俳句日記/高橋正子

俳句雑誌「花冠」代表

俳句界10月号を読む/9月20日(日)

2009-09-20 23:57:35 | Weblog
俳句

晴れ
○花冠11月号入稿。エックスパックで原稿を送る。メール、CD-ROM、USB、のどれでも原稿を送るのが可能だが、目下のところ、CD-ROMとプリントアウトした原稿、割付を揃えて送っている。

○水煙の割付や原稿、会計、NPOの書類などを、整理。捨てるものは捨てた。これまで、金は儲けず、使うばかりであったが、よく仕事をしたと振り返る。著名になるわけでも、金を儲けるでもなかったが、その時々に、自分のことはさておいて、すべきことはした。もうこれくらいで、よろしいのではないかと、結論づける。

○俳句界10月号が届く。秋の連休のせいか、いつもより早い発行。一通り読む。
特集「結社の継承」について。
「結社は一代限りは美徳か」の星野高士「玉藻」副主宰の話が、秀逸。
「俳諧の宗匠と世襲について」橋本直の文は、眠い。
「鷹」が「鷹」であるためにの小川軽舟は東大出身と聞くから、その理由で主宰に推されたのかもと思わせる。よくある結社の事情。
「真っ当な組織論の実現ーー「古志」検証」の岸本尚毅。東大出身者らしい記事。
理論と俳句の実際に乖離が感じられ、組織を意識すれば政治に。別世界。
「師系の継承ーー「青樹」終刊」野田禎男は、曲折ある継承に、継承という難しさが見える。
「にれ」終刊に思う事」椎名智恵子は、北海道という地方を支えた俳誌の終刊と主宰者の功績と称えたもの。地方の事情は文学とは違うもの。

○俳句界の2番目の特集。
「兜太ばかりがなぜもてる?」
「金子兜太さんの魅力」松澤昭、「兜太を肴に秋の夜をだべる」八木健、「拝啓 金子兜太様ー円熟とは肯いへの優しさでしょうか。」池田澄子、「俺が五七五そのものなんだ」金子兜太、と読んできて、漫画的なあまりに笑う。金子兜太については、兜太自身が語るものが、一番分かりやすい。真正面から話す方ではなさそうだ。本音から逸れている。これは、第一人者としての責任、また文学者としての大切なものの欠如と思えるのだが。草田男とよく論争しているようだが、草田男が突くそこが問題であろう。
兜太の近作鑑賞では、若手の神野紗希「一回性を生きること」は、もっともらしいテーマに兜太の俳句を結びつけただけの優等生の作文。鑑賞に感性がないと感じさせるのは、俳句が読めていないからであろう。。
若手の佐藤文香「生生しさを愛する」は、等身大で兜太を捉えて、ややひ弱だが、感性がある。「兜太先生が好き」という文句も忘れていなのが、しおらしい。

○俳句界時評「俗から造化へー俳句精神の自由」坂口昌弘が、『日常』(金子兜太著)、『夏至』(正木ゆうこ著)を採り上げる。句が採り上げられているが、どれも読みたくない句である。俳壇では、言語について、どの程度の認識があるのだろうか。言語への懐疑はないのだろうか。自然観はどうなのか。特にインテリたちの俳句に精神を含めた体験というものの不足、頭で操作されたものを感じる。詩はそういうものではないだろう。

○高屋窓秋の特集は、窓秋の俳句の詩性のせいであろうが、面白い。林桂らが書く。
コメント
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