5月3日の大阪セミナーでもこういうお話をさせていただこうと思っています。
それは
「痛いのも、痛くないのもメッセージ」。
よく「痛みは体からのメッセージだ。だから、痛み止めで痛みをおさえちゃうのは、よくないことだ」と言います。
でも、僕は「痛くないのもメッセージ」だと思ってるんです。
もし、右に捻って腰が痛い。これはメッセージだと。
左に捻ったら腰は痛くない。これは意味がない。
んじゃなくて、これもメッセージだろう、と。
そう思えると、「症状」という固定化されてみえるものがメッセージという「情報」にも思えてきます^^
方向指示器みたいな。「こっちはダメよ。こっちはOKね」っていう。
「ダメよ」だけに焦点をあわせると、やっぱり「症状」に見えてくるんですが、「OKよ」にも視点をもってくると「情報が立体化」して見えてくるんです。
立体化するというか、、「症状」だったものが純粋に「情報」になる、というか。
僕はそんなふうに症状を捉えているんです^^
今日もありがとう。
それは
「痛いのも、痛くないのもメッセージ」。
よく「痛みは体からのメッセージだ。だから、痛み止めで痛みをおさえちゃうのは、よくないことだ」と言います。
でも、僕は「痛くないのもメッセージ」だと思ってるんです。
もし、右に捻って腰が痛い。これはメッセージだと。
左に捻ったら腰は痛くない。これは意味がない。
んじゃなくて、これもメッセージだろう、と。
そう思えると、「症状」という固定化されてみえるものがメッセージという「情報」にも思えてきます^^
方向指示器みたいな。「こっちはダメよ。こっちはOKね」っていう。
「ダメよ」だけに焦点をあわせると、やっぱり「症状」に見えてくるんですが、「OKよ」にも視点をもってくると「情報が立体化」して見えてくるんです。
立体化するというか、、「症状」だったものが純粋に「情報」になる、というか。
僕はそんなふうに症状を捉えているんです^^
今日もありがとう。