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狭き門

2013年02月16日 | 仕事
『一般的に競争が激しく、入りたくともなかなか入れない難関を通常「狭き門」と言っている。「狭き門」という言葉をこのように使って何ら怪しまないのだが、実はこのような使い方は誤りである。

この言葉の出典は言うまでもなく聖書である。ルカ伝には「力を尽くして狭き門より入れ」とあり、マタイ伝には「狭き門より入れ。滅びにいたる門は大きく、その道は広く、これより入る者多し。生命にいたる門は狭く、その道は細く、これを見出す者少なし」とある。つまり誰の目にも明らかな門は、くぐる者達を滅びの道に導くのに対し、天国の救いにいたる門は狭く、地味で見つけにくいというのである。

この言い方に従えば、希望者の殺到する有名大学や一流企業が「狭き門」であるわけではなく、むしろそれは誰もが目指す広き門であるといえる。そのような広き門をくぐることの安易さと危険性を聖書はとがめているのだ。

誰の目にも止まらず、誰も振り向きもしない世界の片隅で、自分自身をしっかりと磨き鍛えて、明日に生きようとする心を持ってそっとくぐるのが本当の「狭き門」である。その狭い門から見た世界は、狭いにじり口から眺めた薄暗い茶室のようなものであろうか。君達は、間違いなく、そこで忘れがたい一期一会の機会を得るに違いない。

私は、旅立つ諸君に、これからの人生においては、あえて本来の意味での「狭き門より入れ」と言いたいと思う。恐らく君たちは、これからも多くの門をくぐることになるだろう。社会人への門、大人への門、結婚への門、そして人の親となるための門。自分らしく、自分の良さを失うことなく、時に孤独の寂しさに襲われても、狭き門より入れ。その時に、君たちは、地道な努力と自らの確たる自信を求められるだろう。大いに自分を鍛えておくべきだ。

高い倍率の難関を超えることができる人はそれも良い。しかし誰もがそれを望めるわけではない。嫌いな言葉ではある人生の勝ち組み、負け組みなどという亡霊のたわごとは、聞こえぬふりをしておくことだ。そんなことは誰にもわかりはしないのだから』