は建築の規制が厳しく山梨県はユルユルであるというのは正しいが、山梨県側に建蔽率も高さ規制もないというのは間違いだ。いくら何でも・・・(笑)。

また近年は、長野県の新規大型別荘地開発における最小区画面積は300坪ではなく1,200平米(=約400坪)という規制がなされているところが多い。

大きな問題は先生の文章の後半にある。「東麓には夕陽がなく、西麓には朝日がない」という部分だ(笑)。

上野先生のお宅は南麓の標高1,000mにあるらしい。西麓の原村で標高1,000mというと、ちょうど下の画像のあたりだ。ここまで八ヶ岳連峰から離れると上野先生のお宅とほぼ似たような時間に朝日が昇るはずである。「東麓には夕陽がなく、西麓には朝日がない」というのは明らかな誤りである。



ところが我が山荘のある標高1,600mとなると、話は違ってくる。朝日を拝むのは相当遅い。山荘が八ヶ岳にあまりに近く、真東にある山々や木々が朝日を遮るのである。

しかも八ヶ岳に近過ぎるため、八ヶ岳連峰が広く見渡せないのである。山荘前の道路から、阿弥陀岳の頂上部分を見るのが精いっぱい(↓)。



八ヶ岳が好き過ぎてそれに近寄り過ぎると八ヶ岳が見渡せないという状況で、これは一般的に「八ヶ岳のパラドックス」と言われている(←うそ、そんなことは言わない)。

また上野先生ご指摘の古代遺跡については、山梨県側にもあるけれど、長野県側の方がはるかに多いだろう。縄文文化が花開きその文化を引きずって、一方でそこに神話が絡んで来るのが諏訪大社だ。特に上社ね。それは以前このブログでも書いたとおり。

ご関心ある方はこちらをどうぞ:

高名な社会学者が書いた文章が常に正しいとは限らないのである(笑)。

上野先生が書いた別荘地文化のまた別の話が、ガーデニング派 vs. 家庭菜園派である。



ガーデニングが好きな方は敷地内に菜園など作らない。逆もまた似たようなものだ。

別荘地でルールが厳しいところは、敷地内を畑にすることを禁じている。

上野先生の敷地は中谷耿一郎氏(著名なガーデナー)が手を入れたらしい。


お昼過ぎには屋内がまぁ~るく温まって、まったり。


ドガティ君はしっかり昼寝。夕方はボール遊びで忙しいからその準備かな?(笑)


そしてまた夕方が来て、ドガティ君はプライベート練習場に出かける。


「そのボールで遊ぶのですね」とドガティ君の期待が高まる。



ボールを追いかけるドガティ君。


そして今度は駆け下りてくるドガティ君。


「おとーさん、ボールを蹴ってください」


これを蹴ればいいの?


そしてまた上へ。


次は別の遊びになる。

カラマツ林の間で号令がかかるのを待つドガティ君。


離れたところで待つおかーさん。おかーさんの左側には少し離れてボールがある(↓)。


おかーさんが「おいで!」と呼ぶ。

するとドガティ君が走って来てボールを取る(↓の画像の左端)。


そんな簡単な遊びを繰り返す。

こちらが今年26年目を迎える山荘と前の道路。よく通ったよね。


ここは登山道でもある。このまま登れば阿弥陀岳まで行けるよ。


そこへご近所さんが散歩に来られて、ドガティ君の相手をしてくださった。


このご近所さんは、私のブログを読んでくださっているらしい。

先日の香草庵の店主さんご家族といい、この方といい、みなさんにいろいろと読んで頂いてありがたい。

おかーさんとドガティ君の遊びが続いた。


ここは別荘地の終点だ。


ドガティ君は「もうボール遊びは終わり?」と不満げ。


さすがに遊びすぎです。

また疲れてずっと寝ていることになるよ。

疲労しているのに、遊びたい気持ちが勝ってしまう、ガキなドガティ君。

私はビール。


ドガティ君のセーターは雪でぬれたので、ストーブで干す。


このビール、私の好みじゃない(笑)。


限定醸造の文字につられてしまった。


味がどうもいまひとつ・・・。

夕方になり外はどんどん冷えて来たが、屋内はホッカホカ。


ここからは温度調節が難しくなる。

放置すると屋内が温まり過ぎるからね。


原村のAコープで買ったおつけものやお惣菜を並べる。


あっさりと晩御飯だ。

ごはん、サラダ、大根のおつゆ、ザーサイ、高菜漬け、かつおの刺身、切り干し大根の煮たの、ひたし豆。


上野先生の続き。


上野先生の作品のうち最大のヒットは例の「おひとりさまの老後」である。


どんな暮らしをしていても、最後にはひとりになることが多い。


シングルアゲインな女性を、ずっとシングルだった上野先生は歓迎している。


シングルアゲインって言葉の使い方がいいね。

『「いっしょに暮らそう」という悪魔のささやき』と言って、子が親に同居を言い出した時の危険性を、先生は戒めている。



子も子の生活があり欲もあり、子は自分の生活を守り、より良くしたいと考えている。

だから二世帯住宅というのは曲者だ。親は家やお金を餌に子供を釣って、子供に自分の面倒を見させようとし、子供も自分で家を買うのはしんどいし、親に頼ればいろいろと楽が出来るから、親が差し出す二世帯住宅という餌に釣られる。

