タイトルを知っている人は多いが実際に読んだことのある人が少ない、という本は世の中にたくさんある。この本もそのひとつであろう。谷崎潤一郎著「陰翳礼讃」。画像はこの文豪の他の随筆も一緒に織り込まれた中公文庫の中の一冊で、私が買ったのは2003年改版9刷である。谷崎潤一郎は洋行の体験がないらしい。しかしながらこの本では、建物の採光や屋内の照明に係わって欧州と日本を対比させ、日本の屋内における暗闇、照明の届く範囲の内と外、屋内でぼんやりと照らしだされる諸物の美しさを、丁寧に解説している。
これが書かれたのは第二次大戦前のことだ。その時点では一般的にまだ欧州と日本を比較すれば、日本の住宅の中は薄暗かったのであろう。今はそれが逆転している。変化が大きかったのは日本の方だ。日本の住宅は開口部を大きくし、軒も庇も短くあるいはなくし、照明には蛍光灯が多用され室内はとにかく明るいものになった。元来日本建築において広い開口部がある場合は、必ずその先に縁側あるいはそれに近い廊下のようなものがあり、さらにそれを覆う形で長く張り出す軒がセットになっていたわけで、決して室内の床部分を直射日光が1日中叩くような仕組みにはなっていなかったはずである。開口部をとおして室内から外を見れば広く明るいが、外から室内を見た時は薄暗かったことだろう。「開口部をとにかく広くして明るく」という施主のリクエストが強く、軒も庇もないままに開口部だけを押し広げた現代の住宅とはかなり異なる状況であったのだろう。今の日本では「陰翳」というものは消失しつつある。
日本人がとにかく照明を明るくしようとする傾向は、第二次大戦後にいきなり始まったわけではないらしい。すでにこの陰翳礼讃に、「これほどまでに明るいのはアメリカと日本だけ」という他人の批評を引用した記述も見られるのである。戦前にはすでに、「欧州よりも明るいのではないか」と感じられる所が日本に存在したらしい。
画像は我が家の洗面台正面の壁につけた照明器具。照明器具の下は鏡で、縁は木製(パイン)である。
これが書かれたのは第二次大戦前のことだ。その時点では一般的にまだ欧州と日本を比較すれば、日本の住宅の中は薄暗かったのであろう。今はそれが逆転している。変化が大きかったのは日本の方だ。日本の住宅は開口部を大きくし、軒も庇も短くあるいはなくし、照明には蛍光灯が多用され室内はとにかく明るいものになった。元来日本建築において広い開口部がある場合は、必ずその先に縁側あるいはそれに近い廊下のようなものがあり、さらにそれを覆う形で長く張り出す軒がセットになっていたわけで、決して室内の床部分を直射日光が1日中叩くような仕組みにはなっていなかったはずである。開口部をとおして室内から外を見れば広く明るいが、外から室内を見た時は薄暗かったことだろう。「開口部をとにかく広くして明るく」という施主のリクエストが強く、軒も庇もないままに開口部だけを押し広げた現代の住宅とはかなり異なる状況であったのだろう。今の日本では「陰翳」というものは消失しつつある。
日本人がとにかく照明を明るくしようとする傾向は、第二次大戦後にいきなり始まったわけではないらしい。すでにこの陰翳礼讃に、「これほどまでに明るいのはアメリカと日本だけ」という他人の批評を引用した記述も見られるのである。戦前にはすでに、「欧州よりも明るいのではないか」と感じられる所が日本に存在したらしい。
画像は我が家の洗面台正面の壁につけた照明器具。照明器具の下は鏡で、縁は木製(パイン)である。