
こんなふうけいでも心が落ち着くものだ(場所はここだ)

桂原古墳の標識が立っている・・・うーむ。あとは勝手にと言ったところだからな。

車を置いて歩かねばならない。これがやはり無謀な行動なんだ。まあ、懲りずにやっているのだから・・はははは。

こんなふうけいでも心が落ち着くものだ(場所はここだ)

桂原古墳の標識が立っている・・・うーむ。あとは勝手にと言ったところだからな。

車を置いて歩かねばならない。これがやはり無謀な行動なんだ。まあ、懲りずにやっているのだから・・はははは。

「金のなる木」 ほんの少しだが膨らんできた。いいぞいいぞ。

おっと、こっちでは葉の形が判るようになってきている。いいぞいいぞ。

その鉢の傍らで・・カタバミである。これは残しておくとピンクの花がつくぞ。

56mの前方後円墳である。周溝を巡らせているので全長は10m程増えるのだろう。6世紀半ばごろに築造されている。

この模型を見ると大塚北部に4基の前方後円墳と2基の円墳が所在している様に見えるのだが・・詳細は不明だし、何処にあるとや。しかしながら、当地域はここを治めていた首長たちの奥津城であり、聖域でもあったということだな。
気晴らしに少し 花見散歩(忠霊塔の梅)
昭和17(1942)年に黒原周辺の住民や学徒の勤労奉仕によって建立されたものである。我輩の母(この時は違うけどね)も砂利などを運んだそうだ。明治7(1874)年の佐賀の役以降の各戦役戦死者及び公務死者四千数百柱が祀られている。小学校、中学校、そして高校とそれぞれの時期に遠足に行ったものだ。以降は花見だな。近くには森林公園もあるので花見が盛んであった。思い出の場所でもある。平和公園でもある。
当該ブログの記事は2月17日から23日までである。

八王神社 足腰が痛いので少し休憩をとる。閑で良いところだぞ。

どうしても勘繰るのだが・・・古墳があったんじゃないのか・・なんてね。

我輩の布団の下で休んでいた。危なかったぞ。潰れるところだったぞ。

だいぶ暖かくなった。彼らにとっては大事なことだからな。おっ、何処行くとや。パトロールご苦労様です。

天気も良く暖かければ人も出て来たくなる。我々もそうなのだが・・しかし、そそくさと帰らなければならないのはなんともはや・・早く元に戻らないかな。
