決して拒んでいる訳ではありませんが、私のブログには殆どコメントが寄せられません。たまに、誰かまわず自動的に送られてくるコメントは削除するか無視をしています。しかし、誰か分かっている人とか誠意的に寄せられる方のコメントには返事を書いています。
もう16年前のこと、「nz(tetsuro) gannbatteruyo」との書き込みがあり、訳の分からないコメントかと、削除しょうと思ったところでした。よく読めば、ニュージーランドに行っている息子から、「頑張ってるよー」とのメッセージでした。当時中学三年になる息子は、通っている中高一貫教育の学校の制度を利用して、ニュージーランドで二ヶ月間の語学研修留学をしている最中でした。
遠く離れたnzに来て一ヶ月、里心付いて私のブログを見てコメントしたのでしょう。近くにいない息子とこのブログが橋渡しになるとは、そんな出来事がありました。子供(娘二人と息子)達が年を取って、親から直接聞けなかった話を、このブログが介在役となればと思った時期もありました。あったとして、私が亡くなってからのことでしょうから、それを意識して書き続けるのはやめました。
私の父は殆ど文章を残していません。しかしメモ魔で、事務机や食卓に備えていたり枕元などに置いていたり、紙と鉛筆は常に放しませんでした。そのメモが商売のアイデアになったことは言うまでもありません。メモは多少残っていますが、文章らしき物は残っていません。となると父親の考えていたことや思っていたことは、私の頭にしかありません。
父は話し上手で、話題は豊富で、聞く人を飽きさせませんでした。自ら志願して戦争に赴いたその体験を、大人になった弟や私に(共に所帯を持つ前実家で)よく話してくれました。そのようなことを文章に残しておいてくれたらとの思いがありますが、私が子供たちに何らかの方法で伝えない限り、父の体験談は途絶えてしまいます。語りが綴られたブログは、体験が伝承される効果があるのかもしれません。
話しは戻りますが、息子は今や31歳。梶哲商店に大学生の頃からバイトで勤め始め11年、現在は取締役専務の職にあります。私のブログを見ているか一々聞きませんが、先々必要があれば読んでくれることでしょう。
家族の話になりましたので、このブログでの私の妻の存在についてもふれます。「もし妻がいなくなったら」、私が困るのは何か。私の左足の爪切りとブログです。私は若い時の股関節骨折の後遺症で、左の股関節の可動域が殆んどありません。従って左足つま先を手元にひき寄せることが出来ないので、長年左足の爪は妻に切ってもらっています。
困るもう一つのブログとは、書き上げアップする直前に妻にチェックしてもらっているからです。誤字・脱字の発見、て・に・お・はなどの適正、の見直しです。初期の頃、妻に言われました。「家族のことでこんなことを書いたら恥ずかしい!」「誰が見ているか分からないのにそこまで書く必要があるの?」。内容も第三者の目で見てもらうことも大事なので、修正すべきことは直してきました。妻は、言わば映倫のような存在となります。
しかし私の考えの基本は、極力隠さないでありのままを書く、です。何故なら読んで下さる皆さんが、そうでなければ関心を寄せず興味が湧かないからです。勿論、隠すかどうかのその境目はわきまえなくてならないと思ってきました。慣れるもので、妻も最近は内容ついてはあまりクレームをつけなくなりました。
妻は最近、校正のような仕事をしたいと言い出します。確かに表舞台のライターも大事ですが、縁の下の力持ちの校正者も無くてはならない存在です。書いた自分には、間違いは絶対分からないからです。妻と喧嘩して険悪になった時、チェックを頼みづらいので、私一人で必死に読み返しています。
以上のような意味では、このブログも妻と二人三脚でやってきたことになります。唯一意見が聴けるのが妻で、たまに辛辣な意見も出てきますが、このブログも1000回を超えられたのも妻のお陰で、妻に感謝です。 ~次回に続く~
もう16年前のこと、「nz(tetsuro) gannbatteruyo」との書き込みがあり、訳の分からないコメントかと、削除しょうと思ったところでした。よく読めば、ニュージーランドに行っている息子から、「頑張ってるよー」とのメッセージでした。当時中学三年になる息子は、通っている中高一貫教育の学校の制度を利用して、ニュージーランドで二ヶ月間の語学研修留学をしている最中でした。
遠く離れたnzに来て一ヶ月、里心付いて私のブログを見てコメントしたのでしょう。近くにいない息子とこのブログが橋渡しになるとは、そんな出来事がありました。子供(娘二人と息子)達が年を取って、親から直接聞けなかった話を、このブログが介在役となればと思った時期もありました。あったとして、私が亡くなってからのことでしょうから、それを意識して書き続けるのはやめました。
私の父は殆ど文章を残していません。しかしメモ魔で、事務机や食卓に備えていたり枕元などに置いていたり、紙と鉛筆は常に放しませんでした。そのメモが商売のアイデアになったことは言うまでもありません。メモは多少残っていますが、文章らしき物は残っていません。となると父親の考えていたことや思っていたことは、私の頭にしかありません。
父は話し上手で、話題は豊富で、聞く人を飽きさせませんでした。自ら志願して戦争に赴いたその体験を、大人になった弟や私に(共に所帯を持つ前実家で)よく話してくれました。そのようなことを文章に残しておいてくれたらとの思いがありますが、私が子供たちに何らかの方法で伝えない限り、父の体験談は途絶えてしまいます。語りが綴られたブログは、体験が伝承される効果があるのかもしれません。
話しは戻りますが、息子は今や31歳。梶哲商店に大学生の頃からバイトで勤め始め11年、現在は取締役専務の職にあります。私のブログを見ているか一々聞きませんが、先々必要があれば読んでくれることでしょう。
家族の話になりましたので、このブログでの私の妻の存在についてもふれます。「もし妻がいなくなったら」、私が困るのは何か。私の左足の爪切りとブログです。私は若い時の股関節骨折の後遺症で、左の股関節の可動域が殆んどありません。従って左足つま先を手元にひき寄せることが出来ないので、長年左足の爪は妻に切ってもらっています。
困るもう一つのブログとは、書き上げアップする直前に妻にチェックしてもらっているからです。誤字・脱字の発見、て・に・お・はなどの適正、の見直しです。初期の頃、妻に言われました。「家族のことでこんなことを書いたら恥ずかしい!」「誰が見ているか分からないのにそこまで書く必要があるの?」。内容も第三者の目で見てもらうことも大事なので、修正すべきことは直してきました。妻は、言わば映倫のような存在となります。
しかし私の考えの基本は、極力隠さないでありのままを書く、です。何故なら読んで下さる皆さんが、そうでなければ関心を寄せず興味が湧かないからです。勿論、隠すかどうかのその境目はわきまえなくてならないと思ってきました。慣れるもので、妻も最近は内容ついてはあまりクレームをつけなくなりました。
妻は最近、校正のような仕事をしたいと言い出します。確かに表舞台のライターも大事ですが、縁の下の力持ちの校正者も無くてはならない存在です。書いた自分には、間違いは絶対分からないからです。妻と喧嘩して険悪になった時、チェックを頼みづらいので、私一人で必死に読み返しています。
以上のような意味では、このブログも妻と二人三脚でやってきたことになります。唯一意見が聴けるのが妻で、たまに辛辣な意見も出てきますが、このブログも1000回を超えられたのも妻のお陰で、妻に感謝です。 ~次回に続く~