しかしそんな同居状態が当初はうまく行ったとしても、その期間は意外に短く終わることが多い。親世代も子世代も孫世代も歳をとり、どんどん生活のパターンがバラバラな方向に変化するからだ。


親世代がまず健康を損ない介護なしでは生きて行けなくなり、やがて家を出て施設や病院行きになる。子世代はますます多忙になり遠隔地や海外に転勤したりあるいは離婚したりして、そこには住めなくなることもある。孫世代はすぐに成人して元気に独立する。

二世帯住宅が完工当時計画されたとおりの二世帯住宅としてきちんと機能する期間は短く、それを過ぎると二世帯住宅は却って使いにくいだけ。そんな例を私もたくさん見て来た。

家族構成の現状に合わせて、中古住宅をどんどん買い替えて行くという文化は日本にはあまり定着していない。一軒の家が流通市場に出て長い間にいくつもの異なる家庭により所有されるということが滅多にないのだ。そもそも我が国の住宅の建替えサイクルは悪名高い短さだ。

そんなことを考えると、おひとりさまは気楽かもしれない。とにかく面倒がない。

我が家もそうだが、夫婦はどちらかが先に死ぬわけで、その時はおひとりさまが残る。さてどんな暮らしになるのでしょう。どんな暮らしをしている人も、みなそれぞれに問題があるのですねぇ。

【つづく】
コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ヶ岳西麓原村(4) 香草庵の帰りに自然文化園で散歩して、Aコープ原村店で買い物する

2025-01-07 19:43:40 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
ベートーベンの交響曲第4番と第7番。


つまり演奏されることが少ない交響曲2作品の組み合せね。

では第7番の第4楽章を聴いてみましょう。

Beethoven: Symphony No. 7 in A Major, Op. 92: IV. Allegro con brio

ベートーベンの交響曲の中では3番、5番、6番、9番ばかりがよく聴かれていて、それ以外は地味であり、記憶にあまり残らない(私の場合)ものが多いのだが、この第7番の第4楽章は記憶に強く残るものだね。

香草庵を出た。


すぐ近くにあるのが農場(八ヶ岳中央農業実践大学校)である。


ドガティ君は遊ぶ気満々。


「だってボクはそばを食べてないんだもん」

ボールをくわえて走る。


しかしこのあたり、鹿の糞が妙に多いな。



そこでまるやち湖へ移動。


凍っているぜ。

バリバリに。


小さな鳥が氷上を歩いた跡がある。


人間の子供が歩いた跡もある。


いつものヤドリギ通りを通る。


ヤドリギがずいぶん増えてないかい?


ここまで増えたら(↓)、ヤドリギが養分を吸うので、それに寄生された木々はしんどいんじゃないの。

たいてい寄生されるのは、ズミとかシラカバだけどね。


ちょっとヤドリギ多過ぎだよ。少しは遠慮しなさいよ。

黄色い実がなっている。


ぶちゅぶちゅと。

いつもおいしそうに見えるが、これを食べるという話は聞いたことがない。


妻はドガティ君を撮影中。


こちらは赤みを帯びた実だ。これもおいしそうだね。


ここから山の中に入りましょう。


だれ~もいない、年末の森。


森の中をぐるぐると歩く。


このあたりは歩きやすい森で、いつも来ている。

迷うこともないよ。


農業用水の流れが凍っているね。


冷たそうな眺め。

ドガティ君もびっくりだ。


あちこち見学中のドガティ君。


普段からよく見に来る場所である。

なぜこの日に限って水が白く固まっているのか、ドガティ君にはわからないだろうね。


やがてこの流れの様子が変わり、下の画像のようなところにたどり着く。

下の画像で、右下の上手から流れて来た水は多くが右上の下手へと向かうが、一部は土管の中に入り、左上へと流れて行く。


そしてその水がまるやち湖へと流れて行く。


ここ(↓)がまるやち湖への流入口だ。


まるやち湖は農業用ため池である。

これを向こうに歩いて行くと次に現れるのは・・・


まるやち湖の中の取水口である。ここから水を取って下流に流す。


ここから抜き取られた水は下へと流れ落ち、この先ですぐ下の流れに合流する。


はい、楽しい散歩は終わりましたよ。


原村の中を移動しましょう。

諏訪市街や諏訪湖まで見えるね。


Aコープでお買い物だ。いつものことだね。


この日はまだ12月29日。


「ベトナムぞうきん」と書いてあるよ。


これのどこがベトナムなんだろう?


