七里ガ浜住宅地内。
ドガティ君と、ちょっと遅めの朝の散歩。
ドガティ君は海で遊ぶらしい。
良かったね。大好きな砂浜。
私は別行動で、大町(長野県内の市じゃないよ。鎌倉市大町)へ行く。
あ、鎌倉駅行き江ノ電が行ってしまった。
あれに乗りたかったのに。
ドガティ君と妻はそのまま海へ。
私は江ノ電で鎌倉駅へ。
鎌倉駅東口からバスに乗り大町へ。
大町での用事はすぐに済んだ。
あとは帰るだけ。
この住宅街の先のコンクリート擁壁、すごいね。
ちょっと見に行ってみましょう。
久しぶりに履いたクラークスのワラビー。
この靴、好きだな。
たまに履いているんだが、一度底を張り替えている。
あ、ここにもすごい擁壁が。
そもそもこういう削り方をよくしたねぇ。。。って鎌倉市内はこういうところだらけなんだけど。
急傾斜地崩壊対策工事。
工事延長 L=12.6m
コンクリート張工 L=12.6m
なるほどぉ、そういうことかぁ・・・って、さっぱり意味がわからない(笑)
すごいですよ。これ。
何十年かするとコンクリートも鉄筋も劣化するもんなぁ。
その時はまたこれを補強とか改修とかするんだろうか? 気が遠くなりそう。
迫力満点。
大町の路地。
魅力的な道を行くと、やがて長勝寺に出る。
山門から中を覗く。
法華堂だ。
正面の本堂。その正面に日蓮上人像がある。
下の画像の中央が本師堂だ。
山門以外に境内に出入りできる小さな扉がある。
ここから抜けましょう。
長勝寺横の道路を行くよ。
散歩が調子よくなる音楽をどうぞ♪
最近そこら中で、よくかかっているよね。
P!NK - Never Gonna Not Dance Again ♪
ここからが街の観察だ。下の画像をご覧ください。
この道路の左側の住宅の並びが面白いのだ。
左側に並ぶ何軒かの住宅は、この道路と、画像では見えないがこれら住宅のさらに左側にあるもっと細い道路の間に挟まれた、非常に細長い土地に建てられているのだ。
ほら、向こう(↓)にも細い道があるでしょ。私が立っているところは大き目の道路で、そこと向こうに見えている細い道路に挟まれたところに、かなりの距離にわたって細長い土地があって、そこに住宅が1列に並んで何軒も建てられているのだ。
ここ(↓)もわかりますか? 手前の太い道路と向うの細い道路に挟まれ、とても細長い敷地に住宅が建っている。
さらに面白いことに、その2本の道路はどんどん互いに近づいて行き、そこに挟まれた土地は先が細くなってここ(↓)で終わる。
2つの道路はやがて鋭角に交わるのだ(↓)。
それにしても細いところが随分長く続いたな。
そしてその鋭角を含む細長い三角形の土地に稲荷社がある。
小さ過ぎて情報もないが、きちんとどなたかがキレイにここを保っておられるようだ。
その祠の裏には馬頭観世音(馬頭観音)。鈴がついているよ。珍しいね。
馬頭観音というくらいで、馬頭をした観音様なんだろうけれど、民間信仰ではそこから馬あるいは他の動物の供養としてこうした馬頭観音の石塔を建てたというから、この鈴も動物に関連したものなのかな。
で、話を元に戻そう。
この道の先を見ると、再びこうして(↓)近接し並行する2本の道路が見られる。
そして道路に挟まれた土地が妙に狭い。
ただし今度は道路の構成は逆で、住宅の左側の道路が太く、右側の道路は妙に細い。
面白いよね。家に帰ってからGoogleマップを眺めてみた。
このあたり全体を空撮画像で見渡すと、どうもこの細い道の方が昔から存在したように思える。
細い道が昔からくにゃくにゃ曲がって存在したこの地区に、後から追加で1本太い道を直線で無理やりつけたような構成だ(・・・とまで考えたら、そこで納得がいった。詳細はこれから長々と説明する)。
その太い道を強引に付けるために、元から細い方の道に沿ってあった住宅地は一部を切り取られてしまい、妙に細くなった住宅地が長々と残ったってところかな・・・と想像できる。
鎌倉検定もこういうことを題材にすればいいのにねえ。しかしあの検定は近代の産業・交通的なことには、あまり関心がないらしい。
さらに進みますよ。次はクイズ。
これ(↓)をご存じですか? 「海」って何でしょう?
