俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

2月25日(日)

2024-02-24 23:53:20 | 日記
咲き初めし辛夷は雨に冷たからむ   正子
花ミモザ花粉を今にこぼしそう    正子
花ミモザ鰺の開きを焼き焦がす    正子

●昨日と打って変わって冷たい雨の一日。

●印刷機の不全で、印刷できなくなっていたのを、腰を据えて直す。物理的な故障ではない。眺めていても、どうしようもない。オンラインの故障を直すためのアドバイスに従って作業をし、一応使えるようになったが、完璧でもなさそうだ。

●『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット発行)が、紀伊国屋書店のネットショップにあったので驚いた。実際この本は、20年近く前の本で手元に2冊あるのみ。売ろうにも売ることができないが、著名俳人の句と会員の句を同等に入れ混ぜて365日毎日鑑賞したもの。そのことで、みんなはしゃいでいたことを思い出す。印刷代軽減のために、信之先生と手作りしたもので、売る目的はなく、会員に配布するため。ISBNもついていない。

これとは別だが、20年前の私の句集『花冠』から、角川が歳時記に数句を拾って載せると言う。掲載の許諾を求めて連絡があった。20年の間、正子の俳句と著書はどこをさまよっていたのだろう。この世の話と思えない。

●調べ物をしていて、ゲーテに続くドイツの抒情詩人・メーリケの「祝婚歌」(森孝明訳)と吉野弘の「祝婚歌」を読むことになった。ロマン主義で人間生きて生けるのかとさえ思わざるを得ない気分になった。以前、「私のようなロマン主義者は、理想にたどり着くか、そうならない場合は、死ぬしかない。」と言われた(半ば威しのようでもあるが)ようなことを思い出した。これが、また本当らしくて、実はよくわからない。正子俳句がロマン主義かどうか、わからないが、ロマン主義はすでに通り越してきた時代のものだし。しかし結局、ロマン主義というのは、通奏低音のように人間の底に潜んでいるものなのではないだろうか、とも思う。
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2月24日(土)

2024-02-24 16:18:25 | 日記
晴れ、のち曇り
仕入れて店にあふれる花ミモザ 正子
梅散りし流れや底に映る影   正子
散る梅を真横に流す谷の風   正子

●句美子と大倉山梅園へ行く。きのう、今日と、梅祭り。いつものように、日吉駅のプラットフォームで待ち合わせをするが、電車が遅れ、すこし、ちぐはぐして、日吉ではなく、二駅先の大倉山で落ち合った。昨日雨だったので、これまで見たことのない大勢の人出。大倉山の坂は、人で埋め尽くされている。

途中冠雪の富士山の頭だけが見えた。富士山は、真っ白。梅園の周囲を埋め尽くすほどの屋台。暖冬で梅は盛りをすぎていたが、8割ぐらいは大丈夫。風に散る花びらや、小流れに散りこむ花びらが水底に影を映し、これはこれで風情がある。少し上の道を人が歩く。上からの梅園の眺めも、絵巻物のようだ。句美子がそういう。句美子は、初めて大倉山梅園に来たと言う。そうだったか、と思う。
地元商店街や地元の筝曲や日舞の会、お茶の会などが中心となって梅祭りを運営している。市長の挨拶もあり、横浜市あげての梅祭り。句美子が梅大福を友宏さんのお土産に買い、お茶券を買ってくれたので、お茶席に座る。高校生のお点前。お菓子は梅の焼き印を押した上用。

設営された舞台で、筝曲と尺八の演奏を聞いた。若い女性がきれいな着物をきて、ピン、シャン、シャラリと余興で演奏するのかと思ったが、ベテラン女性や男性による本格的演奏。はじめの2曲は聞き逃したが、「鷹」「篝火」「Kのための斗為巾」を聞く。「斗為巾(といきん)」は、十三弦ある琴の糸の11,12,13番目の糸にたいする名称だそうだ。「鷹」は、「春の海」風の感じで、大空を舞う鷹の様子。「篝火」は、古楽器によるバロックのような曲だった。人類の文明の始まりは「火」からとのメッセージを込めているとのこと。「Kのための・・」は、誕生した自分の娘のための曲。それを聞いて梅園を後にした。

日吉に帰り、東急のカフェで昼食。昼食後、信之先生の月命日のお菓子とお花を買って句美子と分かれ、帰宅。今日の仏花はミモザ。なぜなら、花屋は店が埋まるほどミモザを売っていたから。

●確定申告書を郵送。お役所は少しでも間違っていれば突き返すが、不備のないようには市民には無理。不備があれば、なおしてください。これに時間をとられたくない。

●ブルッフと、ベートーベンの「春」をパールマンとアシュケナージュで(1974年)聞く。いままでで、一番いいかも。
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