マンガに未来はあるの?!

マンガを愛読して40年以上。20代にマンガ家アシスタントを3年、それ以降は編集にからむ仕事を。マンガにまつわる独り言を。

なぜ、自分はマンガを描いているのか?

2018-03-12 11:14:25 | 日記
 6カ月前、妻が亡くなりました。急性大動脈解離でした。

 大動脈の病気ができていても、実はその症状が出ない場合がほとんどだとか。知らず知らずの間に病気が進行する"沈黙の病気"で、しかも、突然命にかかわる深刻な事態になる切実であなどれない病気です。
妻は知人と楽しそうに電話していました。私は、隣の6畳間でマンガを描いていました。その時、電話での話し声が止み、「ドスン」という、倒れる音がしました。私は立ち上がり隣の部屋に行くと、妻が倒れていて、タンスの上に置かれた電話機の受話器が垂れ下がっていました。
 妻を抱き、呼びかけても、咳き込むように呻くだけ。受話器を一度、戻し、110番に電話しました。警察が出てしまい119番にかけ直しました。救急車が来る前に妻は…救急病院へ行っても蘇生しませんでした。

 それからの何日かは、悲しむ余裕はありませんでした。家のことはすべて任せていたため、どの銀行にどれくらい預金があるのか、暗証番号も、すべてわからない。預金通帳の隠し場所も、印鑑がある場所もわからない。葬儀費用、墓地の費用、光熱費の支払いは、保険は、さらに住まいの名義変更など…。
 家宅捜査です。住まいの中を探し回りました。押し入れから、テレビ台の裏から、タンスの引き出しの奥から、キッチンの戸棚から、さまざまな場所から通帳や印鑑、現金が出てきました。妻は、冬ごもりのため、あちこちに木の実を隠しているリスのようです。隠しているのさえ忘れているのでは、と思われるほど埃まみれの布袋から現金が出てきたり、寝ている掛け布団の中から通帳が出てきたりしました。

 もう宝探しで、笑ってしまいました。そして、涙が止まらない。「金がない、金がない」と娘によくこぼしていたそうです。そんな宝探しは、葬儀後も続きました。孫のために買っていたノートなどの文房具、衣類が溢れるほど出てきました。そんな中に、私が過去、いたずら書きしたマンガ、マンガの下書きが、タンスの引き出しの奥から出てきました。何枚も何枚も出てきました。それらは、私がゴミ袋に入れて捨てたものでした。妻は、私がゴミ袋を玄関に出すと、紙とプラスチックとを分類していないと怒り、ゴミ袋を開けて整理して、ゴミ出しの日に出していました。
 その時に、私が捨てたマンガのいたずら書き、下書きを見つけ、隠し持っていたようです。
 妻は、私がマンガを描いていることには無関心で、何もいいませんでした。あくまでもマンガは趣味? のようなもので、会社勤めをして生活費は稼いでいたからです。
 そんな妻が、私が捨てたはずのマンガの…を見つけた時、涙が出て、声をあげて泣きました。

 20代の頃マンガのアシスタントを約3年やりました。それからは、編集の仕事やコピーライターの仕事をやり、趣味的にマンガを描き始めたのは56歳の時です。自分の人生を振り返ってみて、やり残したことがあるの気づき、マンガを描き始めたのです。マンガで食うつもりはなく、コツコツ1年に1作のペースで描き始めていた。それができたのも、妻が、帰宅して部屋に閉じこもりマンガを描いている私を、何も言わずに見守ってくれていたからでした。亡くなってから痛感しました。

 マンガを描くことは、大変な作業です。10代、20代の人生で一番大切な時期をマンガに費やすと、そのから後の人生に苦しみ後悔することもある。それを知りながらも夢を追う人がたくさんいます。なぜ、自分はマンガを描いているのか…。




漫画の発表舞台が雑誌から投稿サイトに。ますます出版社も漫画作家も、漫画雑誌では食えなくなる?