あ、本当だ。

MADE IN VIETNAMと書いてあるわ(黄色い下線のところ)。


他にはヨーグルトを購入。


さらにこれは鯉。見ただけで買ってない。


こちらは鯉のあらい。


このENEOSではハイオクは1リットルあたり201円だって(左下に書いてある)。


高いねぇ。

これはAコープでもらったガソリンの割引クーポン。


しかし1月4日じゃなあ。

もう鎌倉に帰っているよ。

【つづく】
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ヶ岳西麓原村(3) 朝の散歩と香草庵

2025-01-06 12:00:10 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
有名なこの曲をどうぞ♪


こちらのYouTubeをクリック♪

Brahms: Hungarian Dances, WoO 1: No. 5 in G Minor. Allegro (Orch. Parlow)

朝早くから散歩。 


マイナス8度くらいかな。



この足跡は誰の?


鹿かな?


坂道を下る。


ここは日の出が遅い。


八ヶ岳に近すぎるのだねぇ。

寒いから帰り道を急ぐドガティ君。


どんどん歩く。


「たまらん、ボール遊びもしないのに、ただ歩くだけだなんて」とでも言っているみたいだ。

昨夜も少し雪が降ったみたい。


いつもの朝ごはん。


カントリーキッチン・ベーカリーのクルミレーズンパンはおいしい。


朝ごはんを食べてまったりするドガティ君。


ストーブでタオルやふきんを乾かす。

空が晴れて来ましたよ。



昼前にお出かけだ。

ドガティ君も一緒に出発。


エンジンブレーキをつかって坂を下る。


ずるずるずる、そろそろそろと運転。


鉢巻道路は雪はない。


この先で左折する。

そして御柱街道を下る。

すると現れるのが香草庵。


そばの名店。

今世紀に入ってしばらくして開店。

あまりにおいしいのですぐに有名店になり、今じゃ開店と同時に駐車場にクルマが並び、店内は満席状態だ。


なぜかこの建物(↓)。

とてもブリティッシュなそば店なのでした。


新そばの旗が揺れる。



この日はお二人で厨房と店内を回しておられた。


着席するまで数分だけ待った。



そば茶。


温まるな。

大変ショックな知らせだ。香草庵は2025年末には閉店する。

それは私たち夫婦としては困る。しかしお店が判断したことだ。しかたがない。

私も妻もぶっかけとエビ天を注文した。そしてそれがやって来た。


これがおいしいのだ。


味噌玉(上の画像の右下端)がついてくるから、それをつゆで溶いて、麺にぶっかける。

エビ天にズッキーニが付いて来た。


もうひとつ驚いたことがあった。

私は今世紀に入ってすぐの頃、IBMホームページビルダーを使ってホームページを手作りしていたが、インターネット上で原村に係る人達と盛んにやりとりしていた。今は原村にない八ヶ岳紅茶倶楽部DADAさんがその中心だったように思う。

香草庵の店主さんはその開店を前にして、原村の情報を探して、我々のやりとりをご覧になっていたようだ。

おちゃ(=私のこと)のこともよくご存じだったとのこと。今より寒かった当時(今も寒いが)、DADAさんは私の山荘のある地域を「原村のカトマンズ」と呼んでいたが、香草庵の店主さんはそれもご存じだった。おそろしく懐かしい四半世紀ほど前の話だ。

香草庵に通い詰めていた私は、もっと早くに店主さんに名乗り出ていれば良かったな。今頃になっていろいろと繋がるなんて。


味噌玉をそばつゆに溶いて、ぶっかけて食べる。

七味もね。

全部食べたら残ったつゆにそば湯を足して、全部呑み込む。


ごちそうさまでした。

あぁ~~ショックだ。

でもあと1年営業が続くらしいので、できるだけ香草庵でぶっかけを食べましょう。


残念だなぁ。

こんなにおいしいそばを出してくれるお店もないのに・・・。

【つづく】
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ヶ岳西麓原村(2) 原村を巡回し、茅野市の弓振公園で遊び、Aコープ原村店で買い物する

2025-01-05 09:11:43 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
モーツァルトの交響曲第40番はお好きですか?



