「家」 @ 鎌倉七里ガ浜 + 時々八ヶ岳

湘南七里ガ浜(七里ヶ浜とも)から発信。自分の生活をダラダラと書きとめるブログ。食べ物、飲み物、犬の話題が多い。

八ヶ岳西麓原村(3) 寒冷地の山荘

2024-08-20 12:00:04 | 八ヶ岳西麓の楽しい暮らし
8月12日に我が山荘から見えた日の出の画像。

冴えないアングルだね(笑)。


朝の気温を示す2枚目の画像は焦点が合わずボケボケで、ますます冴えないのだが、この時の気温はとにかく18度だった。


涼しいのである。ここは寒冷地。夏は天国のように涼しく、冬は恐ろしく寒い(笑)。

ドガティ君の散歩に行って、その後しばらくして朝ごはん。


前日村内のパン店フリルフスリフで購入したいちじくパンを食べる。


少し前に三井の森からオーナー全員にアンケートが送られて来た。


その中で気になった質問は下の画像の右側、「貸別荘運営による収益化を希望しますか?」だった。


大半のオーナーが「希望しない」と答えている。私も同様だ。

この別荘地で貸別荘が可能になったら、不特定多数の人がこの別荘地に出入りすることとなるだろう。

当然ながら別荘地への思い入れが、オーナーと貸別荘利用者中では異なる。貸別荘利用者の中には夜遅くまで騒ぐ人、ごみ捨てのルールを守らない人、別荘地内の道路においてとんでもない速度でクルマを走らせる人、珍しいものだから他人の敷地に入って行く人などが現れるに違いない。民泊で問題になっているようなことがこの静かな別荘地でも起こりはじめ、別荘地としての落ち着きはなくなってしまうだろうね。

三井の森さん、そんな恐ろしい提案や質問は最初からしないで頂きたい。

兼好法師(吉田兼好)の徒然草には「家の作りやうは夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり 」という箇所がある。


冬はどんなところでも住めるが、夏に家の中が暑いのはかなわないから、夏に涼しい家をつくれという、変わったアドバイスだ。日本の建築業界でたびたび引用され、好き勝手に都合よくその表現が使われている言葉は他にないらしい。

私が察するに、兼好法師は(時代からして家屋に軒や庇がしっかりあるのは当たり前だから)通風を確保することの重要性を強調したかったのだろうね。

現代では軒や庇の無い住宅が当たり前のようにあるので、兼好法師の言いたかったこの部分(兼好法師はほかにもいろいろと面白いことを書いている)を現代に当てはめれば、「軒や庇をしっかり確保したうえで、通風を確保せよ」ということにでもなるのかな?

この山荘が建つ場所は夏でも涼しく、冬は極端に寒いところだ。したがって兼好法師の言うように「夏をむねとする」建物ではなく、むしろ冬をむねとする建物にすべきところだが、そうはなっていない(笑)。夏をむねとしているのだ。

まず周りは夏は木陰だらけだ。これが涼しさを決定づける。この標高1,600mの高地であっても、木陰がなければただ暑いだけだ。



以前建築家高橋修一さんの調査をご紹介したが、涼しさを決定づけるのは
1.地面の材質が何か?(そこが土か?草か?アスファルトか?コンクリートか?板か?等)ではなく
2.その土地の標高がどれだけか?(標高0mか?あるいは1,000mか?)でもなく
3.その地面が日陰に覆われているか否か?ということらしい。

建築家の高橋修一さんは我が山荘から少し離れたところに山荘をお持ちなようだ。偶然、我が山荘と標高もまったく同じ(1,600m)である。

彼は信州八ヶ岳 / 高橋修一の「山中日誌」というブログを書いている。今から8年前に高橋さんはその山荘周辺の複数の場所で気温を測定し、その結果、敷地内に樹々があるかどうかがその敷地の気温に決定的な影響を与えることをその紹介している。その時の気温測定結果は以下のとおりだ。

【標高1,600m】
① 樹木に覆われた敷地内にある高橋氏の山荘の屋内 21.0度
② 樹木に覆われた敷地内にある高橋氏の山荘の屋外 24.0度(23.0度)
③ 樹木がほとんどない他の敷地の屋外 36.5度(39.5度)
④ 舗装道路 36.0度(38.0度)

【標高1,000m】
⑤ スーパーマーケットの駐車場 42.0度(42.0度)

● 気温は地表から1.5mの高さで測定。
● カッコ内の気温は同じ場所で、地面の上で測定。

これを見た限りでは、他の条件よりも、陰の有無がその場所の涼しさを決定づけているようだ。

晩秋になると我が山荘周辺の風景が一変する。このあたりにある木々、つまりカラマツ、ナラ、カエデ、サクラ、シラカバ、ナナカマドなどはほとんどすべて落葉してご覧のようになるので(↓)、山荘は陽にさらされることとなるのだ。



落葉樹ってありがたいね。

モミ、スギ、ヒノキ、マツ等の常緑樹ではこうはならない。

45度の角度の軒を外壁から水平に70cm出して、窓は腰の高さ以上のものだけを採用。


これだけのことだが、真夏はお日様の位置が高いので、昼間に南から室内に日光が入って来ることがなくなる。

これ(↓)が正午の真南を向いた窓だ。真夏のその時間帯に、日光はここからは入らない。

一方真冬はお日様の位置が低く、屋内まで真南から日が差す時間帯がある。


タオルを日陰干し。


兼好法師の話に戻ると、建築家的視点から見たらあまりに荒っぽいものなのだろうが、それでも夏にいかに涼しく過ごすかということを兼好法師は大昔に大真面目に考えたのである。

