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もっと果実を 続き

2005-07-29 11:26:30 | 健康 整体
昨日は、「人間が肉食だったら、いかに不利か」というテーマでした。今日は、果物
そのものの「存在」について書いていきます。これも、結論めいたことを先に記して
おきましょう。それは「果物は食べてもらいたがっている」ということです。昨日の
末尾にも書きましたが、生き物は他の生命の犠牲の上に存在していると言われます。
ですが、果物の「生態?」を見てみると、、、。

果物は、たわわに実を成らせます。これを生命を考えるなら、「取って食べられてし
まう事」は命の消失につながるわけです。ならば、なぜ、果物は生き延びる工夫を進
化の過程でしてこなかったのか?たとえば、実の色を木や葉っぱと同じ色にして、果
物の存在をわかりにくくする、とか。サボテンのように、実自体に棘トゲをまとわせ
る、とか。もっと単純に、しっぶーい味にして食べる気をおこさせなくする、とか。
鼻が曲がるような匂いにする、とか。(シャケの卵みたいに何千個と実をつける、と
か。それは無理があるな)実際は逆に、色鮮やかで、いい匂いで、甘く、また酸っぱ
く、肉のように調理する必要もなく、その場で食べれてしまうものが多いじゃないで
すか。これは、どう考えても「食べられやすくしている」としか思えません。もちろ
ん、殻を固くする、高いところに実をつける、というものもありますが、それはまた
後日機会があれば。

そんなことは、僕にとって都合のよい思いこみ、、、本当は食べられたくないはず
だ、でしょうか。では、もし、誰にも食べられずに、果物はその命をまっとうしたと
しましょう。すると、どうなるか?実は熟して地面に落ちます。問題は、そこには、
親の木がでーん、と根を張っていることです。しかも、親の木の葉もしげっていた
ら。環境は最悪です。地面の栄養分は親の木がもっていっちゃう、日はあたらない。
熟して落ちた実は腐って親の木の栄養分にはなるでしょうが、、、。ならば、どう
やって子孫を繁栄させるか。少しでも親の木から遠いところに種を落とす事です。タ
ンポポのように風に乗っていくわけにもいかない実(の種)は、誰かに運んでもらう
こと、に将来を託したのではないでしょうか。誰か(猿か、人類か、その他か)が実
をもぎる、どこかで食べる、食べ終わったらぽいと捨てる。そう、その場所に子孫繁
栄の芽を芽吹かせようという作戦ではないでしょうか。種ごと呑み込まれたってかま
いません。あの堅い殻にまもられ、しかも、種自身の養分か?あのねっとりとしたも
のにくるまれ、さらに糞と一緒に排泄された日には、、、肥料つきですから(笑)つ
まり、果物は誰か(動物)が、食べるつまり移動すること、に子孫の繁栄を賭けて進
化したのではないでしょうか?当然、食べてもらうために味や色や香りや多分栄養素
まで、練りに練った完成品だと思うのですよ。

トラやライオンに果物を食え、というのは酷な話です。でも、一人では捕らえること
もできない生き物を、しかも泣いていやがる生き物を食するよりも、「食べてー」と
言ってる食べ物が、そこにある、という事実は知っておいて良いと思うのです。そう
いう食べ物が体に悪いとは考えられない。害を与えるものなら、進化戦略自体が間
違ってるわけですから。もっと言えば果物、いえ、野菜や穀物も自分では移動できま
せん。そして、人間はつまるところ「食べたところのもの」なわけです。せっかく食
べたのではあれば、食べた果物が、野菜が、米が、自分と一緒に移動している、一緒
に体験している、こんな経験が人間と一緒にできて果物さんや野菜さんたちもきっと
喜んでくれているだろうな、と思える1日を過ごしたいものです。人間と一緒に体験
できるんだー、と思って食べられた米さんの体験が悪事であれば、あまりにも食われ
甲斐がないというものです、、、。 

一応、断っておきますが、肉食を否定してませんので。僕も焼肉や鶏肉料理は大好き
なもので。

さらに、続きます。(長い、っちゅーねん)これから、うまく整体(体の観方)に繋
げていきたいんだが、ちょっと無理か(笑)


うわ、今見たら改行がおかしくなってるし。ごめんちゃい




コメント (2)
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