しかしモーツァルトって多作な人だよね。

Mozart: Symphony No. 40 in G minor, KV 550 (Herbert von Karajan)

外出する。村内巡回だ。

極寒仕様のジャケットを着こむ。


ドガティ君もジャケットを着た。


うっすらと雪が降ったらしい。



エンジンブレーキを利かせてのろのろと坂を下る。


滑ると怖いもんね。

標高で1,400mを下回ると雪もないので拍子抜けする。


昨年亡くなった漫画まことちゃんで有名な楳図かずおさんが、吉祥寺に彼のトレードマークであった赤白のストライプでご自宅を建てた時は、近隣住民との間でかなり揉めて有名になった。

その前に彼は原村に同様な別荘を建てている。それがこちらで、こちらもまた大昔からメディアに取り上げられて有名だ。



こちらも相続されるんだろうねえ。

たてしな自由農園原村店へ。


スタッフを募集中だ。



自由農園で働いたら楽しいだろうなあ。

信州の産物をいろいろと観光客に売る。

私だったら買おうかどうしようか迷っているお客さんに説明して回る。かんてんとか蜂の子とか、それのどこがおいしいか、どうやったらおいしく食べられるか等々。うるさい店員だなあと、めんどくさがられそう(笑)。

お正月の飾り。


信州産リンゴも大量に売られている。


ご存じスズキヤさんの製品も多い。


鹿ジン、猪ジン。


全部おいしいよ。

こちらはいなごや蜂の子。


野沢菜やわさびのふりかけもあるぞ。


妻はキノコのピクルス、8 Peaksのビール、ドライ・レーズンを購入した。


私は日本酒を購入。


本金太一の本醸造と高天の純米の2本だ。楽しみだねえ。

農道を移動する。


標高が下がるほど温かくなって行く。

山荘の周囲は雪だらけだし、実際粉雪がクルマに積もっていたが、ここはまったく何もなかったかのようにカラッカラ。


極寒仕様の服装で下りて来たのが馬鹿みたいだ。

ここは茅野市の弓振公園。

地元のみなさんは薄着で遊んでおられる。


とにかく遊びましょう。


ドガティ君のボール遊びだ。


「わーーい、わーーい、ここは遊びやすいぞ、雪なんてないぞ」

ドガティ君はうれしそうに走り回っている。


「おとーさん、どんどん投げてくださいよ」


「わーい、わーい」

楽しそうに走り回るドガティ君。


ここのケヤキは完全に落葉しているね。


数日前の東京のケヤキはしっかり葉が付いていたが。

農道を散歩しよう。


古そうなトラクター。クボタだ。


なぜに「B」? ベントレーのエンブレムみたい(笑)。


晴れていれば正面に甲斐駒が見えるはず(↓)。


この日は曇りだったから、ごらんのとおり。

こちらは諏訪市街を見下ろしたところ(↓)。


右端には諏訪湖が少し見えている。

煙が出ているのは、諏訪南清掃センター(茅野市)だ(↓)。


諏訪南ってくらいあって、諏訪6市町村の南半分のごみの多くがこちらへ持ち込まれる。

諏訪郡の原村や富士見町のごみもこちらにお世話になっているよ。

農道を引き続き散歩する。


弓振公園の駐車場に戻った。


もう誰も遊んでいませんよ。

Aコープ原村店へ。


三ケ日みかんを買いましょう。


加工用リンゴが売られている。


それをジュースにしたものも売られている。


野沢菜も信州では不可欠。


野沢菜入りおやきが好きです。

馬刺しもあるよ。


サワーやチューハイ。いい眺めだねえ。


わかさぎのから揚げ。


おいしいんだが、ずいぶん多く入っていて買うのを躊躇してしまう。

この割干し大根キムチってのがおいしそう。


この日は買わずに終わった。

後日買うことになるのだが。

本金太一。このあたりではとても有名なお酒だ。


諏訪地域にある酒蔵の中では最小の酒ぬのや本金。

その酒蔵がつくるお酒で一番よく売れているのがこの本醸造・本金太一だ。


ストーブで温まろう。


この日は1日目だから、温まるのにかなり時間がかかった。

【つづく】
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八ヶ岳西麓原村(1) 到着した話

2025-01-04 13:41:11 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
昨年の暮れに原村に行き、今年に入って帰って来た。

このブログのポータルはNTT docomoのgooなのだが、それが正月早々サイバー攻撃の影響を被った。dポイントなんてのも決済があるから大変だったらしい。

インターネット経由のこのブログの利用は2日早朝から4日昼前まで、ほとんど不可能になった。スマホだとWi-Fiを使わず、通常の携帯の電波であれば、途中でもこのブログにアクセスできる時間帯があったようだ。

ということで無事アクセスがPCからもできるようになったので、記事を更新する。


原村に到着したのは12月28日の朝だ。

そういえば我々にとってのトラブルはサイバー攻撃だけではなかった。28日の早朝に中央道は大きな交通事故があり、大月ICと勝沼ICの間の下りが通行止めとなってしまった。渋滞もひどいし、我々はその区間だけを国道20号線で移動することになってしまった。

