雨
咲き初めし辛夷は雨に冷たからむ 正子
花ミモザ花粉を今にこぼしそう 正子
花ミモザ鰺の開きを焼き焦がす 正子
●昨日と打って変わって冷たい雨の一日。
●印刷機の不全で、印刷できなくなっていたのを、腰を据えて直す。物理的な故障ではない。眺めていても、どうしようもない。オンラインの故障を直すためのアドバイスに従って作業をし、一応使えるようになったが、完璧でもなさそうだ。
●『現代俳句一日一句鑑賞』(髙橋正子著/水煙ネット発行)が、紀伊国屋書店のネットショップにあったので驚いた。実際この本は、20年近く前の本で手元に2冊あるのみ。売ろうにも売ることができないが、著名俳人の句と会員の句を同等に入れ混ぜて365日毎日鑑賞したもの。そのことで、みんなはしゃいでいたことを思い出す。印刷代軽減のために、信之先生と手作りしたもので、売る目的はなく、会員に配布するため。ISBNもついていない。
これとは別だが、20年前の私の句集『花冠』から、角川が歳時記に数句を拾って載せると言う。掲載の許諾を求めて連絡があった。20年の間、正子の俳句と著書はどこをさまよっていたのだろう。この世の話と思えない。
●調べ物をしていて、ゲーテに続くドイツの抒情詩人・メーリケの「祝婚歌」(森孝明訳)と吉野弘の「祝婚歌」を読むことになった。ロマン主義で人間生きて生けるのかとさえ思わざるを得ない気分になった。以前、「私のようなロマン主義者は、理想にたどり着くか、そうならない場合は、死ぬしかない。」と言われた(半ば威しのようでもあるが)ようなことを思い出した。これが、また本当らしくて、実はよくわからない。正子俳句がロマン主義かどうか、わからないが、ロマン主義はすでに通り越してきた時代のものだし。しかし結局、ロマン主義というのは、通奏低音のように人間の底に潜んでいるものなのではないだろうか、とも思う。