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梶哲日記

鉄鋼流通業相談役の日々

縁と外国人就労(その1)

2025年04月19日 05時56分02秒 | Weblog
2年前、Kさんという方に出逢いました。地下鉄東西線の南行徳駅近くの居酒屋“庄や”という店で、です。彼はその時35歳、私は70歳、親子ほどの歳の差でした。その経緯を説明しながら、今回のテーマに入っていきたいと思います。外国人就労者とKさんは深く関わっています。Kさんとの縁が、私の関係する人に広がりました。

現在私は自宅近くの身体障害者のグループホームで働いていますが、その時は母体のデイ介護施設に勤務していました。その施設が南行徳駅近くにありました。私より五つ年下の職員と気が合い、いつしか飲みニケーションが始まり、その開催場所が居酒屋の庄やでした。日中の施設では言えない、仕事に対する前向きな意見や、はたまた愚痴を互いに言い合っていました。

彼はヘビースモーカーで、居酒屋にある喫煙室に3~40分に一回は行くほど。ある時、喫煙室から一人の男性を連れて席に戻ってきます。「面白い男性が居たので、梶さんに是非会わせたくて連れてきた」と、彼。その男性がKさんでした。名刺を出されるので、こちらも咄嗟に名刺交換をしました。第一印象はとても人懐っこく好感が持てる方でした。立ち話で一言二言交わすと、Kさんは自分の仲間の席に戻っていきました。

翌日のことです。Kさんからメールが届きました。「梶さんが、すっと立って名刺を出されたのが印象的でした!」との言葉がありました。「出来れば会って話をしたい」とも書かれていました。改めてKさんの名刺を見ると、『外国人人材紹介事業』『外国人就職コンサルティング』『自動車運転実務講習』『各種セミナー運営』の事業が明記されています。Kさんはその会社の代表取締役で、会社は南行徳に在ります。
   
一対一で、後日夕方庄やで会うことにしました。その縁は今日まで発展的に広がっていくことになりますが、その時は知る由もありませんでした。初対面ではありましたが約3時間、盛り上がりました。Kさんは高校まで野球をやっていたり肘を故障して手術をしたり、身体も大きく顔もメジャーの大谷翔平に何となく似ていました。

起業して未だ一年とのこと。それ以前の10年間は、叔父さんの町工場の現場で働いていました。慢性的に人手不足で困っていた会社が、優秀な外国人就労者(東南アジア系)に救われたそうです。Kさんも色々改善提案をして会社に貢献したようですが、叔父さんにはKさんより年下の息子がいてそちらの方へ肩入れし、正当な評価をしてくれなかったとのこと。彼のお父さんは勤め人、現役のトラックの運転手です。

そこでKさんは退職の決断をします。外国人人材紹介事業をメインとする会社を一人で興します。叔父さんの会社で、真面目な外国人就労者と一緒に働いたことが切っ掛けです。ある人の紹介で教習所のOB教官と知り合って、ペーパードライバーに路上運転の訓練をする事業も併設しました。先々外国人就労者の運転指導や日本の免許取得の手続きをサポートすることも、視野に入れていたようです。

会社は、ベトナム・ネパール・ミャンマー・中国出身の人材を日本に紹介しています。特にベトナムには力を入れていて、Kさん自身ベトナムに頻繁に出掛けて行き、現地の日本語学校を訪れ、日本の企業などの紹介や海外就労者の生活の様子を説明しています。ベトナムの送り出す窓口会社のスタッフとも懇意にしていて、常に円滑な関係を築いています。

この業界には質の悪い斡旋業者も多くある。送り出し側も受け入れ側の業者も、法外な仲介手数料を請求したり約束を履行しなかったり、被害を受けるのはそのお金を払う就労者。日本ではただ斡旋して終わり、後の面倒を見ない業者もいる。Kさんの業界への不信感はつのりますが、それが自社はそのようなことは絶対しないとの信念に繋がっています。

3年前は売り込みに行っても門前払いが多く、頭から外国人を就労することに先入観や拘りを持った企業が多かったそうです。物流の2024年問題でだいぶ様子が変わったそうですが、具体的にどう外国人就労者採用を進めたらよいのか、色々な制度はどうなっているのか分からない企業も多くあるのではないかとのことです。

因みに南行徳の庄やで私と飲みニケーションし、Kさんとの出逢いを橋渡してくれた同僚は施設を去って行きました。Kさんとの新たな縁が、その後また違った縁を呼んでいます。   ~次回に続く~
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