サイバー攻撃も交通事故も困る。本当に迷惑なことは止めてほしい。

山荘に到着したらマイナス4度ほどで、そんなに寒くなかった。ガンガン薪を焚く。


じわじわと室内が暖まり始める。


とはいえ、まだマイナス2度(笑)。

山荘に来る途中、カントリーキッチン・ベーカリーでパンとアップルパイを購入した。


こちらはローソンで買ったおにぎり。これが朝ごはん。


ツナマヨがおいしい。でも寒い(笑)。


これがアップルパイ。


カントリーキッチンのパイはおいしいのだ。


雪の量もたいしたことない。


滞在中もほとんど追加で降ることはなかった。

ちらちらと粉雪が舞うくらいだった。


これからしばらくの滞在。

楽しみだ。


カラマツ林。手前はモミ。


ミヤマザクラの老大木の向こうに山荘。


こちらは両側ともカラマツ。


もう全部落葉しているね。

12月も終わりだから。


薪はたっぷりある。


とにかくこれを焚けば大丈夫。

「大丈夫じゃないよ、ボクは寒いよ」とドガティ君。


待ってね、もうちょっとの辛抱だ。

ほら+9°度になったよ。


やかんで湯をわかす。

温かいものが飲みたいよね。


こちらは浄化槽の点検の結果だ。


3か月に1回点検をしてもらっている。異常はない。

やがて昼ご飯の時間になる。


ローソンで買って来た冷凍鍋焼きうどんを食べよう。

まずは弱火で温める。


水分が出て来たら、強火に。

それでグツグツ煮えたら終了だ。


七味かけて食べよ。



温まるなぁ。

寒いところでは鍋焼きうどんがおいしい。

【つづく】
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京へ(3) 丸の内から有楽町を経て銀座へ、そして会食して帰宅

2024-12-31 12:00:29 | あちこち見て歩く
3回連続でモーツァルト♪ 

【Karajan & WPO 1987 Live Mozart, Symphonie Nr. 41 First movement.

No.41.有名なシンフォニーですね。

東京駅丸の内側の南端。



ここは昔から不思議なスペースだ。

株式会社はとバスという一企業がここを独占的に使っている。

1.公道上にバスを停める。
2.歩道上に乗り場があって、柱と屋根が固定されている。


黄色いバスは公共交通機関じゃない。単なる有料観光バス。

はとバスってここを使って一般の乗り合いバスも運営しているのだっけ?

ひょっとしてそれもあるのかな? でもそれにしてもねぇ。


こんなトイレまである(笑)。



最大の株主は東京都で、次がJTBだ。その二つで65%ほどになるらしい。

なんかちょっと不思議なんだなぁ。

J.P.Morgan。巨大金融機関。



いろんな銀行が統合を繰り返し、今に至る。

よくご存じない人は自分で調べてね。

ここは大小様々なクルマたくさんが通るわりには高さがない。


ここに大型クレーン車がぶつかって高架橋が倒れたりしたら、大変だ。

JRの多くの線がストップすることになるだろうねえ。「東京駅と有楽町駅間が不通!」なんて言って大騒ぎになることだろう。

線路の下の魅力的なお店が並ぶ通りを歩く。


するとJR有楽町駅。


フランク永井なんて人がいたねぇ。

あなたとわたしの合言葉♪
有楽町で逢いましょう♪

若い人は知らないだろうなあ。我々世代が子供の頃の歌だ。

駅前にあるのはビックカメラ。開店は今世紀入ってすぐくらいだったかな。もともとはそごうだったこの場所が、ビックカメラになった時は驚いた。


でもそれって、今ではよくある図式だ。

当時旭硝子本社は道を隔てて向かいの新有楽町ビルにあり、旭硝子を仕事で訪問したら、通された応接室の窓からビックカメラが見えた(笑)。

店内はいつも楽しい。ついつい全フロアを見て歩いてしまう。


東京観光ツアーみたいになって来たね。

交通会館ビル。これもおなじみだね。パスポートなんかもここでとれるね。


人がいっぱい並んでいる。


吉野家に並んでいるのではない。

有楽町駅前の宝くじ売り場に並んでいるのだ。

昔時々入った中華料理屋さん。ずいぶんご無沙汰だ。


街中華の雰囲気が濃厚。

1980年代に開店した有楽町マリオン。当時は西武有楽町店と有楽町阪急。


私もオープン直後に長時間並んで入店した記憶がある。すごい行列だったな。

私も若かった。今だったら、そんなこと絶対しない(笑)。

今もまだ阪急は残っているのね。このHankyuって字体、あまり良くない。


こちらにも、ジャンボ宝くじの行列があるよ。


恐ろしく長い行列だ。

係員がたくさん出て、宝くじの行列がバス停の邪魔にならないように誘導している。


行列はバス停を超えて、矢印の方向に続いている。

ずっとずっと先まで。


やっとここで、行列が左に曲がる。


すると「億の細道」に入る。


みんな10億円を狙っているのだ。

この億の細道に入ってからもずらっと並ぶ。


なぜみんな並んで買うのだろう?