2017-05-22 12:16:23 | 日記
 漫画の発表舞台がウェブ投稿サイトに変わっている。アマチュアクリエータを中心に利用され、サイトでは多くの作品を目にすることができる。サイトによっては、マンガ専門であったり、イラスト・小説・写真投稿サイトの一部としてマンガ投稿機能が実装されていたりするものもある。
 投稿サイトの世界では、プロ作家も家庭の主婦、学生も混然一体となって作品が発表されていて、区別がない。雑誌に発表された作品も、いたずら書きのような作品も同列で掲載されており、逆にいたずら書きの作品のほうが面白かったり、人気があったりする。作品はほとんど無料で見ることができる。
 これでは、漫画雑誌が売れないわけだ。時間つぶしで漫画を見るのであれば、投稿サイトで十分。人気作品は、雑誌ではなく単行本を買って読めばいい。ストーリー展開・進展が遅い今の漫画は、雑誌では魅力がなく、単行本向きだ。漫画雑誌は、出版社にとって、単行本にするための作品確保、作家確保のための媒体になっている。そんな雑誌を、毎回、数百円も出して購入するのは…読者もバカじゃないから…定期購読はしなくなる。ますます漫画雑誌は売れなくなる。
 ウエブ投稿サイトは、サイト運営会社では「新人漫画家の商業デビューを目指す新たな道」などと位置付けているところもあるらしいが、本当かね? だって、投稿サイトが人気になればなるほど雑誌は売れなくなる。新人漫画家がデビューしたくても、雑誌という発表舞台が売れ行き不振で廃刊したら、どうデビューするの? 新人漫画家は、アルバイトしながら単行本にするための200ページ前後の作品を何年もかけて描き、出版社に「単行本にしてください」と持ち込みに行くのだろうか?
 漫画雑誌は、新人漫画家が原稿料をもらい生活費を確保し、もっといい作品づくりをめざすための、食い扶持を稼ぐための媒体でもある。それがなくなりつつある。これからの新人漫画家は、どうやって食い扶持を稼ぐのだろう。
 

大手出版社のコミック誌を、最近、読んで驚いた。

2016-10-14 20:25:15 | 日記
10代、20代前半の頃は、コミック雑誌を定期購読し、よく読んでいた。20代の後半から、コミック雑誌を真剣に読まなくなり40年近く過ぎました。
マンガ雑誌は、書店でチラチラページをめくる程度。
マンガを読むのは、ほとんど単行本のみ。書店で、単行本をペラペラめくり、面白そうだと買う、そんな読者です。
そんな私が、過日、古本屋で大手出版社発行の隔週刊コミック誌を購入した。ある作家の、鉛筆で描いたような作風にひかれ、その作家の作品をじっくり見たいと、その隔週刊を購入したのだ。
そこで雑誌全体を読んだというか、つくづく見たのだが……改めて驚いたことがある。
40年前と作品の質もペンタッチもほとんど進化していないということだ。その2016年10月20日号を40年前に持っていって、その当時の人に読ませても、違和感なく受け入れられるのではないか、ということだ。その雑誌が40年後の未来に発行されているコミック誌とは気づかれないし、この作品はすごい、と驚かれる内容のものもない、のではないかと思うのだ。
今のアメリカの映画を、40年前の昔に持っていったら、どんなに驚くか。
マンガを作画するのは個人であり、作品の質は個人の技量、能力に左右されるのだが、それにしても進歩がなさすぎる。40年前と原稿料がほとんどアップしていないということもあるんだろうが、作品にかける時間が限られ、なんかマンネリ化したまま、40年間が過ぎているって感じなのだ。
そのコミック雑誌、当時は暴力ものが主流の中にあって、正統派のまじめなコミック誌として部数を伸ばしてきていたのだが、いまは、どうなんだろう。読者は50代・60代の高齢者向けのマンガ雑誌になっているような気がする。普通の日常的な生活の中で、ちょっとした事件が起こり、それを解決して行くといった、ドラマのマンガって、水戸黄門のテレビドラマを見ているような安心感はあるのかもしれないけど、マンガで描くことの意味はあるんだろうか。マンガは、なんでもありの世界で、読者はそれを普通に受け入れる、といった特性がある。マンガの世界って不思議なのだ。その武器を捨て、リアルに日常のなかのちょっとした事件というか、ドラマを描く良さってあるのだろうか。
時間に追われるなか、作家は、アシスタントを使わざるを得ず、背景にはまったく感情がなく、記号のようなものになっている。作家本人が描く人物は、1、2年もするとペンタッチが固定し、魅力がなくなる。そんななかで、描き続けられるのはストーリーの面白さがあるからなのだが……。
やっぱり、マンガは倦怠期なのかな。
「進撃の巨人」のようなもっと自由奔放なマンガを読みたい。印刷技術は、すごく進歩しているんだから、もうペンで描くのではなく、鉛筆で描いたものとか、ボールペンで描いたものとか、そんな作品をどんどん出版社は掲載してほしい。かってのつげ義春さんとか、鈴木翁二さんとか、そんな私小説風の変わった新作家の作品も出版社は積極的に掲載してほしい。「そんな作品載っけても、売れないから」といわれそうだが、現状、売れてないんだから冒険してください、よろしくお願いします。
なんか、変な文章になって、ごめん。

