前回の投稿で書いたとおり、私は阿保昭則さん著「大工が教えるほんとうの家づくり」を読みなおしてみた。やはり良い本だ。家づくりの現場で、考えに考えて家を建ててこられた大工だからこそ書ける言葉で一杯である。
大工と設計士は意見がぶつかることが多い。一般的に言えば大工にとって設計士は鬱陶しい存在だ。大工にしてみたら、設計士は無責任な評論家みたいに見えるところがあるだろう。私も実は一般の個人住宅に設計士は不要ではないかと思っている。もちろん構造計算をして、役所に必要な書類を出すには資格者が必要ではあるが。
阿保さんも似たような考えをお持ちのようだ。以下はこの本からの引用である。
【引用開始、一部私が省略】・・・建築家・設計士たち・・・彼らの設計する家というのは大工が漫然と作った家よりは当然のことながらスタイリッシュな形・・・しかし、それらをよく見てみると、海外有名建築家のデザインや流行の単なる物真似だったり、奇をてらって自己主張の強過ぎる家も多く・・・【引用終わり】
まったく同感である。建築家の多くは自己満足に陥りがちだ。自分がカッコイイと思う家を作る。そのためには多少なりとも独自で斬新なデザインが見られねばらない。阿保さんのおっしゃる「奇をてらって自己主張の強い」家が生まれる。そしてさらに悪いことに、それを真似たデザインの建売住宅が続々現われる。よく見られるのが高温多雨な日本の木造建築なのに、壁、室内、土台を雨や直射日光から守るための庇や軒がろくにない家である。
そんな阿保さんも、好きな建築家が何人かはいるらしい。その中の一人が中村好文さんであるとのことだ。私も中村さんの本を持っている。とてもシンプルで美しい「普通の住宅」を考える人だ。普通の生活を営むための機能を考え、かつ美しさを考えたら「こうなるだろうなあ」という家を設計する人だ。
形の斬新さも大事だが、建物の基本的機能に必須の様式、デザインというものがある。まずはそれを考えて、家づくりに取り掛かるのが大事なのではないか。
大工と設計士は意見がぶつかることが多い。一般的に言えば大工にとって設計士は鬱陶しい存在だ。大工にしてみたら、設計士は無責任な評論家みたいに見えるところがあるだろう。私も実は一般の個人住宅に設計士は不要ではないかと思っている。もちろん構造計算をして、役所に必要な書類を出すには資格者が必要ではあるが。
阿保さんも似たような考えをお持ちのようだ。以下はこの本からの引用である。
【引用開始、一部私が省略】・・・建築家・設計士たち・・・彼らの設計する家というのは大工が漫然と作った家よりは当然のことながらスタイリッシュな形・・・しかし、それらをよく見てみると、海外有名建築家のデザインや流行の単なる物真似だったり、奇をてらって自己主張の強過ぎる家も多く・・・【引用終わり】
まったく同感である。建築家の多くは自己満足に陥りがちだ。自分がカッコイイと思う家を作る。そのためには多少なりとも独自で斬新なデザインが見られねばらない。阿保さんのおっしゃる「奇をてらって自己主張の強い」家が生まれる。そしてさらに悪いことに、それを真似たデザインの建売住宅が続々現われる。よく見られるのが高温多雨な日本の木造建築なのに、壁、室内、土台を雨や直射日光から守るための庇や軒がろくにない家である。
そんな阿保さんも、好きな建築家が何人かはいるらしい。その中の一人が中村好文さんであるとのことだ。私も中村さんの本を持っている。とてもシンプルで美しい「普通の住宅」を考える人だ。普通の生活を営むための機能を考え、かつ美しさを考えたら「こうなるだろうなあ」という家を設計する人だ。
形の斬新さも大事だが、建物の基本的機能に必須の様式、デザインというものがある。まずはそれを考えて、家づくりに取り掛かるのが大事なのではないか。