25日水曜日は整体セミナーを大阪で開催する関係でかいつう館はお休みをいただきます^^
がんばってきますのでひそかに応援しててくださいね(笑)。
以下は某所に書かせていただいた文章です。歪みというのは、本当にあるのか?それは庇ってるだけじゃないのか。そんな問題提起です^^
僕は歪みと言う言葉を使いませんが、お客様からはよく相談されます^^
たまにこういう話をすることがあります。
「そのとき、痛かったんでしょ?身体がくの字になるくらい」
「はい」
「その時は、歪みとは言わないですよね~?」
「ええ」
「で、一日経ってまだ痛みが強いときも歪みとは言わないですよね?」
「そうですね」
「一週間経って、痛みも半分くらい退いてきて、まだすこしくの字気味のときはどうなんでしょう、歪みですかね?」
「・・・」
「二週間だったら?一ヶ月だったら?すっかり痛みが退いたときだったら?いつの時点でその姿勢は歪みって呼ばれるんでしょうね」
だいたい、このあたりで笑ってくれます(^^)
庇うと歪む。お客様のイメージのなかでは、いろいろあるみたいです。
いつのまにか、なんとなく、気がついたら、というのが歪む。
はっきりと痛くなった、ついさっき、原因もわかってる、というのが庇う。
なるほど、わかりやすい~^^
庇っても痛いのが庇う、というユニークなイメージだけど切実なのもあります(-^^-;ギックリ腰とかそうですもんね(汗)
でも、意味するところはとても似ています。
・「その姿勢だと違和感が少ない」ということです。
庇ってると痛いんだ!という人もいないし、歪んでると痛いんだ!という人もいません。←痛かったらそれを止めたらいいんですもんね(笑)
庇うか歪むかを意識して選択する人もいません。←どっちかを思考で選んだりはしませんよね。
・ただし、いい姿勢にすると違和感があるんだ!というのはほとんどの人に当てはまります。
こんなに似ている、共通項があるのに、ふたつは別物なんでしょうか。
「本当にこの人は歪んでいるんだろうか?もしかして、庇ってるんじゃないだろうか?」
この問いかけだけで、目の前の姿勢の意味が180度変わります^^
もしかしたら、歪みと庇うのは「時間軸」の問題かも知れませんしね。
そして、僕が思っていることは。
身体は悪くなることができるのか?なんです。
なにが起こっても、元に戻そうとする。戻らないまでも、なんとか身体を楽な状態に保とうとする。持ちこたえようとする。
だから、庇うというのは、理解できるんです。
だけど、身体が「歪む」という選択をする理由が僕にはわからない。
言うたら、身体が「悪くなってやれ、ぐへへ」なんてことをするとは思えない(笑)。
庇うという選択をするのならわかりますよね^^
こんなことを考えてる整体院です。
今日もありがとう。
がんばってきますのでひそかに応援しててくださいね(笑)。
以下は某所に書かせていただいた文章です。歪みというのは、本当にあるのか?それは庇ってるだけじゃないのか。そんな問題提起です^^
僕は歪みと言う言葉を使いませんが、お客様からはよく相談されます^^
たまにこういう話をすることがあります。
「そのとき、痛かったんでしょ?身体がくの字になるくらい」
「はい」
「その時は、歪みとは言わないですよね~?」
「ええ」
「で、一日経ってまだ痛みが強いときも歪みとは言わないですよね?」
「そうですね」
「一週間経って、痛みも半分くらい退いてきて、まだすこしくの字気味のときはどうなんでしょう、歪みですかね?」
「・・・」
「二週間だったら?一ヶ月だったら?すっかり痛みが退いたときだったら?いつの時点でその姿勢は歪みって呼ばれるんでしょうね」
だいたい、このあたりで笑ってくれます(^^)
庇うと歪む。お客様のイメージのなかでは、いろいろあるみたいです。
いつのまにか、なんとなく、気がついたら、というのが歪む。
はっきりと痛くなった、ついさっき、原因もわかってる、というのが庇う。
なるほど、わかりやすい~^^
庇っても痛いのが庇う、というユニークなイメージだけど切実なのもあります(-^^-;ギックリ腰とかそうですもんね(汗)
でも、意味するところはとても似ています。
・「その姿勢だと違和感が少ない」ということです。
庇ってると痛いんだ!という人もいないし、歪んでると痛いんだ!という人もいません。←痛かったらそれを止めたらいいんですもんね(笑)
庇うか歪むかを意識して選択する人もいません。←どっちかを思考で選んだりはしませんよね。
・ただし、いい姿勢にすると違和感があるんだ!というのはほとんどの人に当てはまります。
こんなに似ている、共通項があるのに、ふたつは別物なんでしょうか。
「本当にこの人は歪んでいるんだろうか?もしかして、庇ってるんじゃないだろうか?」
この問いかけだけで、目の前の姿勢の意味が180度変わります^^
もしかしたら、歪みと庇うのは「時間軸」の問題かも知れませんしね。
そして、僕が思っていることは。
身体は悪くなることができるのか?なんです。
なにが起こっても、元に戻そうとする。戻らないまでも、なんとか身体を楽な状態に保とうとする。持ちこたえようとする。
だから、庇うというのは、理解できるんです。
だけど、身体が「歪む」という選択をする理由が僕にはわからない。
言うたら、身体が「悪くなってやれ、ぐへへ」なんてことをするとは思えない(笑)。
庇うという選択をするのならわかりますよね^^
こんなことを考えてる整体院です。
今日もありがとう。