今日は暑い。夏日になったのかな。何年も前からビジネス上の付き合いのある人達と会うため、昨日も今日も東京に出かけた。昨日会った人も、今日会った人も『本物』だ。自分でビジネスを拡大する(=つまり自力で自分及び周囲の食い扶持を得る)努力を何年もした人ならわかるかもしれないが、自分で付加価値を作り出せるビジネスマン(=つまり会社の看板のバックアップやその世話を受けるのではなく、お金を受け取ることが出来るビジネスを自分自身で努力して生み出し拡大出来る人)は少ない。
公務員は論外、サラリーマンも半分は論外。親が残したモノと金に多少とも依存して衣食住をまかなう人も論外。ところが昨日今日と私が会った2人は、そうした意味では例外に属し、自分自身で稼いでいる人達だ。話をしていて、いろいろと参考になる。スゴイ!ジョークが多過ぎて意味が分からない会話になったりするが、ユーモアに溢れた人達だ。
今日会った人とは東京駅で待ち合わせた。時間が早いので、付近を散歩。上の写真は日本の首都、東京の玄関口、JR東京駅八重洲側改札を出たところだ。その真正面がこの風景。どう思いますか、これって。人により「これがアジアの風景よ」と高い評価を与えるかもしれないが、私はあまり好きになれない。ほとんど酸欠になりそうな画像だ。
「ペンシル・ビル」と呼ばれる細長いビルが並ぶ。まずは高さがまったくそろわない。むしろ「グチャグチャ」と言うべきか。そしてこの看板の文字と色彩。更にビルの壁面に極彩色の看板がある部分と無い部分。そこには個々のビルと周囲の景観とのデザインの整合性というものはない。しかしながら、これが日本を代表する東京駅前の風景の現実だ。「日本中くまなくカオス」と言うべき統一か。
少し南に行くとまた風景は変わる(上)。パシフィック・センチュリー・プレイスが建ってからここは変わった。高さ100m前後のビルが建っているのだ。しかしそれは連続しない。画像に見える2つのビルを行き過ぎれば、また低層のビルディングが続く風景になるのである。それもこの画像の2つのビルディングは前面が揃っていない。
私は景観というものを大事にしたいと考えている。このブログで何度も書いたので、繰り返しても意味がないかもしれない。またすでに紹介したので、ここで紹介しても仕方ないかもしれないが、チャールズ皇太子著「A Vision of Britain」にリンクを貼る。
「要は、伝統が大事。国の風景は歴史とともにゆっくり変化せねばならない。建築物は周囲との調和が大事。建築の部材やデザインがいきなり地域性や伝統を失うと、風景は品格を失う。歴史的連続性を失うと、建築物はその魂を失う」・・・である。いろいろな意見もあろうが、この投稿の最初の画像に、歴史の連続性や素材、様式、色彩の連続性が感じられるだろうか。
高さも大事だ。建物の上は空である。このラインがバラバラだと、景観は美しくなくなる。1番上の八重洲駅正面の画像がそうだ。バラバラなラインはこの投稿の1枚目の画像だけでももう十分なくらいだが、広い地域全体で高さを揃えないと意味がないのである。1枚目の画像も、そして2枚目の画像もスカイラインが揃ってないと意味がない。日本にはそれがないのだ。
マンハッタンは別だ。あそこは街路に立ったヒトの視覚に、あまりに高過ぎる摩天楼の最高部は入って来ない。つまりビル最上部が地上から150mだろうが380mだろうが、景観的には同じなのである。地上に立ってまっすぐ前を見ている人間からは、それがどれだけだろうがトップは見えないので、富山県立山の積雪の壁の間を通るバス観光の観光客から見た雪の壁の風景と同様。
しかし東京ではその高低差、デコボコが見えてしまう。因みにすぐ上の画像はリージェント・ストリート(オックスフォード・ストリート側より)。ここまでの曲線で、ここまで高さ、様式、素材、色彩が揃っている。均一性やバランスの美しさがある。街路に立った人の視覚に入る、ほど良い高さの美しすぎる連続。そして最も秀逸なのは、気絶しそうなほどの長い年月この眺めが変わっていないこと。
