隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

チャーミング!につきる緒形拳~「白野」より

2006年10月22日 19時56分18秒 | ライブリポート(演劇など)
★「繭の中のさなぎ」にて
 10月16日、緒形拳のひとり芝居「白野」を観てきました。無理かなと思っていたチケットを無事に手に入れて、「子供騙し」以来の緒形拳さんです。
 Bunkamura内のシアターコクーンの舞台上に作られたステージと客席。コクーン(繭)の中にあるということで、名前はシアターピューパ(さなぎ)。串田和美との「ゴドーを待ちながら」ではじめて設けられた形らしいけど、これが雰囲気抜群。シアターコクーンの狭い楽屋口(!)から入り、狭い階段を下りると、「インスタントに組み立てられた感」たっぷりの客席裏に出る。そこから簡易階段を上ると、真正面にひし形のステージがあって、前方に桟敷席と呼ばれる席(低い階段に並んで座る、という感じ)、そのうしろに椅子席。どちらにしても200~300人の空間。世田谷のシアタートラムくらいの規模なのかな。なんとなく裏から見る舞台という雰囲気が独特の期待感を高める。
 客席には年配の男性女性、30代の人たちに混じって、若い人が多いのに驚かされる。この程度のキャパでこれだけ広い年齢層というところが、俳優・緒形拳のすごさなのかな。

★「白野」が生まれるまで
 すでに解散してしまったが、「新国劇」という劇団を立ち上げた澤田正二郎が1926年に「シラノ・ド・ベルジュラック」を原案とした「白野弁十郎」を上演し、この作品は新国劇の人気演目となった。平成を迎えた頃、70代になっていた島田正吾が「ひとり芝居 白野弁十郎」を上演し、以後2002年に病に倒れるまで、日本だけではなく「シラノ」の本場?フランスでも上演され好評を博したという。師である島田正吾と辰巳柳太郎を亡くし、新国劇の匂いのする芝居をやってみたいという思いを新たにした緒形が、この作品に自分なりの色を加えてできあがったのが、今回の「白野」だという。
 残念ながら島田正吾の「白野弁十郎」には出会えなかったのだが、舞台写真では、大きな鼻をつけ、黒の衣装をまとった彼が熱演している。今回はあえて大きな鼻をつけずに白野弁十郎を演じることにした緒形は、パンフの中で「ああ、こういうところが先生(島田)を怒らせるんだろうな」と書いている。

★島田正吾と辰巳柳太郎と、そして私のおば
 私の緒形拳への思いを語るとき、絶対にはずせないのがおばのこと。60~70年代の洋楽ロックを、ビートルズを、映画「ウェストサイド物語」を熱く語ってくれたおばです。緒形拳への熱き思いも並外れたものがあったな。
 彼女は中学生のときにNHKの大河ドラマ「太閤記」で主役・秀吉役に抜擢された彼を見てすっかりファンになり、その後、当時緒形が所属していた新国劇の舞台に通っていたという。
 新国劇というのは殺陣を特徴の一つとする劇団で、当然中年以降の男性客が多かったそうなのだが、おばは中学の制服姿でかばんを持って、明治座や新橋演舞場の客席に座って胸をときめかせていたらしい。
 その後、映画「砂の器」「鬼畜」「復讐するは我にあり」などをおばの影響で観るにつれて、私のほうが俳優・緒形拳の魅力にはまってしまったわけで。「砂の器」の頑固で実直な巡査、後妻の言いなりになって子どもを捨てる「鬼畜」の気弱な情けない父親、「復讐するは我にあり」のどこをとっても救いようのない弁護のしようのない凶悪犯…、当時はそれを一人の俳優が演じているというのがどうにも信じられなくて。「復讐するは我にあり」を観たときは、嫌悪感がしばらく続いて、彼の映像をテレビでも「見たくない!」と思ったほどだったなあ。
 おばは、ポール・マッカートニーやGSの思い出を語る一方で、70年代安保の話や、島田正吾・辰巳柳太郎と緒形拳の間に流れる師弟愛についても熱く説明する、という節操のなさ? それでもその節操のなさのおかげで、私は60~70年代の匂いのまぼろしを少しだけ体験できたのかもしれません。 おばは、島田正吾・辰巳柳太郎の役者として人間としての魅力と、それを緒形がいかに慕い、それでも外に飛び出していった頃のことを、まるで芝居のように話して聞かせてくれたっけ。

