赤いハンカチ

夏草やつわものどもが夢のあと

▼ドナルド・キーンさんの「啄木論」連載始まる

2014年05月12日 | ■文芸的なあまりに文芸的な弁証法

 

すでに一年ほどまえになるだろう。ラジオにドナルド・キーンさんが出演されていて、近況を語っておられた。話の中でこれから石川啄木のことを書こうと思っていますとの言葉を耳にした。どこにどのような形で発表されるのかは未明のことであり、わたしも、その話は忘れかけていた。

ところが昨日のこと。なにげなく書店の雑誌コーナーで、110周年記念号と銘打たれ、いつになく分厚い『新潮』の目次を開いていたら、啄木とドナルド・キーンさんの名が目に飛び込んできたのである。わたしの気持ちは単純にうれしかった。一年前のラジオの話は本当だった。立ち読みのまま食い入るように文字面を追った。そこで改めて日本近代文学の奥の深さに尊崇の念を深めたところだ。

思うのだが、本物の文学とは「小説」とも「エッセイ」とも「詩」ですらない形而上学的な存在なのである。本物の文学とは、人々の心に宿された歴史的言語のことなのだ。毀誉褒貶にまみれたポピュリズムを根とする現世のさまざまな現象にいちいち興奮したり、どこかの郎党が作り広めた言辞言説に恭順して、うつつを抜かしているような精神と彼の口から出てくる表象物などは歴史にも文学の名にも堪え得ない、ただの流行に過ぎないということを。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする