「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

八ヶ岳西麓原村(7) 葬式、戒名、墓

2024-01-09 16:30:43 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
名著「葬式は、要らない」。

幻冬舎新書。著者は島田裕巳(ひろみ)さん。


2010年に出た本だ。当時すでに読んだ本で、それを私は再び読んでいる。

二度目の読書はいいね。

理解が深まるし、年月を経て自分の知識もかなり増えているので、読むのが楽しい。

島田先生は宗教学者である。

この本の出版当時は東京大学先端科学技術研究センター客員教授(↓)だったが、現在は東京女子大学に勤務しておられるらしい。


この本には、日本の葬式についての島田先生の疑問がいろいろと書かれてある。


第一章から順番に、・・・

葬式は贅沢、急速に変わりつつある葬式、日本の葬式はなぜ贅沢になったのか。


世間体が葬式を贅沢にする、なぜ死後に戒名を授かるのか、見栄と名誉。


檀家という贅沢、日本人の葬式はどこへ向かおうとしているのか、葬式をしないための方法、葬式の先にある理想的な死のあり方。


因みに私の両親の話をすると・・・

1.葬式をしていない。
2.戒名ももらっていない。
3.墓もない。

焼いて、ただ海洋葬(散骨)を依頼しただけだ。

日本が私の両親みたいな人ばかりなら、この本も出版されなかっただろうね(笑)

私の父は生前私にこう言った。

「普段から何年も会ってもいない人ばかりなのに、自分が死んだあとにその人達にわざわざ遠いところから自分に会いに来てもらう必要がない。それって私にとってはおこがましいことだ。生きている皆さんには、もっと時間を他の有効なことに使ってもらいたい。だから私の葬式なんて不要だ。また死後に戒名をカネで買う意味がわからないから戒名も不要だ。自分は出家もしていないからな。みんな戒名を買いたがるが、戒名の本来の意味を知っているのだろうか。白洲次郎が何と言ったか(=白洲次郎は「葬式も戒名も要らない」と言った)、おまえ(=私のこと)は知っているか? 私は焼いてからただ海に撒いてもらえばいいから」と 。

母は父ほどの合理主義者ではないので、本当はどう思っていたかはわからないが、「私もそれでいい」と言っていた。余談になるが、私は父とは話が合うのだが、母の言うことは理解できないことも多かった。父の話はスッと私の腑に落ちるが、母は腑に落ちない話ばかりしたのである。

・・・なんてことを山荘で考えていた。

たまたま私はこの島田先生の本を山荘に持参していた。最近何人かの方の墓じまいの話を知ったからだ。ご立派な家系で相当立派な墓があり、その墓を引き継げそうな人がいっぱいいるのに、墓を潰してしまうことを決める親族が多いのだ。それはなぜか?・・・と考えていたら、もっと遡って、葬式って何だろう?ということを考えたくなったのである。

山荘でこんな本を読んでいたら、いや、こんな本を読んでいたからか、12月29日に義母が亡くなった。年末にそこから急にいろんなことが動き出した。義父はもう90歳であまり動けない。中心になって動いているのは義姉(=喪主)と妻である。

妻のものの考え方は、私や私の父のそれに似ているが、義姉の考え方はまったく異なる。私からすると随分不思議なポイントがいくつかある。

義姉は神道が大好きなのだ。義姉はある神様の信者らしいのだが、義母の死に際しては義母が形式的には浄土宗に属するということから、神道式の死後に付けられるおくりなではなく、本来なら仏教で生前に出家した僧侶に付けられる戒名が義母に授けられることを望んだ。

そしてインターネットでみつけたウェブサイト(?)で、義母の喪主として義姉は義母の戒名を急遽買って来た。因みに義母はもちろん出家もしていない。極めて俗っぽい(=悪い意味ではなく、現実的で冷静な)人であった。いよいよお別れとなる前には、神主でも僧侶でもなく、義姉自身が義母の前で祝詞(神式)かお経(仏教)かわからないが(その場に私はいなかった)、唱え始めたとのことだ。

