愛宕山ののぼりが楽だったなんて口が裂けても言えないんだけど。
「お椀を伏せたような山」とO氏が言ってたようにしょっぱなから急な登り坂です。しかも、山道で規則正しくなんて足運びは望むべくもなく。足を置けるところに無理やり置いて登っていく。そんな感じです。でも、あとから思うと、のぼりはまだ余裕がありました。「ありそうでないものを言おう。S氏の寿命」とか冗談も言ってました。
だけど。
帰りに月輪寺を経ての下山コースを選んだ僕たちに待っていたのは・・・。
登りは頑張れるんです。しんどければ力を出せばいい。もう無理と思っても一歩踏み出すだけで登っていけちゃうんです。
それがまた少しはハイにしてくれる。
だけど、下りは違った。
登りに感じた重力を振り切って体を上に運ぶ感覚とは違い、重力に引きずられて落ちそうになる身体を押し留めながら、脚を運ぶ。自分の力をコントロールできない。登るために力を出し切るのとは違い、下りる力にバランスを崩さない力が必要になってくる。下り始めてすぐに「これは膝がやばい」と内心冷や汗、身体はずぶ濡れ。一時間もしないうちにふくらはぎが悲鳴を上げ始めました。
登ってくるはずのすれ違う人も、自分たちの前後にいるはずの下る人もマレに見かけるくらいの急な坂道が延々と続きます。このルートは失敗だったか?でも同じ道を下るのも面白くないし、お寺好きの僕としてはこのルートを行きたかったのよね。
S氏はバイクで傷めた膝を引きずり、O氏は大量の汗と熱でおくれがち。マイペースなのは後輩3人くらい。ちなみに、僕もいれて6人中3人が80キロ超級でそれがまた足に来るんです。唯一の女性参加者は小柄で急な下りも飛び跳ねるようにして下りていったというのに(汗)。
愛宕山自体、「登ると自力で下山するしかありません」という看板が立っているような場所。自販機やトイレも山頂にしかありませんしね。しかも選んだ下りルートにいたっては携帯の電波も入りません。しんどかろうといつかはたどり着く麓に向かって、転がりそうになる身体に制動をかけて下りるしかありません。
ほぼ麓にあった、なだらかな上り坂。「おお、なんと登りの楽なこと」と思わず言ってしまいました。
そうしてようやく出発地点まで戻ってきた僕たちは、カキ氷を食べ、U氏の馬鹿でかい車に救出されて、一息ついたのでした。
あとは学生のころに行った銭湯で汗を流し、いざ宴会へ。
今から思うと、しんどい「だけ」のはずだった5時間が、あっという間に思えるから不思議です。
この日に「も」備えての日々積み重ねていた歩くトレーニングも絶対に役には立っていたと思う。
同じくらいのしんどさなら、またチャレンジしてみたい、というハイな気分もいまだに残っています。
僕は次の目標に向けてまた今日から少しずつ歩き始めようと思っています。
「限界の向こうに宴会がある」というO氏の言葉に励まされながら。
以下、O氏立案の某秘密プロジェクト表紙より抜粋
20代。若さ(バイク)と力(車)で夜を駆け抜けた。
早いこと、軽いこと、楽しいことが大切だった。可能性は無限だった。
40代。若さを失い、力をなくした。
でも、増えたのは「できなくなったこと」ばかりじゃない。
限界は、まだ遠くにある。歩き続けるかぎり。
立ち止まっても、また歩き続ける限り・・・。
裏六甲ツーリングから時代は鯖街道夜間踏破へ!