高さ、デザイン、素材、そして色。個性も大事だが、日本でもこれらについて(ビル街でも住宅街でも)近隣からあまりにかけ離れ、バランスが取れない状況にある建物は、もっとよく考えて建てられるべきだったのだろう。日本は先進国では稀な「自分の土地はなんでもオッケー! 文句あっか?」の文化があまりにまかり通る国だ。
帰り道で価値あるスコッチを発見。シングル・モルト。日本でもファンの多い、ボウモアのなんと1957年。30万円近いものをショーウィンドウ越しに撮影。これを味わえたら、いいでしょうなぁ。
横須賀線で帰宅。江ノ電七里ガ浜駅前に「こまわりくん(住宅街の循環小型バス)」が停車していたので、乗る。100円で住宅地内中心部まで乗せてもらい駐在所前バス停で下車した。画像はその「こまわりくん」が去って行く所。乗車客は全部でなんと2名。平和だねぇ。有名カレー店は、水曜の今日も満員。私は西友七里ガ浜店でチューハイを買って帰る。ゴクゴク飲もう。今日の夕食はタイカレーの予定。
公務員は論外、サラリーマンも半分は論外。親が残したモノと金に多少とも依存して衣食住をまかなう人も論外。ところが昨日今日と私が会った2人は、そうした意味では例外に属し、自分自身で稼いでいる人達だ。話をしていて、いろいろと参考になる。スゴイ!ジョークが多過ぎて意味が分からない会話になったりするが、ユーモアに溢れた人達だ。
今日会った人とは東京駅で待ち合わせた。時間が早いので、付近を散歩。上の写真は日本の首都、東京の玄関口、JR東京駅八重洲側改札を出たところだ。その真正面がこの風景。どう思いますか、これって。人により「これがアジアの風景よ」と高い評価を与えるかもしれないが、私はあまり好きになれない。ほとんど酸欠になりそうな画像だ。
「ペンシル・ビル」と呼ばれる細長いビルが並ぶ。まずは高さがまったくそろわない。むしろ「グチャグチャ」と言うべきか。そしてこの看板の文字と色彩。更にビルの壁面に極彩色の看板がある部分と無い部分。そこには個々のビルと周囲の景観とのデザインの整合性というものはない。しかしながら、これが日本を代表する東京駅前の風景の現実だ。「日本中くまなくカオス」と言うべき統一か。
少し南に行くとまた風景は変わる(上)。パシフィック・センチュリー・プレイスが建ってからここは変わった。高さ100m前後のビルが建っているのだ。しかしそれは連続しない。画像に見える2つのビルを行き過ぎれば、また低層のビルディングが続く風景になるのである。それもこの画像の2つのビルディングは前面が揃っていない。
私は景観というものを大事にしたいと考えている。このブログで何度も書いたので、繰り返しても意味がないかもしれない。またすでに紹介したので、ここで紹介しても仕方ないかもしれないが、チャールズ皇太子著「A Vision of Britain」にリンクを貼る。
「要は、伝統が大事。国の風景は歴史とともにゆっくり変化せねばならない。建築物は周囲との調和が大事。建築の部材やデザインがいきなり地域性や伝統を失うと、風景は品格を失う。歴史的連続性を失うと、建築物はその魂を失う」・・・である。いろいろな意見もあろうが、この投稿の最初の画像に、歴史の連続性や素材、様式、色彩の連続性が感じられるだろうか。
高さも大事だ。建物の上は空である。このラインがバラバラだと、景観は美しくなくなる。1番上の八重洲駅正面の画像がそうだ。バラバラなラインはこの投稿の1枚目の画像だけでももう十分なくらいだが、広い地域全体で高さを揃えないと意味がないのである。1枚目の画像も、そして2枚目の画像もスカイラインが揃ってないと意味がない。日本にはそれがないのだ。
マンハッタンは別だ。あそこは街路に立ったヒトの視覚に、あまりに高過ぎる摩天楼の最高部は入って来ない。つまりビル最上部が地上から150mだろうが380mだろうが、景観的には同じなのである。地上に立ってまっすぐ前を見ている人間からは、それがどれだけだろうがトップは見えないので、富山県立山の積雪の壁の間を通るバス観光の観光客から見た雪の壁の風景と同様。