優しかった義母のことや、今回のことをいろいろ考えていたら、私は音楽が聴きたくなった。

マイスキーって日本の曲も演奏しているのね。


浜辺の歌なんてのがあったよ。五木の子守歌も。


ではそれを。

浜辺の歌♪


沁みるねぇ。

高天からくちを飲んでいるからかな(笑)。


義母は優しい人だったよ。私にも丁寧に接してくれた。

夜遅くになり、室内が薪ストーブで暑くなり過ぎたので、空気を入れ替えよう。


「急速に変わりつつある葬式 - 「直葬」登場の衝撃」とある。


直葬は私にとっては衝撃ではなかった。

ここでいう「直葬」(じきそう、または、ちょくそう)とは故人がなくなった後、自宅に遺体を安置して近親者だけで通夜をし、火葬場に直接送り込むというものだ。つまり告別式とか葬式がないのである。

この本の出版よりはるか前に、私の父は正に「直葬」されたのである。私の母に至っては、遺体が自宅に安置されることすらなかった。自宅はすでになく、一人息子の私から600km離れた病院で亡くなった。コロナ禍の一番酷い時で、人が集まることすら危険視された。母は病院で亡くなり葬儀社の手で火葬場へと直接的に寂しく運ばれた。

だから私にとって直葬なんて衝撃でも何でもないのだ。

それで済むと考える私のような人にとって、現代において広く行われている葬式の多くは不思議なことでもある。


それでもまだ葬式とは、私にも理解できることではある。

故人と関わった人や故人に世話になった人が、故人のことを思い、故人をお見送りする儀式なのだから。

私が理解できないのは戒名だ。


まず本来的な話として、戒名とは出家した立派な人である僧侶が、生前に授かるものだ。



ところが現代多く行われているのは、生前出家もしなかった俗世界の人である故人のために、その死後になって遺族がカネを出して戒名を買うという行為である。



そしてこんなことが行われる仏教国は日本以外にはない。


お寺は「戒名がないと極楽浄土へ行けない」と言って、戒名を授かることを故人の遺族に勧め、相当な額のカネを取って似たような漢字を組み合わせた戒名を捻りだして来る。

俗人のためにカネで買う戒名などまったく意味がないと、私は不思議に思うのだ。

因みに、私の父が死んだ時「戒名無し、葬式無し、墓無し(海洋葬)」について、私はあるお寺の僧侶にその問題点を尋ねた。その方がおっしゃるには「まったく問題ない」とのことだった。死んだら土に還るまでのこと。戒名や葬式があろうがなかろうが、だれもがただ土に還るということらしい。

かつては埋葬方法の多くを占めていた土葬が、現代の日本の多くの場所で不可能になってしまっている。したがって厳密なことを言うと、故人のお骨は通常は骨壺に入れられ、それが墓石の下部のカロート(唐櫃、骨壺を安置するスペース)に置かれているから、土には還っていない。しかしまあ地面に近いところにはあるので、意味的には土に還ったと言えなくはない。問題はマンション型というか、建物の中の墓である。あれでは土に還ったとはまったく言えない。

私がお尋ねした僧侶はそのような意味のことをおっしゃった。恐ろしく先進的な考えを大胆に披露してくださった僧侶だったね。仏教界からは、それが今の仏教界の経済的基盤を崩すものととして嫌われそうな考え方だ。しかし物事を突き詰めて考えればそういうことになると私も思う。

土に還るという意味からしたら、私の両親の海洋葬(散骨)は最も基本に忠実な方法ではある。


葬式、戒名、墓。

加えて日本の墓って、基本的に家単位でつくるのはなぜだろう。個人別の墓ではなく、家単位で、複数の人の小さなお骨をひとつの墓の下の狭いスペースに一緒に入れることは、昔は支配的だった埋葬方法である土葬が日本では限られた地域以外で見られなくなってしまったことにもよるのだろう。加えて特に都市部やその郊外では人口密度の高さから土地が足りないことにもよるのだろうね。

女性の多くは嫁として戸籍上は別の家に入るが、墓が家単位になることにより、やがてその女性が亡くなると、生家とは別の嫁ぎ先の家の墓に、お骨となって入るケースが多い。なぜ?と私は思う。「そんなのごめんだわ」と思う女性も多いはずだ。そりゃそうだろう。私は男だが、私だったらそんなの絶対嫌だ。