宝くじってどこで買っても同じだと思うが。

「よく当たる」と言われる販売所は、ただ発売枚数が多いだけじゃないの?

それは私のような素人の言うことなのかな?


押し合いへしあいすごい人。


何が何でも、数時間並んででも、ここの売り場で買わないといけないらしい(笑)。


ちょうど数寄屋橋交番の裏あたりに、その売り場がある。


有名な不二家。


SBI Shinsei Bankって何がどうなって、過去はなんだったかご存じですか?


ちょっと上級編のクイズですね。

ではもうちょっと簡単なクイズで、Mizuhoってどこがどうなってみずほになったのか、覚えていますか?


ボッテガヴェネタなんて妻が好きそうな響き。


恐ろしいから見なかったことにしよう。

あ、キムタクじゃないけど「やっちゃえ日産」だ。やっちゃったねえ、ホンダと統合されそう。


電気自動車路線でがんばっていたけど、却ってそれもあだとなった感じ。


銀座四丁目、和光ビル前。


セイコーの時計台だ。

さてそのビルの1階にあるこのH(↓)は何のHでしょうか?

今日はクイズが多いね(笑)


あっさりお教えしますと、服部時計店(つまりはセイコー)のHですよ。

フェンディも。銀座というのは恐ろしいところだ。


私とは無関係で高いものばかり。

あ、一気に安いものになった。GUだ。


その向こうにはユニクロの巨大な白いビルもある。


私の好きなライオン。


そろそろビールが飲みたくなって来た。

ワシントン靴店。


GUのビルはワシントン靴店が大家さんで、ビルのほとんどをユニクロに貸して、ユニクロがそこにGUを展開しているということみたい。


GUって安くていいわぁ~。


GUの靴下、いくつか持ってます。

こちらはユニクロの店舗前。インバウンドさんだらけだ。



インバウンドさんを乗せた観光バスや黒い車体のアルファードが大量に堂々と路駐。



警察さん、さっさとこんなの捕まえましょうよ。

アルファードは白タク営業が多いね。そもそも営業に問題があるが、鎌倉市内でもめちゃくちゃな路駐をしているやつがいる。運転手は日本人でないことが多い。まったく、いい迷惑だ。

オニツカタイガーって今はアシックスの中の1ブランドなのね。


オニツカって昔からあるよね。

肉のハナマサ。鎌倉にも店つくってほしい。


ひょいっとわき道に入る。


維新號って、赤坂見附にも店舗があったね。


その維新號の横の細い道へ入る。


そこを抜けて、左へ入ると、こんなビルの裏口みたいなところに出る。


そのビルの表口へ回ると、こんな表示(↓)があって、飲食店がたくさん入っている。


その中の一つの店に突入。

やっと食事だ。ビールも飲める。鎌倉の自宅を出たのが11:20頃。そこから7時間近く経っている。そのほとんどの時間を私は歩いていた。すごい数の写真を撮影した。

資産運用業界にいた3人で会食だ。

長時間喋りまくるので、のどが渇くし、みんなよく飲む。

こちらは途中で出てきたパスタ。ボロネーゼだね。


喋りまくって終了。

新橋駅へ向かう。


かつてはポンヌッフいうそば屋さんだった場所に、今はゴーゴーカレーがある。


JR横須賀線新橋駅で電車を待つ。


鎌倉駅で下車して江ノ電に乗り換え。


夜の10時半ともなれば、ホームもがらぁ~んとしている。

七里ヶ浜駅で下車。


寂しい。下りるひとは私しかいない。

去って行く江ノ電に敬意を表して撮影。


駅前のハイブリットは貸し切り。ハイブリッドではない。ハイブリットが正式名称。


女性グループがのみまくっていた。

七里ガ浜住宅地へ。


寒いねぇ。夜は冷える。

誰も歩いてないよ。


田舎だからね。

こんなもんよ。


こうやって無事帰宅したのでした。

これはその翌日の画像。七里ガ浜住宅地内に新しく出来た焼き芋屋さんで購入した焼き芋。


トロトロで柔らかく甘い、紅あずま。


おいしかったよぉ~。

ドガティ君はジャーマンペットハウス鎌倉店(七里にある)で、セーターを試着中。


お似合いですよ。

クリスマス・プレゼントに買ってしまいました。

プレゼントったってドガティ君はそんなに喜んでなくて、喜んでいるのは飼い主たちなのでした。
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京へ(2) 丸の内、東京駅周辺を歩く

2024-12-30 00:00:43 | あちこち見て歩く
本日もモーツァルト♪

Mozart - Violin Concerto No.5 in A major, K.219, 'Turkish'

