前々回と前回で、山岡鉄秀著『シン鎖国論』の中にある、章「移民解禁という愚かすぎる政策選択」の要約を紹介しました。正式なルートではない外国人就労問題。国がその対策を間違えると、「日本の自死」を招くという内容でした。
埼玉県川口市や蕨市での異常事態であるクルド人増加の問題。何故彼らは日本にやって来るのか。理由はトルコで暮らすよりは、まだ経済的にはマシだと考えるから。日本とトルコとの関係は歴史的に良好で、これを背景とし両国の間には「90日以内の滞在であればビザを免除する」という協定が結ばれている。この「ビザなし」の条件を使ってトルコ国籍のクルド人が次々と来日。
移民政策について考える際、我われの目の前にはすでに先例というか巨大な失敗例があり、ヨーロッパ諸国がそれ。欧州各国がイスラム系移民や難民の過剰な受け入れによって、白人の比率はどんどん低下、人口動態に不可逆的な変化をもたらし、国の在り方まで変わりつつある。ヨーロッパ文明の変質と崩壊に繋がる『西洋の自死』といわれている。
ヨーロッパは第二法大戦後、労働力不足に対応するために移民を大量に受け入れ、やがて移民なしではやっていけなくなり、望んでも流入を止められなくなった。政策の失敗によって自動的にイスラム化してしまう、といわれている。しかし奇妙なことに、白人系ヨーロッパ人たちはそれに対して毅然たる対応を取らず、曖味なままにしている。一体何故か。ヨーロッパ人は自らに課したポリコレ(政治的正しさ)によって自死を選んでいる。つまり、白人はかって植民地を支配し、有色人種を差別し、迫害し搾取した罪があり、イスラム教徒を批判するのは宗教差別だ、といった観念に自縛されているとの見解。
川口市や蕨市のクルド人たちは難民でも移民でもなく、90日間のビザ免除が悪用され、いつの間にか住民登録もないクルド人の人口が膨れ上がり、治安の悪化という深刻な社会問題を起こすに至っただけである。国が問題先送りで済ませてきた杜撰な入国在留管理が招いた結果にすぎない。制度的な不備を放置し、こういう事態に至っているだけである。
あらためて、このような主旨でした。5月26日付けの朝日新聞には、第一面に“難民受け入れたドイツ10年後の逆風”と題した記事が載っていました。ドイツの町で町長になったシリアのボート難民を紹介しつつも、メルケル元首相の人道的な評価は当時世界から評価されたが、それから10年その評価は揺れ動き、ドイツの政策は逆方向へとかじを切っている、との内容でした。さらに新聞の第二面には、“反移民閉じゆく欧州「自国ファースト」右翼台頭”との記事も載っていました。それに付随したコラムですが、“移民 有権者の不満そらす「スケープゴート」”と題し、上智大教授(国際政治)岡部みどり氏が書いたものを、以下引用します。
欧州社会への難民の「統合の失敗」とも言われる最大の原因は、一度に大量の人を受け入れたことだ。人道目的とはいえ、制御できないほどに受け入れれば結果的に「統合」は阻害される。
欧州連合(EU)が昨年、大幅に受け入れを減らす方針にかじを切ったのは、「望まれる外国人」を選別するためだ。EUは、過去数年間に経済移民しか出していない国をリスト化し、そもそも難民申請できないようにスクリーニングする規則を導入した。
日本同様、人手不足の欧州では今後、高技能人材は積極的に獲得する一方、スキルが無い人には厳しい対応が取られることになる。それは、本来であれば難民資格が無いのに、不法入国をあっせんする悪質なブローカーの「人道ビジネス」を根絶する意味合いもある。
「反移民」を掲げる極右政党などのポピュリストたちにとっては、中央政府が本当に移民を管理できているかどうかは、あまり重要ではない。移民が、有権者の不満などをそらすための「スケープゴート」として使えるか否かということだ。
コラムは以上ですが、『シン鎖国論』通じるものがあります。『西洋の自死』に向かわないように、かじ取りをしているのが今の欧州の姿なのかもしれません。江戸時代の鎖国とは、幕府が国を選んで抑制したのです。宗教的な制圧や、植民地化される恐れがある国は排除したのです。一方で、日本の国に必要な知識や富をもたらす国とは、限定し交易し交流を図った。と、私は解釈しています。
「移民は経済成長のために必要だ」とか、「高齢化社会では移民を受け入れるしかない」とか、「移民は文化を多様で豊かなものにする」など、ヨーロッパを移民社会に進ませたのと同じロジックを、日本は避けなければいけません。移民一人ひとりを国がルールに従わせるべく統制力を発揮することが前提で、移民導入政策への安易な移行は自死に向かわせます。現在の外国人就労制度を、我々も身近な問題として見守って行かなくてはなりません。身近な課題として、私も考えを新たにしています。次回、それらをお伝えします。 ~次回に続く~