コミックは本当に黎明期なのか?

2016-07-30 19:36:35 | 日記
21歳から3年間、漫画家のアシスタントをしていました。
「えりちん」さんが白泉社発行の「ヤングアニマル」に連載していた「描かない漫画家」に登場する主人公、器根田刃と一緒でした。
アルバイトをしながら、上野の専門学校で新設されたばかりの「マンガ科」に通っていました。しかし、完成した作品を一度も描いたことがありませんでした。夢ばかりが育って、絵が上手くても、ストーリーがつくれない。夏休みのある日、「漫画家がアシスタントを募集しているからいってみないか」と専門学校の事務局から電話があり、アシスタントをすることになりました。
先生は、大阪の新聞社で社会部の記者をやっていた方でしたが、マンガを描きたくて、上京。一時、銀座で豪遊するほど儲かっていたんですが、マンガの移り変りについて行けず、生活のためにエロマンガを描くようになりました。そんな時に、私は先生のアシスタントになったのです。
ですから、アシスタントとしての日々が増えるにつれ、漫画家の現実の姿を見せつけられ、嫌になりました。ストーリーが作れないから、マンガを描かない。小説を読んで、話作りを学ぼうとしたのですが、読んでも読んでも…無理でした。無精卵です。とうとう3年目、私は錯乱したのか、漫画家になるのをやめ小説家になろうと、思ったんです。ストーリーが作れないのであれば、漫画家はもちろん小説家にもなれるはずないのに、小説なら書けると思ったんですね。本当、バカです。
漫画家のアシスタントをやめてからは、編集関係を転々として、コピーライターをやりました。小説も書き、何社かに投稿しました。入選しませんでした。そして56歳のとき、また、マンガを描き出したんです。
「どうしてまたマンガを描き出したの?」
もちろん理由はあります。詳しく書くと差し障りがあるので、ある人に見せるため、と書いときます。器根田刃と一緒です。
マンガの絵を描く技術は衰えないんですね。30年ちょつと描いてなかったのに、描ける。いや、逆に絵は上手くなっていたんです。6カ月ちょつとかかって作品を仕上げました。26ページ。そして、投稿したのが小学館が発行する月刊漫画誌「月刊IKKI」でした。「コミックは未だ黎明期である」のスローガンの下、新人の作品の数々を送り出してきた漫画誌です。
月刊IKKIには、合計5作品を投稿・持ち込みをしました。すべて最終選考から漏れ、掲載されませんでした。そして「月刊IKKI」は、2014年9月25日発売の11月号をもって休刊しました。
ここで、今回のテーマ「コミックは本当に黎明期なのか?」です。マンガを50年、見てきたというか、過ごしてきた私には、黎明期というより全盛期を過ぎ衰退期に入っている気がします。
アシスタントをしていた漫画家の先生がいっていた言葉があります。
「マンガは印刷芸術である」
「いくら生原稿がキレイでも意味がない。マンガは印刷されて初めて読者が目にするのであるから、原稿が汚くても、印刷された時にキレイであったり迫力があればOK。印刷された時にどういうふうに見えるかを考えて、描かないといけない」
マンガは、印刷芸術であると同時に、個人芸術でもあります。個人の技量が作品を左右し、その技量を他の人は簡単に受け継ぐことができない。受け継ぐには、ほぼ0からスタートし、目指す先生と同じような練習なり知識を増やしていくしかない。
マンガは個人の力に頼るしかないんです。私が小学校の頃見たマンガというか絵に似た作品を、いまでも雑誌で見かける。『ゴルゴ13』で有名なさいとうたかを先生の絵が、いまも通用する。いま、漫画誌の誌面を飾っている作家のペンタッチは、昔の少女マンガのペンタッチです。
漫画家の全盛期が20代前後で、ペンタッチに飽きられたらすぐ消えていく世界です。若者の夢を喰い荒らして、非情に切り捨てていく世界です。こんなシステムを変えない限り、マンガも浮世絵同様、時代の流れの中で消えていくような気がします。
50歳になっても、60歳になっても、商売でなくマンガを描く人がいる、そんな世界になればいいな、と願っています。