あの頃、風をきった僕たちは今、自分の足で土を咬む。
鯖街道夜間踏破プロジェクト、今夜始動。
気持ちのどこかではこのプロジェクトが流れることを期待しながら・・・(爆)。だって、しんどいのわかりきってるもーん。
追伸。
今日お店に来てくださった方のうち、お二人から「愛宕山、登ってらしたんですね」って声をかけられてしまいました。
なんだか、照れます(笑)。
今日もありがとう。
次回から整体ネタに戻る、はず・・・。
「お椀を伏せたような山」とO氏が言ってたようにしょっぱなから急な登り坂です。しかも、山道で規則正しくなんて足運びは望むべくもなく。足を置けるところに無理やり置いて登っていく。そんな感じです。でも、あとから思うと、のぼりはまだ余裕がありました。「ありそうでないものを言おう。S氏の寿命」とか冗談も言ってました。
だけど。
帰りに月輪寺を経ての下山コースを選んだ僕たちに待っていたのは・・・。
登りは頑張れるんです。しんどければ力を出せばいい。もう無理と思っても一歩踏み出すだけで登っていけちゃうんです。
それがまた少しはハイにしてくれる。
だけど、下りは違った。
登りに感じた重力を振り切って体を上に運ぶ感覚とは違い、重力に引きずられて落ちそうになる身体を押し留めながら、脚を運ぶ。自分の力をコントロールできない。登るために力を出し切るのとは違い、下りる力にバランスを崩さない力が必要になってくる。下り始めてすぐに「これは膝がやばい」と内心冷や汗、身体はずぶ濡れ。一時間もしないうちにふくらはぎが悲鳴を上げ始めました。
登ってくるはずのすれ違う人も、自分たちの前後にいるはずの下る人もマレに見かけるくらいの急な坂道が延々と続きます。このルートは失敗だったか?でも同じ道を下るのも面白くないし、お寺好きの僕としてはこのルートを行きたかったのよね。
S氏はバイクで傷めた膝を引きずり、O氏は大量の汗と熱でおくれがち。マイペースなのは後輩3人くらい。ちなみに、僕もいれて6人中3人が80キロ超級でそれがまた足に来るんです。唯一の女性参加者は小柄で急な下りも飛び跳ねるようにして下りていったというのに(汗)。
愛宕山自体、「登ると自力で下山するしかありません」という看板が立っているような場所。自販機やトイレも山頂にしかありませんしね。しかも選んだ下りルートにいたっては携帯の電波も入りません。しんどかろうといつかはたどり着く麓に向かって、転がりそうになる身体に制動をかけて下りるしかありません。
ほぼ麓にあった、なだらかな上り坂。「おお、なんと登りの楽なこと」と思わず言ってしまいました。
そうしてようやく出発地点まで戻ってきた僕たちは、カキ氷を食べ、U氏の馬鹿でかい車に救出されて、一息ついたのでした。
あとは学生のころに行った銭湯で汗を流し、いざ宴会へ。
今から思うと、しんどい「だけ」のはずだった5時間が、あっという間に思えるから不思議です。
この日に「も」備えての日々積み重ねていた歩くトレーニングも絶対に役には立っていたと思う。
同じくらいのしんどさなら、またチャレンジしてみたい、というハイな気分もいまだに残っています。
僕は次の目標に向けてまた今日から少しずつ歩き始めようと思っています。
「限界の向こうに宴会がある」というO氏の言葉に励まされながら。
以下、O氏立案の某秘密プロジェクト表紙より抜粋
20代。若さ(バイク)と力(車)で夜を駆け抜けた。
早いこと、軽いこと、楽しいことが大切だった。可能性は無限だった。
40代。若さを失い、力をなくした。
でも、増えたのは「できなくなったこと」ばかりじゃない。
限界は、まだ遠くにある。歩き続けるかぎり。
立ち止まっても、また歩き続ける限り・・・。
裏六甲ツーリングから時代は鯖街道夜間踏破へ!
あの頃、風をきった僕たちは今、自分の足で土を咬む。
鯖街道夜間踏破プロジェクト、今夜始動。
気持ちのどこかではこのプロジェクトが流れることを期待しながら・・・(爆)。だって、しんどいのわかりきってるもーん。
追伸。
今日お店に来てくださった方のうち、お二人から「愛宕山、登ってらしたんですね」って声をかけられてしまいました。
なんだか、照れます(笑)。
今日もありがとう。
次回から整体ネタに戻る、はず・・・。