雷とからっ風 義理人情! 上州かあちゃんの毎日

赤城おろしの冷たいからっ風にも、日本一暑い夏の日にもめげず
頑張る上州かあちゃんの日記です

東海道を歩く 18回目 由比宿から興津

2018-10-09 09:53:21 | 東海道
東海道を歩く18回目




由比宿を歩きます。



山と海に挟まれた約600メートルの
小さな宿場だったそうです。

桝形跡



宿場の入り口です。
街道をカギの手に曲げて
万一の攻撃に備えていたそうです。
由比宿も東西の入り口は、カギの手に折れていて
現在も面影が残っていました

お七里飛脚の役所跡



江戸の屋敷と居城との連絡のため
通信機関を持っていました。
七里ごとに中継ぎ役所が置かれていたようです
飛脚には、剣道、弁舌に優れた者が選ばれて
伊達半天を着て、徳川家の威光を示しながら
東海道を往来していたそうです。
いまなら、イケメン五人組が
街道を駆け抜けていたってことよねぇ

由比、本陣





物見塔、本陣井戸などが残っています。
今は、東海道由比本陣公園になっていて
広重美術館などもありました。
美術館入館して来ました。

正雪紺屋



江戸時代から続く染物屋さん
土間には、染物をしていた瓶
天井には、火事などの時に、貴重品を持ち出す
カゴなどが残っていました。



ここは、
由比正雪の生家のため
正雪紺屋と言われているそうです

正雪って、何者?
分からん!
家光死後、幕府転覆を、企てた
慶安事件の指揮をとってた人みたい。
幕府を倒すためのテロリストって事
多分そう!
でも、この事件後
浪人の取り締まりや
大名の取りつぶしがゆるくなって、
浪人救済になったんだって
ほーほー

藤屋 望嶽亭 (ぼうがくてい)



間の宿でここから、アワビやサザエを食べながら
富士山の眺めが絶景であったので
望嶽亭と名付けられたそうです。



そしてここは、もう一つ!
幕末の戊辰戦争にまつわる話があるそうです
幕府の密命を受けた山岡鉄舟は、
西郷隆盛と無血開城交渉に
つこうとしていたのですが

道中の、薩埵峠で官軍に追われ
望嶽亭のご主人にかくまってもらい
漁師に変装して、清水次郎長宅に
送ってもらったそうです。
そのあと
清水次郎長は、山岡鉄舟を府中へ案内し
府中の旅籠、松崎屋で無事
西郷隆盛と会談ができたそうです。

今、大河ドラマ!
ちょうどそこの所放送してるよねぇ

勝海舟との話し合いの前に
山岡鉄舟との下話があったのよねぇ

この望嶽亭のご主人の助けがなかったら
もしかして、歴史が変わっていたかもしれない

この蔵!
もともとは、望嶽亭の資産を隠しておいた屋敷の半地下みたいになっている所で
ここから、海に直接出て行けたようです。
蔵の上の座敷には、
隠し階段があって、そこから
蔵に逃げ、舟に乗ったそうです。

隠し階段も、
鉄舟が残していったピストルも
見せてもらいました。

歴史好きでは、ないけれど
この階段が歴史を変えたかもって
思うと、やはり感慨深い!

なんか東海道歩いていると、
知らない事にたくさん出会えて
実際に歴史の現場に
立てたりするから
どんどん、ハマっていっちゃう
楽しい!

さて、この日の
最大の難関に、挑みます。
薩埵峠超えますよぉ〜

大丈夫、
箱根越えてきたんだから!

望嶽亭を後に



ここから、薩埵峠に挑みます




まだまだ登り始めです。
後ろを振り返ります



富士山応援してくれてない泣
雲かかってて、見えないよぉ〜

峠には、ビワやみかんの木がたくさんありました



登って!登って!



峠超です。



江戸時代初期は、山と海岸の間のわずかな平地を
波間をぬって、通り抜けなければならない難所
だった

本来であったなら
ここに!
ここに!
富士山が!こうやって見えるはず



見えなかったので
自分で描いてみた笑笑

あとは、峠を下るだけよぉ〜



下る



下る



下る。

この日は、最後の最後
残り10分という所、雨に降られました。

帰りのバスは渋滞も、事故もなく
21:30には、渋谷につけた。
よかった!

いよいよ、次回19回から、
一泊の行程になります。

2日間、続けて
10キロ歩けるかなぁ〜〜
ちょっと心配!


コメント (2)
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