引き続き大手町交差点あたりを歩いていた。


そして丸の内側へ移動しましょう。

これ(↓)が私が就職して最初に配属されたビルがあった場所だ。

当時ここに建っていたビルはこれよりはるかに小さいビルだった。

今はご覧のとおり巨大なビルに建て替えられていて、ここからカメラを構えても上から下まで全部を撮影することができない。


ちょっと移動してカメラを90度かしげて撮影。


デカいな。

そのビルの道路をはさんで西側には、細長い土地に建てられた日本興業銀行本店ビルが当時はあった。

それはとっくに潰されて、今は新しいビルが建っている。下の画像の中央がそれだ。

黄色い破線に囲まれた⇔の長さが、こちらの道路に向いた敷地の幅だった。そこに建てられた新しいビルも細いわ(笑)。


かつての重厚な日本興業銀行のイメージからは想像できない飲食店が、その新しいビルの1階に並んでいる。


飲食店の上はこんな外観(↓)。


このあたりのビルがどんどん建て替わるので、今となっては古いビルと言えるであろう丸の内センタービル(↓)。


かつては富士通が入っていたこともある。日本勧業角丸証券本社部門が入っていたこともあったな。

このあたりは三菱地所所有のビルが多いが、この三井住友信託銀行(↓)があった位置に、大昔から住友信託銀行の東京営業部(本店は大阪だった)があった。当時仕事でよく行った。


このあたりにはビルの合間を抜ける細い抜け道が多くあったが、代表的なのがここ(↓)で、昔はすごく細い道だった。当時と比べるとビルは後退して、その代わり容積率が増えてどんどん高層化し、今ではその抜け道がずいぶん幅広くなった。



もはや抜け道ではなく、ちょっした広場。

そしてこんな店が金融街のビルの一階にできていたりする。隔世の感があるね。


ビアンキだ。


日本工業倶楽部のビル。


格式が高いね。

内装がこれまたすごいが、今日は中は見られない。

ここは日本で電話交換が始まった場所でもある。


明治23年だそうだ。廿は20ね。では30はどう書けばよい?

分からない人は調べてみてね。

すごい工事が始まっている。

1970年代後半に建てられた東京海上火災保険(現東京海上日動火災保険)の本社ビルは潰され、今は更地の状態だ。


建て替え工事が進んでいる。


20階建ての木造高層ビルが出来上がる予定だよ。一部鉄骨を入れるらしいが。



時代は木造へ。

結局コンクリートのビルだって、早いと30年も経たずに建替えられているのが日本の現状だからね。立派な寺社の釘すら使わない木造建築は、大地震にも耐えて数百年はもっているし。

なぜか私の横にウェイパァーが停車した。これさえあれば街中華は出来る。


万能調味料だね。

行幸通り(東京駅丸の内側と皇居を結ぶ通り)を横切る。


途中東京駅の正面が見える。


1980年代半ばに完成した郵船ビル。ここには仕事で何度も行った。今のところ建替えられる計画もないらしい。


行幸通りの皇居側だ(↓)。



行幸通りから入って丸の内を南下する。


丸の内ストリート・パークだ。

こちらは新丸ビル。


ちょっと地下に入ってみる。


新丸ビルが建て替えられる前からあった店舗が何か残っていて、今も営業しているかな~?と思って見てみたが、どうもなさそうだ。


Eatalyとは、なんとも変わった名前。パニーニその他を売っている。


ダジャレ的な名前で日本の会社かと思ったら、そうじゃなかった(笑)。

イタリアに本拠を置くグローバルな企業みたい。


地下深いJR横須賀線から上がって来て改札口を出ると、丸の内側に抜ける地下通路がある(↓)。


ここは変わっていない。特に画像右手の白いタイル(丸く囲ったところ)なんて1980年代から変わっていないと思う。

東京駅丸の内北口前の横断歩道(↓)。1980年代前半、ここで私は始業前の時間帯(朝8:00~8:30あたり)に何回もチラシ配りをした。自分が勤務していた銀行が発行する個人向け金融債を販売するためだ。自分達でデザインたチラシを自分達で配る。ここでチラシを配るには丸の内警察署で事前に許可証をもらわねばならない。すると交通の妨害にならないように、チラシ配りの人員の立ち位置や人数を指定された。


この横断歩道の手前で朝早くからチラシをずっと配っていて、ある法則に私は気づいた。ポケットティッシュなどつけずチラシだけを配る場合、受け取る人は10人~20人に1人くらいのものだった。しかしそれでも、信号が青になった瞬間、横断歩道を一斉に素早く歩いて来る人たちほどチラシを受け取る確率が高いのだ。

そういう人たちは、会社に早く到着しようとしており、顔つきも積極的で、チラシを配っている人(つまり私やその同僚)のことを道の向こうから事前に時々見ている。そしてチラシのような微小な情報も逃さず持って行く。

