6カ月前、妻が亡くなりました。急性大動脈解離でした。
大動脈の病気ができていても、実はその症状が出ない場合がほとんどだとか。知らず知らずの間に病気が進行する"沈黙の病気"で、しかも、突然命にかかわる深刻な事態になる切実であなどれない病気です。
妻は知人と楽しそうに電話していました。私は、隣の6畳間でマンガを描いていました。その時、電話での話し声が止み、「ドスン」という、倒れる音がしました。私は立ち上がり隣の部屋に行くと、妻が倒れていて、タンスの上に置かれた電話機の受話器が垂れ下がっていました。
妻を抱き、呼びかけても、咳き込むように呻くだけ。受話器を一度、戻し、110番に電話しました。警察が出てしまい119番にかけ直しました。救急車が来る前に妻は…救急病院へ行っても蘇生しませんでした。
それからの何日かは、悲しむ余裕はありませんでした。家のことはすべて任せていたため、どの銀行にどれくらい預金があるのか、暗証番号も、すべてわからない。預金通帳の隠し場所も、印鑑がある場所もわからない。葬儀費用、墓地の費用、光熱費の支払いは、保険は、さらに住まいの名義変更など…。
家宅捜査です。住まいの中を探し回りました。押し入れから、テレビ台の裏から、タンスの引き出しの奥から、キッチンの戸棚から、さまざまな場所から通帳や印鑑、現金が出てきました。妻は、冬ごもりのため、あちこちに木の実を隠しているリスのようです。隠しているのさえ忘れているのでは、と思われるほど埃まみれの布袋から現金が出てきたり、寝ている掛け布団の中から通帳が出てきたりしました。
もう宝探しで、笑ってしまいました。そして、涙が止まらない。「金がない、金がない」と娘によくこぼしていたそうです。そんな宝探しは、葬儀後も続きました。孫のために買っていたノートなどの文房具、衣類が溢れるほど出てきました。そんな中に、私が過去、いたずら書きしたマンガ、マンガの下書きが、タンスの引き出しの奥から出てきました。何枚も何枚も出てきました。それらは、私がゴミ袋に入れて捨てたものでした。妻は、私がゴミ袋を玄関に出すと、紙とプラスチックとを分類していないと怒り、ゴミ袋を開けて整理して、ゴミ出しの日に出していました。
その時に、私が捨てたマンガのいたずら書き、下書きを見つけ、隠し持っていたようです。
妻は、私がマンガを描いていることには無関心で、何もいいませんでした。あくまでもマンガは趣味? のようなもので、会社勤めをして生活費は稼いでいたからです。
そんな妻が、私が捨てたはずのマンガの…を見つけた時、涙が出て、声をあげて泣きました。
20代の頃マンガのアシスタントを約3年やりました。それからは、編集の仕事やコピーライターの仕事をやり、趣味的にマンガを描き始めたのは56歳の時です。自分の人生を振り返ってみて、やり残したことがあるの気づき、マンガを描き始めたのです。マンガで食うつもりはなく、コツコツ1年に1作のペースで描き始めていた。それができたのも、妻が、帰宅して部屋に閉じこもりマンガを描いている私を、何も言わずに見守ってくれていたからでした。亡くなってから痛感しました。
マンガを描くことは、大変な作業です。10代、20代の人生で一番大切な時期をマンガに費やすと、そのから後の人生に苦しみ後悔することもある。それを知りながらも夢を追う人がたくさんいます。なぜ、自分はマンガを描いているのか…。
大動脈の病気ができていても、実はその症状が出ない場合がほとんどだとか。知らず知らずの間に病気が進行する"沈黙の病気"で、しかも、突然命にかかわる深刻な事態になる切実であなどれない病気です。
妻は知人と楽しそうに電話していました。私は、隣の6畳間でマンガを描いていました。その時、電話での話し声が止み、「ドスン」という、倒れる音がしました。私は立ち上がり隣の部屋に行くと、妻が倒れていて、タンスの上に置かれた電話機の受話器が垂れ下がっていました。
妻を抱き、呼びかけても、咳き込むように呻くだけ。受話器を一度、戻し、110番に電話しました。警察が出てしまい119番にかけ直しました。救急車が来る前に妻は…救急病院へ行っても蘇生しませんでした。
それからの何日かは、悲しむ余裕はありませんでした。家のことはすべて任せていたため、どの銀行にどれくらい預金があるのか、暗証番号も、すべてわからない。預金通帳の隠し場所も、印鑑がある場所もわからない。葬儀費用、墓地の費用、光熱費の支払いは、保険は、さらに住まいの名義変更など…。
家宅捜査です。住まいの中を探し回りました。押し入れから、テレビ台の裏から、タンスの引き出しの奥から、キッチンの戸棚から、さまざまな場所から通帳や印鑑、現金が出てきました。妻は、冬ごもりのため、あちこちに木の実を隠しているリスのようです。隠しているのさえ忘れているのでは、と思われるほど埃まみれの布袋から現金が出てきたり、寝ている掛け布団の中から通帳が出てきたりしました。
もう宝探しで、笑ってしまいました。そして、涙が止まらない。「金がない、金がない」と娘によくこぼしていたそうです。そんな宝探しは、葬儀後も続きました。孫のために買っていたノートなどの文房具、衣類が溢れるほど出てきました。そんな中に、私が過去、いたずら書きしたマンガ、マンガの下書きが、タンスの引き出しの奥から出てきました。何枚も何枚も出てきました。それらは、私がゴミ袋に入れて捨てたものでした。妻は、私がゴミ袋を玄関に出すと、紙とプラスチックとを分類していないと怒り、ゴミ袋を開けて整理して、ゴミ出しの日に出していました。
その時に、私が捨てたマンガのいたずら書き、下書きを見つけ、隠し持っていたようです。
妻は、私がマンガを描いていることには無関心で、何もいいませんでした。あくまでもマンガは趣味? のようなもので、会社勤めをして生活費は稼いでいたからです。
そんな妻が、私が捨てたはずのマンガの…を見つけた時、涙が出て、声をあげて泣きました。
20代の頃マンガのアシスタントを約3年やりました。それからは、編集の仕事やコピーライターの仕事をやり、趣味的にマンガを描き始めたのは56歳の時です。自分の人生を振り返ってみて、やり残したことがあるの気づき、マンガを描き始めたのです。マンガで食うつもりはなく、コツコツ1年に1作のペースで描き始めていた。それができたのも、妻が、帰宅して部屋に閉じこもりマンガを描いている私を、何も言わずに見守ってくれていたからでした。亡くなってから痛感しました。
マンガを描くことは、大変な作業です。10代、20代の人生で一番大切な時期をマンガに費やすと、そのから後の人生に苦しみ後悔することもある。それを知りながらも夢を追う人がたくさんいます。なぜ、自分はマンガを描いているのか…。