私はそれと似たようなことを寒冷地で実践しているのだから、真冬の山荘内は寒くなる。「そんなの困るじゃないか!?」と思われる人は多いだろう。

しかしねえ、真冬にこの標高1,600mの場所にある山荘に、いきなり到着した状況を想像してごらんなさい。


どんな山荘を作ろうが、そこはめちゃくちゃ寒いわけですよ。屋内外の気温は同じようなものになっているからね。

屋内外が例えば零下12度なんて状態から、薪ストーブを焚いて室内をガンガン温めて行き、そして滞在中はずっと薪ストーブを焚いている。

冬に我々が到着したばかりの山荘の内外の気温は極寒地並みに低いわけで、とにかく温めることが必要である。山荘の作りなどどうであっても、同じことなのだ。

したがって家の作りは、夏をいかに涼しく過ごすかということを考えればいいってことになり、軒をしっかり出して、窓を適度な高さに配置し、山荘の周囲に大きな木々を残している。


ただしそれがたまに滞在する山荘ではなく、永住している人の家だとすれば、別の配慮が必要だろうね。

ずっとそこに住んでいて、太陽光の助けをたくさん借りずに、真冬の屋内を暖房器具で温めるのは、秋~春の期間の暖房費用が高くついてしまう。薪、電気、あるいは石油が余計に必要になることだろう。出来ることなら冬は太陽光を多めに取り入れたいだろうから、軒、窓、敷地内の木々について、別の考え方が必要になって来る。


ということで、我が山荘の設計や周囲の木々の残し方は、寒冷地であるにもかかわらず「夏をむねとした」ものになっているのでした。


山荘の中でおもちゃをかみかみして遊ぶドガティ君。


雨が降って来た。


我が家にはもうひとつ利点があった。

軒があって、こうした窓があれば、雨が降ったからと言っていちいち窓を閉める必要はない。雨天時でも窓を開けたままでいられて、通風が確保できる。



仮に暴風雨で横殴りの雨風が迫って来たとしても、この上下の上げ下げ窓は、上半分を開けておくこともできるのだ。それをすると、台風が来ても平気で窓を開放していられるのである。

先にご紹介した高橋修一さんの主催する住まい塾が建てた家をご覧ください。

《 住まい塾 》「垂水の舎」

これがおそらく現代的な理想だ。

近年の新築住宅ではまず見かけないほど、軒が長い。これだけ長いと、床まである大きな掃き出し窓を開けていても、普通の風の状態なら、雨が家の中まで吹き込むこともないだろう。採光、通風、夏の涼しさが十分確保できるはずだ。エアコンの使用も最小限に抑えられるだろう。

昔のテレビドラマで出て来た武家屋敷みたいなものだ。「曲者だ! 者ども、であえ、であえ」なんて言いながら、障子をパンパンパンと開けたら、壁は全部開口部。しかしその上には庭に向かって大きな軒が出ている。密閉度の高いガラスサッシなんてものが誕生する前は、大きな開口部の上には必ず大きな軒があったのだ。


屋内では温かい空気は上へ溜まりがちだ。

冬に薪を焚いた時や、夏の温かい空気は屋根裏にたまるのである。


そういう場合は、屋根裏部屋の窓を開けると同時に、扇風機を回して暖気を水平に動かしている。



そしてその暖気が移動して来たところで、天井のファンを回すことで、その暖気を下に落としている。


この土地を買おうかどうしようかと迷った時に、高原について知識を持つ先輩たちは「悪いことは言わない、そんな高冷地は止めておけ。ただでさえ原村ってところは寒いんだ。その原村のてっぺんだなんて人が暮らせるところじゃない・・・」と私にアドバイスした。

しかし先輩たちって、みんな自分の過去の経験に誇りを持っていて、その過去の経験に基づき何も知らない後輩たちに熱心にアドバイスしようとするからねえ。

下のグラフは直近数十年の気温の推移のイメージを表現している(つもりである)。横軸が時間で、縦軸が気温だ。私が生まれてからずっと、年数が経つほど、気温(黒い線)が上昇して来た。私が山荘の土地を取得したのが26年前の1998年。赤い丸のところだ。その時点で私にアドバイスをくれた人はそれに先立つ(赤線の左側の)30年くらいの期間の記憶、つまり1970年代~1980年代~1990年代の記憶(黄色で表現されている)を元に、私に知識を授けようとしたのである。しかしそれは、今よりはるかに八ヶ岳山麓の気温が低かった時代の話だ。


私にはそんな昔の話は関係がない。私がこの山荘を使うのは赤線以降の数十年(右側の青の矢印)だからだ。その間も気温は上がり続けている。赤線より右の時代に新たな山荘暮らしをしようとする人(つまり私のこと)が、赤線より左の経験しか持たない人に気温に関してアドバイスを求めても無駄なのであった。

1998年当時、夏でも寒くて窓を開けていられなかった山荘は、直近の四半世紀で、夏に窓を開けていてちょうどいい山荘に変化した。山荘に行ったら、途中の道が豪雪で大変なんてこともかつては多かったが、今ではほとんどなくなった。斯様に、先輩方のアドバイスなんてあてにならないものだ。

これから新たに別荘を買い求める方々は、万が一私のブログを読んでしまったとしても、その内容をあまり参考になさらない方がいいと思う(笑)。自分で考えて納得できる別荘をお買い求めください。

【つづく】
コメント (18)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする