昨日の続き。
そう考えると「良い体」と「悪くなった体」と二つに分けてしまうことはできない。
という見方もできることになります。
悪くなった体を良い体に変える、訳ではなく。
「悪い状態」にある体を良い状態に「戻す」。この二つは「同じ」ものの延長線上にあるのだ、と考えるのですね。
同じ「もの・体」の状態の「差」なのであって、「違う体」ではない。
二つにわけてしまうとそれは「別もの」だから、良くならないことも有り得る、という理屈に。
例えになってないけれど。
小さい子供が大人になっていく。
小さい子供が大人に「変わる」わけではないので。
違って見えるけれども「別もの」ではない、と。
僕がよく言う「なったものは、戻ります」というのが、ここ。
もともとが「それ」だったのだから。
それが、なにかに変わったわけじゃない。
それの上になにかが乗っかって見えるだけなんだと。なにも失われちゃいない。
だから、どんなケースでも可能性があるのだ、と。
(少し前の整体の流派に則して言えば「なにが乗っかっていると見るか」「それをどうやって取り除くのか」が流派ごとの差なのかも)
先生も、お客さんも、可能性を信じるところから行きましょうよ。
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