一方後ろの方をあくびしながらゆっくり歩いて来る人ほど、チラシを受け取る確率は低くなる。顔つきに生気が感じられない人が増える。会社に早く到着したいなどとは全く思っていないように見受けられる(笑)。

あちらのビル(↓)は旧大和銀行東京営業部のビルだったところだ。大手町野村ビルだね。


大和銀行(現りそな銀行)は1995年に大変な巨額損失事件を抱える。

その事件の前後でここにあった大和銀行の東京本部に仕事で何度も訪問したのでよく記憶している。

ここ(↓)は私が新人銀行員時代に最も頻繁に出入りした東京メトロ大手町駅の南側の改札だ。


この改札を出ると、最寄りの階段を上がって地上に出ることができる。その出口前に建っているのが、先にご紹介したこのビルだ。私はこの場所に以前建っていたビルに40年ほど前は通勤していたのである。ほとんど話がじじいの昔話だね。


しかしこれは単なるじじいの昔話ではない。地下から地上へ向かう出口階段の現在の位置がどうも昔のそれとは異なっているようなので、私はそれを検証しているところなのだった。

地下の大手町駅改札前のここから地上へ上がる階段は、昔は赤い矢印の方向に向かってついていたように思う。しかし今はそこに階段はなく、もうちょっと右の黄色い矢印の先にある階段あるいはエスカレーターで地上に上がることになる。



この黄色い矢印を行ってみましょう。


エスカレーターで地上に出たところだ。


以前は地下鉄からの出口が歩道上に作られていたが、それは歩道の交通の妨げになる。

下の画像を見ると変化がわかる。ここはエスカレーターや階段の出口だ。左手の歩道からは、地下と地上を結ぶ階段の出入口が消えたのだ。建替えられたビルはかなり右へ後退し、そこへ地下から地上に出て来たエスカレーターや階段の出口が来るように、その位置を右へ5m以上ずらせたようだ。住みやすい街になったというわけね。歩道はスッキリとしている。


そして信号のない横断歩道は歩行者優先で、ここを渡る(↓)。


ここでは大昔から、ドライバーが必ず停車してくれる。信号のない横断歩道で歩行者を優先することは道路交通法に定められているが、実際にはそれを守らないドライバーがだらけだ。

その点、千代田区丸の内1丁目(ここの住所)を走るドライバーは皆さん行儀が良い。

東京駅の前では結婚式の前撮りか、あるいは雑誌やウェブサイトの撮影か、ウェディングドレスを来た人とカメラ担当者がうろうろしている。黄色い破線で囲った人はウェディングドレスを着ている。


これ(↓)をバックに撮影しているのだ。


KITTE丸の内だ。日本郵政の本拠地。


KITTEってよく名付けたね。



デジタル時代に消えて行くKITTEだけど(笑)。

半世紀もしたら、切手と言われても何のことかわからない若者だらけかもしれないね。

カジュアルなビルの名前。今風だよ。

こちらはホテル。


トーキョー・ステーション・ホテル。


今は高級になった。

昔は残業した時に泊まったことが何度もある。

まったくやる気がないホテルだった。シングルで、共同浴場でたしか9,000円くらいだったな。よく泊まったのは35年くらい前の話だ。

それが今はめちゃくちゃ宿泊料金の高いホテルだとか。


ここに昔から駅長室と書いてあるんだけど、本当に駅長はここにいるんだろうか? 外に向かって扉が必要なのだろうか? そういうルールがあるのかな?


これが以前から不思議に思うものだ。手前の石はまあいいだろう。「東京駅」と書いてあるのだから。問題は同じ大きさで何も書かれておらず、その右手奥にずらして配置してある石(黄色い破線囲った石)である。何のために、この石を右手に、しかもずらせて置いてあるのでしょう。



こんな石です(↓)。意味がわからない。


何も書いてない。

誰かご存じですか?


裏側にも何も書かれてないんだ。でも役には立つよ。大柄な男性なら座るのにちょうど良いからだ。でもあまり座っている人は見たことがない。

丸の内北口。


いつ見ても美しいねえ。


もう一度、高級になったトーキョー・ステーション・ホテル。


こうなってからは泊まったことないんだなあ。

私が泊まったのは大昔の9,000円時代だけ。ボロボロでしたよ。

リュウノヒゲはこういう公共スペースに植えるのにとても便利。


通年で緑だ。丈夫である。密に生えるので、間から雑草が生えにくい。手間があまりかからない。

修復された東京駅の最上部(3階)。レンガが新しい。


しかし修復されたというわりには昔からあったようなレンガに見える部分も多い。

どういうこっちゃ? この3階部分のレンガなんて古そう。


こちらに修復の説明がある。


丸の内南口はこちら。


北口と同じデザイン。


これも美しいね。

【つづく】
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする