梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

歴史の見方・捉え方(その2)

2018年01月20日 09時33分49秒 | Weblog
前回このテーマで書いてからこの一週間、明治維新について教科書などで書かれている歴史とは異なる説を、インターネットで検索して調べてみました。やはり、多くの新説や異説は出てきます。

鈴木荘一という方が“明治維新の正体”を著し、その出版記念講演の動画を観ました。「歴史の教科書には、無為・無策で統率力が無い幕府に対し、薩長の若い志士が立ち上がって維新を成し遂げ、西南の役でそれが確立する。などと書かれているが、これは大久保利通寄りの人たちが下書きした、大久保利通一代記だ」と、厳しい指摘をされています。

西悦夫という方が、“新説・明治維新”をテーマにした、講演録の要約を見つけました。やはり学校で習った歴史を否定した上で、「維新については日本では神格化しているが、明治の御用学者の造った神話であり、実態はそれほど綺麗ごとではない。維新はイギリスが日本を手なずけるアジア戦略の一環であり、その裏の金が動いている」、との主張です。

鈴木荘一氏は長年銀行に勤め、退職されて作家となり、現在「幕末史を見直す会」の代表です。鈴木氏は、“明治維新は何だったのか”との西部邁氏や加瀬英明氏などが登場する、テレビの討論番組にも登場していました。西悦夫氏は、スタンフォード大学フーヴァー研究所の教授です。去年私は、西氏の講演をたまたま聴く機会がありました。

鈴木氏は水戸学(以前私が学ぶ機会があったと、前回書きましたが)を研究されているようです。鈴木氏の考えや活動などを今回接してみて、西氏とは去年実際にお会いしていますので、従いましてこのお二人は私にとってもかけ離れた存在ではなくなり、その明治維新の説については私なりに納得しています。

今までの定説の史実自体が、勝利者側の記録書であるとか、御用学者のような時の政府におもねる偽説だとは、従来からかなり言われてきたことです。だからといって、教科書を書き換えようとしないのも、学校教育で歴史を伝えていく実態です。

歴史の教員らで作る研究会が、高校の日本史や世界史で学ぶ用語を今の半分の1600語ほどに減らそう、との提案を去年まとめまたした。用語は1950年代の三倍弱にも増え、先生は教えきれず、生徒の方も暗記を嫌って敬遠する。これらが理由のようですが、削除案には、曽我馬子、新撰組、坂本龍馬も含まれるそうです。

私自身も歴史に興味を持つようになったのは学校時代ではなく、40代後半からでしたが、歴史のヒーローや悪役に導かれ歴史に関心を持つ生徒もいるはずです。興味や学びの好機を逸することになりはしないかと、不安は残ります。

よく考えてみれば、後世に残そうとする歴史は、描く人のそれぞれの私見がはいることは免れません。立場、強弱、贔屓、意図、裏付け、などの視点が違えば自ずと描き方が違ってきます。歴史の見方・捉え方についての私の結論は、「自分で調べ学ぶ」です。掘り下げていけば、見えていない視点も発見し、史実に近づくことは可能です。

大河ドラマの“西郷どん”が、いよいよ楽しみです。これは本来の歴史を忠実に再現しているのではなくて、歴史小説の分野だと思います。それを踏まえた上で、西郷隆盛像を捉えていきます。
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