「すべて国民は,個人として尊重される。生命,自由及び幸福追求に対する国民の権利に ・・・」と日本国憲法に定められているが、戦後作られて来た日本の墓の多くが個人単位でないのは不思議だ。いろいろと不可解で、酷ですらあると思える日本の墓。

それだけ大変なことが多く、やたら高くつく墓なのに、その多くが世代が替わると墓じまいされてしまう近年の現実。

やっぱり私は散骨でいいわ。嫁じゃないけど(笑)。

考えるとキリがないが、歴史的にも浅い現代の様々な習慣がある。惰性的妄信的にそれらに従うのではなく、そもそも何のためにそれをしているのかってことくらいは、基本に立ち返って考えたい。

【つづく】
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33 コメント

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Unknown (えばら)
2024-01-09 16:54:20
走り読みしました。またあとで読み返します。
物事を突き詰めて考えるとはこういうことなんでしょうか。

おちゃさんの解説する住宅建築も、料理や食材の原理やその歴史を考えながらの調理も、鎌倉の道路上の歴史的な発見から始まる幅広い考察も、いつも面白いんですが、今回の投稿もそうですね。

巷に溢れる葬式や戒名についての説明を読む、暗記するのでは無く、そもそもそれって何? 本当に必要?と考えるところから始まる楽しい話。
ゆっくりまた読みます。
返信する
こんばんは (虫主婦)
2024-01-09 17:00:18
私も自分は葬式も戒名もいらないです。
樹木葬がいいかなーと思ってはいますが、海に散骨でもなんでも可。
とにかく自然に負荷がないようなやり方で。
一応、なんちゃって仏教徒ですが
出家してませんし

自分の親もそろそろお迎えが来て欲しいのですが、
親はかなり若い時分に墓を購入していました。
それはそれで、自分の墓くらい用意しておこう、
と思ったのでしょうけど、
その墓の滞納していた(!)管理料や、様々な手続きを、
子である兄が引き受けざるを得なくて、
今は迷惑を被っているという状況です。
墓じまいしてしまえばいいのでしょうけど、まだ誰も入っていない墓なんで。。。
親が死んで入ったら(二人とも)、そのあと墓じまいなのかな?
私も兄も入りたいとは思わないんですよね。
むしろ絶対入りたくない。
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Unknown (1kamakura)
2024-01-09 17:33:38
江戸の秋

お義母様のご冥福をお祈りします。

私は死んだらどこでもいいです。
子供達が楽な方法で埋葬してくれればそれで。
お葬式もいらないし、戒名もいりません。
実家のお墓に入りたいとも思わないし。
というか、実家のお墓(霊園にある)は妹が継いでいるけど、子供がいないから墓じまいしなくてはいけません。
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-01-09 17:46:24
えばらさん

お褒めに預かり、ありがとうございます。
また解説を読んで、楽しんで頂きありがとう
ございます。

この話、そもそもそれって何?ってところに
行きつきますよね。その意味は?という
ところに。なんとなくみんなそうして
いるからってのが多いんですが、改めて
昔読んだ本を再び読んでみました。
返信する
Unknown (金木犀)
2024-01-09 17:51:37
おちゃさん、こんばんは。

お葬式、お墓の問題は、ここ30年、
次男である父から相談されて懸案事項でした。
樹木葬のところを私が探して決めていましたが、
最近になって、急に、
四天王寺さんの本家のお墓に入ることになったようです。
合理的なようで、優柔不断でよくわかりません。

母は、クリスチャンで、服部緑地に合同葬と決まっています。

両親のお葬式は、父は優柔不断、
母は牧師さんを呼んでしてほしいという希望があり、
3年前に家族会議で、
なるべく簡素な家族葬にするということに決まりました。

私個人は、直葬・墓なしでいいと思っていました。
お骨と言っても、一部を持って帰るだけで、
大半は他の方のお骨と一緒になるんですもんね。
でも、いろいろ考えて、
今は簡単な家族葬と生地に近い合同樹木葬ということに決めています。
また変わるかもです。








私自身は、直葬儀
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-01-09 17:54:27
虫主婦さん

樹木葬ってもともとは本当に樹木葬だったんで
しょうけど、我が家に時々広告が入るのですが
最近の樹木葬って、樹木葬じゃないですね。

https://www.e-ohaka.com/detail/id1538611652-514947.html

これ、我が家の近所ですが、墓をすごく簡略に
小さくしただけで、樹木の根っこにお骨を粉砕
して撒くなんてことになってないです。

そのお父様のやり方、失礼な言い方になりますが
お子様には却って面倒で負担なことですね。
滞納って、どういう??