しかし東京ではその高低差、デコボコが見えてしまう。因みにすぐ上の画像はリージェント・ストリート(オックスフォード・ストリート側より)。ここまでの曲線で、ここまで高さ、様式、素材、色彩が揃っている。均一性やバランスの美しさがある。街路に立った人の視覚に入る、ほど良い高さの美しすぎる連続。そして最も秀逸なのは、気絶しそうなほどの長い年月この眺めが変わっていないこと。
高さ、デザイン、素材、そして色。個性も大事だが、日本でもこれらについて(ビル街でも住宅街でも)近隣からあまりにかけ離れ、バランスが取れない状況にある建物は、もっとよく考えて建てられるべきだったのだろう。日本は先進国では稀な「自分の土地はなんでもオッケー! 文句あっか?」の文化があまりにまかり通る国だ。
帰り道で価値あるスコッチを発見。シングル・モルト。日本でもファンの多い、ボウモアのなんと1957年。30万円近いものをショーウィンドウ越しに撮影。これを味わえたら、いいでしょうなぁ。
横須賀線で帰宅。江ノ電七里ガ浜駅前に「こまわりくん(住宅街の循環小型バス)」が停車していたので、乗る。100円で住宅地内中心部まで乗せてもらい駐在所前バス停で下車した。画像はその「こまわりくん」が去って行く所。乗車客は全部でなんと2名。平和だねぇ。有名カレー店は、水曜の今日も満員。私は西友七里ガ浜店でチューハイを買って帰る。ゴクゴク飲もう。今日の夕食はタイカレーの予定。
酸欠で倒れず良くぞわが町までお戻りくださいました。
看板何とかしたいですね、原色を競い挙句の果てに皆目立たなくなる。
東京の駅ならあの程度ですが、地方のビルの少ない駅前は大変です。
唯一のとりえは(クラシツク カメラ ファンのみ適用)レンズの発色テストがここ一発で間に合います、赤、青、緑3原色や紫、黄色が全てワンカットでそろうからです。
レンズの泥沼に落ちると、とっかえひっかえレンズを買い込み、試写と称してつまらないカットのみ増えます。
それを乗り越えるとメカファンになりレンズなどはいらない、別に写真を撮るわけじゃないし・・・
レンズの無いカメラが増殖します、我が家も引越しで200台から100台まで減らしましたが、
うっかりするとウィルスのごとく知らない間に増殖します。
赤瀬川さんが発見した中古カメラウィルスに毒されています・・・誰かワクチンを・・・
>引越しで200台から100台まで減らしましたが
えええっ?そんなにカメラですか???
すごっ!
オイルランプと言い、骨董市と言い、
共通点は「古さ」?
レンズを替えるなんてこと、学生時代にしたキリ
です。CANON AE-1だったかなあ。初めて買った
一眼レフ。望遠買ってみた。フィルターも買って、
広角、ズーム。そこで終わりました。
以後は簡単撮影路線。今ではデジカメすら使わず、
携帯電話の撮影・・・情けない。
めんどくさがりです。
赤瀬川源平さんの本はいくつか読んでます。
最初「建築探偵」こと藤森照信先生の住宅関連の
本から入ったような気がします。赤瀬川さんは
藤森先生の友達で、確か藤森先生が赤瀬川さんの
家を設計・・・ではなかったか。
最近記憶力があいまい。
確かそのように記憶しています。
小田急線の○川学園前駅を降りて坂を上り詰めると
屋根にニラ(??)が生えているお宅が眼下に見え、それがそうだと思いました。
見を行った記憶があります。
記憶力確かに衰え赤瀬川さん流に言わせると、
最近特に忘却力が付いてきました、それに集中力が無くなり、分散力も日に日に付いてきました。
30年前は一部鮮明に覚えていますが、30秒前は怪しいものです。
人間が古くなると古いものに惹かれるのです!!!
私も撮影は携帯かデジカメです、デジカメも発売当初のものが欲しくなります30万画素とか・・・・
困ったものだ。
行かれたのですか。
ニラハウス。私も見てみたいです。
私が見た藤森先生の作品は先生ご出身地の茅野市の
博物館のみ。あれもずいぶん変わった建てモノでした。
私も忘却力は加速度をつけています。
昔のことはしっかり覚えていて、後輩には
「経験は大事だ! 君達には経験はない」と
強調しています。彼らから「あなたは新しいことを
覚えていない」と言われたら苦しいですね。
でも別に困りません。
今日もチューハイです。
西友七里ガ浜店で88円。すばらしい値段です。