埼玉県川口市や蕨市での異常事態であるクルド人増加の問題。何故彼らは日本にやって来るのか。理由はトルコで暮らすよりは、まだ経済的にはマシだと考えるから。日本とトルコとの関係は歴史的に良好で、これを背景とし両国の間には「90日以内の滞在であればビザを免除する」という協定が結ばれている。この「ビザなし」の条件を使ってトルコ国籍のクルド人が次々と来日。
移民政策について考える際、我われの目の前にはすでに先例というか巨大な失敗例があり、ヨーロッパ諸国がそれ。欧州各国がイスラム系移民や難民の過剰な受け入れによって、白人の比率はどんどん低下、人口動態に不可逆的な変化をもたらし、国の在り方まで変わりつつある。ヨーロッパ文明の変質と崩壊に繋がる『西洋の自死』といわれている。
ヨーロッパは第二法大戦後、労働力不足に対応するために移民を大量に受け入れ、やがて移民なしではやっていけなくなり、望んでも流入を止められなくなった。政策の失敗によって自動的にイスラム化してしまう、といわれている。しかし奇妙なことに、白人系ヨーロッパ人たちはそれに対して毅然たる対応を取らず、曖味なままにしている。一体何故か。ヨーロッパ人は自らに課したポリコレ(政治的正しさ)によって自死を選んでいる。つまり、白人はかって植民地を支配し、有色人種を差別し、迫害し搾取した罪があり、イスラム教徒を批判するのは宗教差別だ、といった観念に自縛されているとの見解。
川口市や蕨市のクルド人たちは難民でも移民でもなく、90日間のビザ免除が悪用され、いつの間にか住民登録もないクルド人の人口が膨れ上がり、治安の悪化という深刻な社会問題を起こすに至っただけである。国が問題先送りで済ませてきた杜撰な入国在留管理が招いた結果にすぎない。制度的な不備を放置し、こういう事態に至っているだけである。
あらためて、このような主旨でした。5月26日付けの朝日新聞には、第一面に“難民受け入れたドイツ10年後の逆風”と題した記事が載っていました。ドイツの町で町長になったシリアのボート難民を紹介しつつも、メルケル元首相の人道的な評価は当時世界から評価されたが、それから10年その評価は揺れ動き、ドイツの政策は逆方向へとかじを切っている、との内容でした。さらに新聞の第二面には、“反移民閉じゆく欧州「自国ファースト」右翼台頭”との記事も載っていました。それに付随したコラムですが、“移民 有権者の不満そらす「スケープゴート」”と題し、上智大教授(国際政治)岡部みどり氏が書いたものを、以下引用します。
欧州社会への難民の「統合の失敗」とも言われる最大の原因は、一度に大量の人を受け入れたことだ。人道目的とはいえ、制御できないほどに受け入れれば結果的に「統合」は阻害される。
欧州連合(EU)が昨年、大幅に受け入れを減らす方針にかじを切ったのは、「望まれる外国人」を選別するためだ。EUは、過去数年間に経済移民しか出していない国をリスト化し、そもそも難民申請できないようにスクリーニングする規則を導入した。
日本同様、人手不足の欧州では今後、高技能人材は積極的に獲得する一方、スキルが無い人には厳しい対応が取られることになる。それは、本来であれば難民資格が無いのに、不法入国をあっせんする悪質なブローカーの「人道ビジネス」を根絶する意味合いもある。
「反移民」を掲げる極右政党などのポピュリストたちにとっては、中央政府が本当に移民を管理できているかどうかは、あまり重要ではない。移民が、有権者の不満などをそらすための「スケープゴート」として使えるか否かということだ。
コラムは以上ですが、『シン鎖国論』通じるものがあります。『西洋の自死』に向かわないように、かじ取りをしているのが今の欧州の姿なのかもしれません。江戸時代の鎖国とは、幕府が国を選んで抑制したのです。宗教的な制圧や、植民地化される恐れがある国は排除したのです。一方で、日本の国に必要な知識や富をもたらす国とは、限定し交易し交流を図った。と、私は解釈しています。
「移民は経済成長のために必要だ」とか、「高齢化社会では移民を受け入れるしかない」とか、「移民は文化を多様で豊かなものにする」など、ヨーロッパを移民社会に進ませたのと同じロジックを、日本は避けなければいけません。移民一人ひとりを国がルールに従わせるべく統制力を発揮することが前提で、移民導入政策への安易な移行は自死に向かわせます。現在の外国人就労制度を、我々も身近な問題として見守って行かなくてはなりません。身近な課題として、私も考えを新たにしています。次回、それらをお伝えします。 ~次回に続く~