★モノローグの世界の心地よさ
 やっと当日の芝居の話を(笑)。
 舞台装置はいたってシンプル。ひし形の突端のところに文机があり、緒形は場が変わるたびにその文机の前に座り、かたわらに置いてあるメガネをかけて台本を広げ、次の場面に関するト書きを読むのだが、はじまりでその所作を見、深く押さえ気味な声を聞いただけで、別世界に浮遊するような、そんな贅沢な導入だった。
 ブラウンやベージュを基調にした「普段着の袴姿」(すいません、うまい説明ができません)で、スエードのアンクルブーツ?(たぶん)をはいているさまはなかなかオシャレ。幕末の京都を警護している会津藩の武士という設定だけれど。
 もちろんひとり芝居だから、彼一人で白野、白野が慕う千種(女性)、千草と相思相愛の生馬など何役かをこなすのだけれど、それを演じ分けるというより、むしろ自分の肉体に次々に登場人物が現れるのを自然に表現している、とそんな感じがした。ぶつぶつを途切れることなどなく、境い目もわからないままに、白野は生馬になり、また白野に戻り、ときに千草が宿る…、そんな感じかなあ。
 動きも台詞の抑揚も、そぎ落とせるだけ落とし、それで残った芯みたいなものを大事に見せてくれているという印象さえ受けた。だから、その声も動きも、その場の空気に違和感なく、雑音なんかもちろん感じさせずに、私たちの耳に目に入ってくる。台詞を伝えようという意思より、それを舌の上に転がして、緒形自身がそれを味わっているような。そしてそれをプライベートな自分の空間でこっそり見ているような、とでも言えばいいのかなあ。ちょっと違うかなあ。そう、モノローグの心地よさ、とでも言えばいいのか。残念だけど、私のボキャブラリーをはるかに越える世界です。
 演出の鈴木勝秀がパンフに「僕にとって『白野』は、緒形拳、なんです」と書いているけど、そういうことなんだな。俳優としての彼の魅力、そして私たちが勝手に想像する人としての魅力がいっぱいつまった舞台ということなんだろう(必死に努力したわりには、最後は陳腐な形容に落ち着いてしまったな)。
 白野は武道だけではなく、歌詠みとしても優れた才能をもつ人物で、生馬の代わりに手紙や歌を千種に送るのだが、その台詞の美しさ、豊かさ。私なんかが頭にひらめくありふれた浅い単語を並べただけでこういう文章を書くのとは違うんだなあ。それが低く優しく、ときに適度に高らかに緒形が表現すると、ちゃんと世界が見えてくる。ドキドキします(って、こういう安直な表現が問題だと言ったばかりなのに!)。
 最後の場面。生馬がいくさで死んで10年。明治になり幕府側の会津藩士だった白野はすっかりおちぶれてしまっても、仏門に入った千種を一週間に一度訪れている。千種の恋心は封印したまま。亡くなる寸前になって、もしや手紙や歌を送っていたのは「あなただったのでは?」と千種が気づいても、最後まで否定したままで旅立っていく。もう今では考えられない生き方だけど、でも決して悲壮ではないのは、生涯愛し続けた人が彼にはちゃんといたんだ、ということに、究極の幸せを見てしまうからなのだろうか。腰掛けたままで頭を垂れた姿に、さまざまなものを想像して、ずっと見入ってしまいました。

★「かわいい」と「チャーミング」につきます
 カーテンコールでは、軽やかに現れ、続いて登場するはずのない共演者を迎えるおどけたしぐさで笑いを誘う。舞台の中央に立ってにこやかに客席を見る緒形に客が拍手をやめると、彼はおもむろに小道具のステッキ(刀として使われた場面もあり)を右下から左上にふわ~っと上げて、「さようなら~!」。客席からもれる優しい笑い声。
 緊張がふっと途切れて、あ、終わったんだ、と日常に気持ちよく戻してもらったような、催眠術からやさしく目覚めたような、そんな瞬間でした。そして、「さようなら~」と言ったときの子どもみたいな笑顔、風のような声に、うわ~、なんてチャーミングなんだ、とわかってはいても感動してしまった私です。
 そして、ふだんは購入することのない公演パンフレット(800円)。これは絶対に買うべき!です(笑)。まずトビラ裏の島田正吾の書の文面(これをここにもってくる緒形拳の気持ちだけでも感動です)。
  
  「辰巳は役者の申し子
   俺は○の努力の人
   拳(ガタ)は反逆の愛児」

 それ以外にも、緒形の自筆の文章や絵や、今回のスタッフや串田和美による、広い意味での「緒形論」、そして唐沢寿明らの若い俳優や友人・津川雅彦からのメッセージなど。
このパンフの内容、デザインにも緒形拳の思いがきちんとこめられている気がする。デザインも内容も、上質の小冊子となっています。
 誤解を恐れずに言うなら、私は年寄りが嫌いです。経験を積んで今でも元気に日々をおくる高齢者の方々はさすがだ、敬意をはらうべきだと思えればいいのだけれど、ついつい経験をつんでも人間ってその程度にしかなれないの?などと生意気に思ってしまう。そういうどうしようもなく傲慢な人間です、私って。
 ステキな年寄りを語れる人のまわりにはそういう人がいるんだろうけど、私のまわりにはいない。だから、私は年寄りが嫌いなんじゃなくて、いい年寄りと知り合いになれなかっただけなんだ、とかね。
 だけど70歳を目前にした緒形拳の舞台を見て、そうだ、私が見ようとしないだけで、ステキな年寄りは私のまわりにもいたのかもしれない、いるのかもしれない…、そんな普通の感情が湧いてきたことは事実です。それほどにあの夜の緒形さんは深い歴史を感じさせ、かわいくて、かっこよくて、チャーミングでした。

 終演後のロビーには、緒形拳の新国劇時代のポスターや写真、パンフレットなどが展示されていました。それを見ていたら、中学校の制服姿の若き日のおばがスカートをひるがえして目の前を走っていく姿が見えたような気がしました。
 もう会うことのない遠くにいるおばだけど、あなたの幼い目は見事に本物を見抜いていたんだね、そんな言葉を贈りたいです。私は元気だよ。

追記(2006年10月26日)
 上記で「年寄り」なんて書いてしまったけど、私は今までに緒形拳さんをそんなふうに感じたことはありません。だた来年70歳と知って、ちょっとびっくりしただけで(汗)。…というわけです(慌てて言い訳)

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