鎌倉だけじゃなくて、逗子市や横須賀市でも、これはよく見られるよ。「海水浴場が近いよ!」ってことを示す杭・・・じゃないんだなあ。
これは海軍境界杭。
昔の話だ。日本海軍の横須賀基地では大量の水を必要とした。近隣の水だけでは足りず、神奈川県北西部の半原水系からも水を引く。その水を運ぶ水道管は神奈川県を、北西部から南東部へと斜めに横切り、途中で藤沢や鎌倉や逗子も通り抜ける。それが横須賀水道みちだ。
先述の「後から強引に付けられた太い道」はその横須賀水道みちであり、その水道みち沿いにこの海軍境界杭が打ち込まれた。
だから鎌倉市材木座にこんな名前の交差点やバス停がある。
また今度ゆっくり見ながら歩きましょう。
細い土地(↓の画像で黄色の線で囲まれた「水道みちに土地を切り取られた土地」)が生まれてしまった経緯についての推測をまとめると、こんな感じだ。
1.昔からあったのは、くねくねした細い道(赤)だろうと思う。
2.海軍増強目的の水道敷設のため、あとから太い水道みちが強引につけられた(青)
3.2.を作るために一部を切り取られた土地(黄色で囲んだ2つの区域)が、1.と2.の2本の道路の間に続く。そこには1列の住宅が細く今も並んでいる。
イングランドに似たようなのがよくあるよね。ケルト系のブリトン人が造ったうねうねした田舎道を無視するように、ローマ人があとからやって来て直線を引くように造った軍用道路が。八ヶ岳山麓にある武田信玄の棒道とか。鎌倉にも、海軍の水道みちがある!(笑)。共通点は軍隊と、直線・直線。
「いつほんはし」と見えるが一本橋。
古い橋だね。
大町から流れて来る細い川だ。
やがて暗渠となるんじゃなかったかな。そして滑川に流れ込むことになる。
大きな学校の近くに来る。
川のそばにあるのに、厳重な生垣がある。やたら高い生垣だ。
カマジョ(鎌倉女学院)である。
不届き者のオヤジが中を覗けないよう、恐ろしく高く、かつ恐ろしく密な生垣が見事に維持されている。
オヤジの視線を阻む仕組みだ。
そうなると覗きたくなる。
やっと覗けるところがあったと思ったら、消火器だった。
もうちょっとで生垣も終わる。
そうしたら中が見れるかもしれない・・・と思いますか?
無理。
生垣が途切れたらそこは校門で、そこには警備員さんがいるので、そこでも中を覗こうとするオヤジは拒まれるのである。
若宮大路に出た。
あれ、こんな店があったっけ?
SLOW。
トートバッグも売っているねえ。
コーヒー豆も売っているらしい。
オレンジ・レモネード。いい響きだなあ。
ずいぶんおしゃれな店だね。
御成通り。
ほぼ鎌倉の中心部だ。
安保さんの建物の前を通過。
市役所へ。
1本だけ早くも咲いていた。
確定申告書を提出。
市役所を去る。
鎌倉市立御成小学校。いつ見てもいいね。
私もここへ入学したかった。
これだもんなぁ。
御成の住宅街を歩く。
御成小学校の敷地沿いを行くのだ。
すばらしい運動場と周囲の環境、その向こうが市役所だ。
御成から由比ガ浜に住所が変わる。
落ち着いていて、いいところだねえ。
ちまちましてないよね。
笹目町。
土地売買時にセットバックを強いられた新しい家(手前)、そうはなっていない古い家(向う)。道幅が途中で変わる。
向うは佐助だ。どんどん住所が変わるね。
佐助の住宅地を行きましょう。
やがて長谷大谷戸の交差点に。
ということはここは長谷。長谷の北端だね。
ここから長谷寺や高徳院まではかなりあるよ。
長谷の隧道だ。ここまではトンネルがたくさんあったが、これが最後。
ここからしばらくはちょっと退屈な道が続く。
ここのあたりは、何度もこのブログに登場している場所だ。
割愛して、いきなりの八雲神社。
交差点名としても有名だ。小さな神社だが、お祭りは盛り上がる。
そこから琵琶苑住宅地へ入る。
アカシア坂だなんて、名前が昭和だね。
琵琶苑住宅地の坂道を上り続ける。
住所は笛田。
笛田って結構広大な地域だ。
もみじ坂。
どこがもみじなのか?
ここがこの住宅地の最上部。
上を見上げると、建物がある。
鉄が腐食し、それに繋がれた木部も劣化が著しい。
ちょっと怖い建物が高いところに建っている。
人もクルマも通り抜けるところだから、みんなこれを見てるんだろうねえ。市役所に通報もあるだろね。でも私有地だし、そこからはみ出している建物でもないし。難しいねえ。
あまり近寄らないようにしよう。
どんどん上がるよ。
ここはすでに鎌倉山だ。
今日は歩き続けて鎌倉南部の横断だ。
鎌倉山はノビルの宝庫。
おいしいノビル。
私はノビルが大好き。
塩漬けして醤油と七味を掛けてご飯と一緒に食べるのがいいな。
こののんびりした風景をご覧ください。鎌倉山は良いところ。
実はここまで来たら、七里ガ浜住宅地は近い。
遠くに見えるのは、梶原の野村総合研究所跡。
金網の向こうにはおそろしく高い階段。
扇湖山荘だ。
元々は製薬会社で財をなした方の別荘だったものだ。
その後いろいろあって、所有者が変って行き、最終的に鎌倉市に寄贈された。
このあたりが、本日私が歩いた場所で、最も標高が高いところ。
遠くに江ノ島が見えている。
富士山も見えたね。
七里ガ浜住宅地に戻って来た。
自宅はもうちょっとだ。
しかし自宅に戻れず、昼飯を買わないといけない。
西友七里ヶ浜店で昼飯を買った。
それがこれ。
ドーーン!
背徳のあげ玉。
ドロドロなソース。カップ麺だし。
それでいいのか?的な背徳のランチ。
とりあえず食べる。
結構おいしいよ。
すごい距離を歩いたなあ。