これからの雑誌

2016-07-13 14:55:45 | 日記
漫画家のアシスタントを辞めてから、コピーライターに転身。株価チャートの出版社、編集プロダクション、デザイン事務所、通信販売会社などを転々とし、平成10年からは広告代理店に勤め、広告の制作をやりながら新規クライアント開拓の営業もやりました。
昨年10月、その代理店が雑誌・新聞の広告部門を閉鎖したため、退社し、現在は個人事業者としてデザイン事務所のような業務をやっています。
勤めていた広告代理店が雑誌・新聞の広告部門を閉鎖しのは、広告を出稿してもらっていたクライアントの会社が潰れたり、雑誌・新聞広告を出さなくなったため。
先日、スーパーに買い物に行き、レジ横にあった雑誌コーナーで、東京ニュース通信社発行のテレビ情報誌「週刊TVガイド」をペラペラと見て、改めて驚いたのは広告の少なさです。本文中には広告はゼロ、表回りの表4と表3に広告が掲載されているだけという、悲惨さです。テレビ情報誌だけでなく、料理誌も週刊漫画雑誌も月刊漫画誌も……ほとんどの雑誌が同じような状況で、広告収入なしで雑誌の売上でだけで、費用をまかない出版事業をやっているありさま。もちろん、本来は広告収入などあてにせず、雑誌の実売、いかに読者が興味を持つ売れる雑誌を作っていくかで勝負をするべきなのでしょうが…花形産業だった出版社も時代の流れに取り残されつつあるということでしょうか?
長生きしていると(まだ60代)、ほんとにいろいろな変化に遭遇します。編集プロダクションの頃、NECが発行する機関誌の編集をやっていたのですが、当時、パソコンの市場シェア80%以上を占めていたNECですが、ウィンドゥズの登場で今はご存知の状況です。レンタルビデオ店が登場してた頃、確かVHSの新作ビデオが1泊2日で500円でした。そのVHSも完全に消えました。AVシアターなんていう言葉もありましたが、いまはまったく聞きません。
先日、TVを見て思ったのは、演歌のこと。私が10代の頃は、歌番組で登場するのは演歌歌手ばかり。いまや演歌は、歌舞伎か落語のような位置付けになってしまって、いまの10代・20代の若い人たちは、「演歌」という言葉を知っているのでしょうか。
少し疲れてきたので、続きはまた。