ご両親が入ってから墓じまいとなるとそれも
また費用が発生しますね。入る時と出ると時と
滞納分の納入。今後しばらくの管理費。

虫主婦さんもお兄様もそこに入る希望がない
なら、今から墓じまいで良いのでは(それは
ご両親が嫌がるかな?)。それでも
まとめてお支払がドバっと発生しますね。
滞納分の管理費と、墓じまいの費用。
結構かかるんじゃないでしょうか。
返信する
Unknown (金木犀)
2024-01-09 17:58:36
おかあさま、お亡くなりになられたのですね。
存じ上げず、失礼いたしました。
謹んでご冥福をお祈り申しあげます。
返信する
Unknown (かずちゃん)
2024-01-09 18:37:46
お江戸のお母様亡くなられたのですね
奥様が足繁く行っておられましたね
お父様が残られてまたいろいろな意味で奥様もお忙しくなりますね
どうぞ体調崩されませんように

お墓問題
私も概ねおちゃさんと同じ考えです
戒名の必要性など全く感じませんし、お葬式のお値段にもびっくりします
でも我が家の一番頼りない末息子が、あるとき言いました
葬式って、その人の人生のあり方が現れる儀式じゃないの?と
確かになくなるまで社会と何らかのつながりをもってきた人がなにもせずに済ませるというのは、なかなか難しいことです
両親の場合、ある意味現役だったので葬式はやりました
ただ無宗教で、お墓も作らず、散骨しました
自分たちでやったので、お骨を細かく砕くところから・・・なかなかそれも大変でしたが
今はそれをやってくれる業者さんがあるのですね(笑)
人はそれぞれ考え方があって、奥様とお義姉さまの考えも違うでしょうけれど、奥様とお義姉様と言うことは、後を継ぐ人がいないわけですよね
それで戒名だのお位牌だの、仏壇だのってあっても、じゃあ誰がその面倒を見ていくのって言うことになりますよね

上のコメント欄にも出てきたように、今あるお墓を墓じまいしたり、仏壇を処分するのは費用的にも気持ち的にもむつかしいとおもうんですよね
だから、なぜせっかく(っていう言い方も変ですが)ないものを作るのか?
は私も疑問です
世の中には何も信仰はないにもかかわらず、葬式になると、やれお坊さんだの神主さんだのがいないと成り立たないと思っている人の多いことか・・・

あ~、この問題になると一晩中でも話が終わらないくらい思うことがいっぱいあります(笑)
返信する
こんばんは (虫主婦)
2024-01-09 19:15:04
>滞納分の管理費と、墓じまいの費用。
>結構かかるんじゃないでしょうか。
そーなんですよ。。。
墓を購入したのは母なんですが
母は、良かれと思うと勝手に物事決めてしまう人で、
お恥ずかしい話なんですが、両親とも【テキトー】な人たちなんです。
請求書とかほったらかしでした。
何とかなる(というか誰かが何とかしてくれる)と思ってたようで
もうすっかりボケてしまいましたので、過去自分がどうしてきたかなんて忘れてます。
今、老親の尻ぬぐいで私ら子の(特に兄の)老後の資金が減っている、という状況です。
そういうこともあって、兄は親は死んだら直葬する、と決めてます。
返信する
Unknown (おちゃ)
2024-01-09 19:20:42
秋ちゃん

>実家のお墓(霊園にある)は妹が継いでいる
>けど、子供がいないから墓じまいしなくては

それは以前高速道路で行ったところにあった
お墓ですね? その跡継ぎが無いから墓じまい
っていうのが、正に現代の問題ですね。
人の流動化と少子化が原因と言える墓じまいが
多い。

しかしそこから進んで、跡継ぎが可能な人が
たくさんいても墓じまいする人が多いという
のが現実になりつつあり、結局墓って何だ?
という疑問に行き着きます。

こうした考え方って、急速に今変化している
ので、いよいよ秋さんがお亡くなりに
なる頃にはまた今とは違ってきている
かもですね。お子様たちがその時どう考える
のか。
返信する

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