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街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

大分宮  憤れる仲哀天皇

2010-11-30 08:10:26 | 史跡
 「大分宮」由緒記は こう云っているのである。仲哀天皇の御陵は恵我長野西陵ではなく此処だと云っている。いいのかな?
 そうなると「古墳」と言ってはいけない。「陵」と言わねばならない。古墳ではないぞ、陵だぞ。読者諸氏もこれにはびっくり仰天、なかには有頂天になる方もおられるやもしれん。
 「大分宮」由緒記が正しいとするならば(仮定だが)仲哀天皇は崩御されると香椎宮にこしらえられた殯宮に安置される。
 一年後「大分宮」丘陵に埋葬されたことになるわけだ。箸墓古墳から遡ること70から80年といったところか。日本最古級の古墳と言っていい。そのような古墳が九州に存在することじたいおどろきもものきさんしょのきだ。(ちょっと道を踏み外した)
 「大分宮」由緒記の後半を見てみよう(じっくり読んでくださいね)
 <神殿裏山の小高い丘状の盛土は全国でも珍しい皇室古憤埋蔵推定地、仲哀天皇陵として考古学者の学問的期待をかけている 聖地であり往古旧社殿は小高い丘の前にありて跡地に礎石の跡残れり>
 仲哀天皇は原因不明の死によって故郷に帰ることあたわず、また、皇后によって遠地に葬られてしまった。
 こんなにもいい加減なことでは仲哀天皇の代わりとは言ってはなんだが怒りが込上げてくるよな。
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